平安の御世のこと。
世の貴族たちは娘を持つと、婿を通わせ、婿が一人前になるまでの世話全般を娘親がみるのが当たり前でした。
ですから娘を多く持つ親ほど大変なものはありません。
ここにも一人、娘を多く持つ源中納言という人がおりました。
正妻である北の方との間に大君(長女)、中の君(次女)、三の君(三女)、四の君(四女)の四人も姫を持っています。
しかし中納言の邸には今一人姫がおりました。
「おちくぼ姫」と呼ばれ、邸の隅の使用人たちの部屋に近いところに住まわされている姫です。
名の由来である「おちくぼ」とは、姫の部屋が粗末で床が一段落ちくぼんでいたことからつけられた名前でした。
この姫の母は、皇族の出身でたいそう身分の高い女人でしたが、体が弱く姫が幼い頃に亡くなってしまいました。
姫は父である中納言の邸に引き取られましたが、継母である北の方はおちくぼ姫を自分の娘たちと同様には扱わず、まるで使用人のように働かせていました。
北の方は気の強い女性で、邸を仕切るのは彼女でしたので、自然と女房達もおちくぼ姫から距離を置き、身分が高いはずの姫を軽んじているのでした。
北の方に言わせると、
「うちはこれから三の君と四の君を結婚させなければならないし、婿たちが増えればなお入用になるもの。おちくぼになどかまっている場合ではないわ。あの子はどうせ世間には出さない子だから、一生縫い物でもしておればよい」
というのが本音で、姫につらくあたっていたようです。
おちくぼ姫はとても手先が器用で縫い物が得意だったので、お針子同様にコキ使われていたのです。
そんな寂しい姫にも唯一心を許せる者がおりました。
「阿漕(あこぎ)」という名の女房です。
彼女は姫とは乳姉妹で、姫の母が亡くなった時に共にこの邸へやって来ました。
阿漕は目端のきいた賢い娘だったので、北の方に気に入られ、三の君付きの女房として重宝されています。
しかし阿漕が心の底から大切にかしずきたいのはおちくぼの君で、三の君に仕えていれば、姫の為に食べ物などを掠められるかもしれない、と我慢して仕えていたのでした。