『紫にそまる恋』第十六話 ~橋姫(8) | YUKARI /紫がたりのブログ

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紫がたりのブログ-橋姫8

兄・夕霧の御前を辞して、階から車に乗り込もうとした薫はふと足を留めました。


夕闇に染まる空に鳥の番が渡るのを山の寝床へ帰るのであろうか、と羨ましく思われるのです。

あの小鳥でさえ帰る場所があるものを己には身の置くべき場所も見当たらぬ、そう思うと世が空しくて孤独感に苛まれる君なのです。


夕霧から聞かされた話は薫に大きな衝撃を与えました。

泰平とばかりに思っていた世に愛憎の歴史があろうとは。

しかも源氏を追い落とそうとしたのは母方の曾祖母・弘徽殿皇后とその父であったとは。


「兄上、人はなぜ憎しみあうのでしょう」


「それはなぁ、そこに愛があるからに他なるまい。愛があるから人は憎しむのだよ。愛することと憎しむことは根が同じなのだ」


いまだ愛を知らぬ薫には夕霧の言わんとすることがぼんやりとしか理解できませんでした。しかし桐壷帝の愛を得られなかった曾祖母が恋敵を憎み、その子である源氏をも憎んだことが大きな政争へ結びついたのだということはよくわかりました。

そしてその為に八の宮は世から隠れるように暮らさなければならなかったということも。


薫は阿闍梨に宮への取次をお願いしたことを後悔しておりました。

宮を追い込んだ曾祖母を持つ自分が快く思われるはずがあるまい。

仏道修行に邁進される御仁の御心を乱しただけではあるまいか。

今更にどのような顔をして宮にお会いすることができようか、と。


その夜、薫は八の宮へ手紙をしたためました。

何も知らずにいたことへのお詫びとぶしつけにも阿闍梨に仲介を頼んだことなど、誠心誠意をこめて連綿と綴ったのです。


八の宮はその手紙を受け取り、怒りどころか薫中将が自分の身の上のことまでを知ろうとして過去の事情を知る方をわざわざ尋ねてくれたのだと思うと不思議な感動をおぼえられたのでした。

どんなに世を辛いものと背を向けても己の存在が忘れ去られてしまう悲しみは孤独よりも耐えがたいものなのです。人は生まれてその生きた証を刻むように子を残すものですが、その子までが宇治で埋もれているとなれば先には光も見えません。

このように気に懸けてもらえることがありがたく胸に沁み入るのです。

そして当代一と言われる貴公子の生真面目で実直な人柄に強く打たれたのでした。


宮はすべて過ぎ去った日のことと、御仏の前では皆等しく同じ弟子である、という旨の手紙を薫に送りました。

それが薫にもありがたくて、すでに心の裡では師と仰ぐようになりました。

それからは幾度となく書簡をやりとりし、薫がそれとなく心遣いを見せるもので、宮の生活は少しずつ豊かになってゆくのでした。


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