十月に入り、公務が一段落したので薫は再び宇治へと赴きました。
これからも足繁く通って姫君の心を解きほぐしたいという思いもありますが、弁の御許の仄めかしたことも気になるところです。
もろもろの理由はあってもやはり八の宮にお会いしたいという思いが強かったのかもしれません。
宇治への通い路は薫にとって心の平穏を保つ旅でもあるのです。
しばらくぶりにお会いした宮は温かく薫を迎えてくれました。
山菜や獣肉などの山の幸でもてなされ、山寺から例の阿闍梨を呼び寄せてくださったので、それからはもう仏道に関する学問三昧です。
尊い阿闍梨は気さくにあれやこれやと質問に答えてくださり、宮との談義は興味深いものばかりなのでした。
深更になり、山風のすさぶ荒々しさに寝つけずにいた薫は楽を奏でて過ごそうと宮を誘いました。
もちろんその心裡には姫君たちの演奏を聞きたいという思いがあったからです。
「先日こちらに伺いました折、珍しい楽の音を聞きました。琵琶と筝の合奏でして、霧深い幽谷に漂う音色はこの世のものとは思われぬほどに妙なるものでございました」
「いや、お恥ずかしい。姫たちでしょうなぁ」
「あまりに神秘的で京に戻っても耳から離れませんでしたよ」
宮は琴と琵琶を運ばせて、調律してから、軽く爪弾きました。
「薫殿、お先に何か弾いて下さい」
琵琶を渡された薫は少しばかり弾きましたが、やはり大君の手には敵いそうもないと止めました。
「先日の響きには及びません。とても同じ楽器が奏でているとは思われず、この琵琶にも気の毒でありましょう」
「なんとも嬉しいことを言ってくださいますな。川の波音を相手に心赴くままに弾く姫たちですが、そこまで言われますとお聞かせせねば」
宮は姫君たちに楽を奏でるよう勧めましたが、あの霧の夜に聞かれていたのだと思うと恥ずかしく、ましてや所望されて披露するほどの腕ではないと恐縮しました。
困った宮は正直に薫に詫びました。
「申し訳ない。このような所で生い立ちましたもので、礼儀も知りません」
「奥ゆかしい姫君たちと心得ておりますので、お気になさらずに」
そうして屈託なく笑う薫君には邪気がなく、もしやどちらかの姫を娶ってくだされば心残りもなくなるものを、と宮は本音を吐露しそうになりますが、この君を前にして言えるはずもないでしょう。
「私はこのような分別の無い娘たちが心配でなりません。私の余命もそう長くはないと思われますが、私がいなくなったらどんなみじめな目に遭うだろうかと気が気でないのです」
薫は心底宮を気の毒に思いました。
「ご後見とまではいかなくとも、私の命があります限りは姫君たちのお世話をさせていただきとうございます」
「薫殿、ありがとう」
この君ならば誠実にその約束を果たして下さるであろう、少し残念にも思われる宮でしたが、心を鎮めて琴をお弾きになりました。
川辺に響き木霊するその楽声は凄みのあるうちにも優しい音色で、薫は目を閉じてじっと聞き入りました。


