源氏物語を彩る男性たち ~『朱雀帝(すざくのみかど)』 | YUKARI /紫がたりのブログ

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本日は源氏の兄である『朱雀帝(すざくのみかど)』をご紹介しましょう。


紫がたりのブログ-朱雀帝

朱雀帝は桐壷帝の第一皇子、弘徽殿女御を母とします。


祖父にあたる右大臣は気の短いおとど、といわれ、母である弘徽殿女御もたいへん気性の激しい女性でした。


弘徽殿女御は身分の低い桐壷更衣が帝から寵愛を受け、ないがしろにされたことを恨み、朱雀帝も美男で教養高くあられましたが、いつでも源氏とひきくらべられ、見劣りするように思われていたので、これもまた面白く思っていませんでした。


朱雀帝ご自身は、母や祖父と違いやわらかいご気性だったため、弟の源氏を頼りになると思い、愛情をもって接していたようです。


しかしこの宮はいつでも源氏によいところをさらわれてしまうような損な役回りになっています。


そもそも左大臣の姫(葵の上)は東宮妃にと望まれましたが、源氏の正妻になってしまわれ、朧月夜の君も尚侍になってからも源氏と通じていたわけです。


また前から思いを掛けていた斎宮の姫(六条御息所の娘)は源氏の養女となり冷泉帝に差し上げられてしまいました(=秋好中宮)。


朱雀帝は24歳で即位され、政事は祖父の右大臣が万事を仕切っていたので、源氏を排斥する流れを止める手立てもなく、亡き父・桐壷帝のご遺言を守れずに弟を追放することになりました。


源氏が須磨に隠棲してしばらくすると、都に変事が起こり始めます。


この時代、天変地異が起きるということは、その治世をあずかった帝が正しい行いをしていないように思われます。

人々は源氏を追放したことに由来するのではと噂しあいます。


そして亡き桐壷帝が夢枕にたち、怒りに満ちた表情を目の当りにするや、朱雀帝は眼病を患ってしまいました。


右大臣も亡くなり、母も病に伏せり、朱雀帝はとうとう源氏を都に呼び戻しました。


その後32歳の若さで冷泉帝に譲位。

朱雀院となられ、穏やかな余生をと望みますが、よかれと思った女三の宮のご降嫁は、院みずから宮の髪を下すという顛末を迎え、どうにもうまくいかない生涯を送られたように思われます。


もっとも尊い帝という身分となっても幸せになれるとは限らない、朱雀帝をかえりみるとそのように感じてしまいます。



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