こんにちは、じっきょーです。

 

 

ひまについて考え込むことで

約1か月のひまをつぶすことに成功しました。

 

なんでこんなに暇なんだろう。

何もしたくないのはなんでだろう。

何も欲しくならないのはなんでだろう。

 

こどもの頃なんていくら時間があっても足らないくらい

ずっと遊んでいた気がするんですけどね。

休み時間にチャイム着席をしない。

数秒でも多く遊ぼうとする精神。

夕方の鐘が鳴っても家に帰らないで怒られる精神。

友達の家で夕方の鐘が鳴ってしまった場合は

お母さんに電話してあと1時間遊ばせてくれと交渉する精神。

 

 

そんな日々がとてもなつかしく感じます。

本当に、あの頃は何をしても楽しく感じていたような気がします。

 

 

それが今は

なんでこんなにも暇、暇、ひま、ひま、となってしまうのか、

なんで何もしたくない欲しくないのか、

あの頃は何をしていたのだろう

あの頃と今で何が違うのだろう

 

その違いに何か本質が埋もれているような気がして

その本質探しが宝探しのようで

苦しくも、どこか楽しんでいる1か月間でした。

 

 

 

そもそも、あの頃はなんで、何かをやりたい、欲しい、と思っていたのでしょうか。

何がきっかけだったのかなあ、なんて思ったりしました。

前回の記事でいろいろ書いてみましたが

たとえば

ミニ四駆。これはアニメの影響でした。爆走兄弟レッツ&ゴーですね。

ゾイド。これは月刊コロコロコミックに毎月載っていたゾイド特集ページがかっこよかったからですね。

ビーダマン。これもコロコロコミックで連載されていた漫画がかっこよかったからです。

ポケモン。これは近所の友達の兄ちゃんがやってて欲しくなりました。

 

 

考えてみれば当たり前なのですが、なにかの影響を受けていました。

暇なりに、こどもなりに、

アンテナを張っていたのかなあ、なんて思います。

そして情報源は

テレビアニメ、コロコロコミック、学校の友達、くらいでした。

そこは、小学生の男の子が興味を持ちそうな情報が

きわめてまんべんなく、溢れかえっていました。

特に、テレビアニメはコロコロコミックから知り、

学校の友達の情報はコロコロコミックあるいは似た雑誌から得た情報でした。

500円もする雑誌をよく毎月買ってもらえていたなあと思います。

 

 

なるほどなるほど、つまり今の自分に照らし合わせるとするなら、

大人の男が興味を持ちそうな情報誌でも買えばいいのか。

と思いました。

が、最近はあの頃と違ってネットが発達しており、

むしろネットならいろんな情報がとにかく無限に出てきます。

なんなら写真付き、動画だって出てくる、それがすべて無料。

情報量もコストも、雑誌を買うまでもありません。

 

となるので、しばしばネットで情報を探ることになります。

特に雑誌と違うのは、動画がいくらでもあることですよね。

おもちゃだってゲームだって、なんでも見れる、使用感レビューもある、生の声が聴ける。

超便利ですよね。

売るためにいいことしか言わないテレビや雑誌と違い、

現実がわかり

かつ変な焦らしもない。

ゲーム実況なんてゲームを買わなくてもゲームのすべてがわかるし、

レベル上げの過程はスキップできる。

おもちゃだって詳しい人が全部買って比較していたり

遊ぶ動画があったり

どうやると成功してどうやると失敗するのか、NGシーンまであったり

 

もはや、何かひまつぶしを見つけるために調べ始めたはずなのに

調べている最中にそれがどんなものなのかが大体わかってしまい

すでに疑似体験できてしまうんですよね。

見たければ他の人だっていくらでも動画を出しているし

あの頃のように

コロコロを読んだらまた来月まで待たないと情報が得られない、

アニメはまた来週、

こども向けのおもちゃを特集する番組なんてまずない、あったとしてもおはスタで数分、

あとはテレビCMだけ、というわけではありません。

当時は、

どれもメーカが売る為に巧妙に焦らしに焦らしてきて、買ってしまっていたわけですが

今のじっきょーは買うまでに到達できていないのかなあ、なんて思いました。

なんなら

YouTubeでは、関連動画に次々と興味がありそうなまったく別のものまで出てきて

1日が終わったときにその日に何の動画を見たかすら覚えていないような状況。

 

なんて考えていくと

それはまさに今のじっきょーです。

1日中YouTubeの動画を次から次へとみて、ひまだなあひまだなあ、と言う。

あの頃なら、1日中YouTubeを見ることはありませんでした。

どこかで情報に終わりがきて、結局我慢できずに買ってしまい、

そしたら自分で実際にやる日々が来てくれる。

だから暇じゃなかったのかなあ。なんて思いました。

 

 

 

 

ところで

あの頃、コロコロコミックには毎月500円も出していたのに

辞書のように分厚い雑誌だったので

興味のないページは問答無用で読んでいませんでした。

なんかそう考えると、

あの頃は何をしても楽しかったのになあ、なんていうのは

ウソなのかもしれないです。

 

当時もがっつり情報を選んでいたんだなあ、つまんないことあったんだなあ

と思いなおしました。

 

ただ

興味があるページだけを読み終わってしまったとしても

手元にはコロコロコミックしかなかったのがあの頃のじっきょーです。

そうすると

結局違うページも読んでみるんですよね。

やっぱりちゃんと小学生の男の子にハマるように編集されているので

それなりにちゃんとおもしろいんですよね。

 

そういえば

当時は欲しくて欲しくてたまらないゲームを何か月も我慢して

誕生日に買ってもらうという恒例のやつがありましたが

それが思っていたのとなんか違うなあっていうときの悲しさも経験してきました。

 

でも数千円も出して買ってもらったソフト

これでもう次はいつ買ってもらえるかわからない

そうなるともうやるしかないんですよね。

多少想像と違っても、とりあえず全クリはしないとってなって

ある程度はやりこむというのは当たり前のことでした。

そして、

そのゲームのシリーズが2,3,4と発売されても

次回作はもう買いませんでした。

 

あれ、やっぱりめっちゃ選んでますね。

全然何でもかんでも楽しくないですね。

あの頃は何しても楽しかったのに。は思い違いだったようです。うそでした。

 

 

 

 

というわけで

あの頃との違いって

やっぱり情報が限定されていたこと

その情報だけでは肝心なところまではわからず、買わないとその先が知れなかったこと

買ったら買ったで一応やらないといけなかったこと

 

もうひとつ思うのが

今っておとなになって、周りのいろんな人がいろんな趣味を持っていますが

こどもの頃は学校にいけばだいたいみんな似たような話をしていました。

何十人もこどもがいて、毎日話せるので、

ポケモンの話がしたいときはこいつと話そう

スマブラだったらこいつ

ミニ四駆だったらこいつ

カードだったらこいつ

将棋だったらこいつ

バトルえんぴつだったらこいつ

といつでも話せる相手がいて

そしてよくよく考えるといろんなものにバトルが組み込まれていました。

やっぱり流行ったもの、ハマったものは、

ひとりでやるだけではなく、学校の友達と戦えるものが多かったように思います。

そこで戦うことがひとつの意味になっていました。

 

とりあえずなんでもかんでも買って始めれば

だいたい誰かがやっていて

なにを始めたところでちゃんと戦う相手が見つかる環境でした。

 

そしてその範囲は狭く

勝ったり負けたりが楽しかったのです。

勝ってへらへらして、負けて悶々として、でも負けたら頑張れば追いつけるくらいの

みんな実力は拮抗していて

一方で絶対勝てない存在といえば、友達の兄ちゃん。という感じでした。

情報源だけではなく、競い合う範囲も限定されていたように思います。

 

 

ところが、おとなは趣味が合う人を見つけるだけでも一苦労です。

いろんな雑談をできる相手が毎日周りに何十人もいるわけでもないし

そもそもみんなの趣味が多様化しすぎていて、なかなか話が合わない、

話が合わないということは周りに比較する相手がいないという感じ。

 

同好会とかに入ればいいのかもしれませんが、

おとなってやっぱり経験者が結構多かったり

おとなになってから始めたといっても数年間はやっていたり

小学校の教室のように

今日始めても勝ったり負けたりバランスよく楽しめる環境ではなくて

始めたては基本自分が一番下手から始まる感じで

スタートラインが一緒じゃないので

あの頃のような勝ち負けがひとつの意味、というのが通じない感じがします。

そりゃそうなんですが

こどもの頃との違いってそういうところにもあるのかなあと思います。

 

ということで同好会系には入らないじっきょーです。

 

 

 

そうすると自分の実力ってどうやって測るのかなというと

どうしてもネットと比較してしまいがちです。みんなどんなもんなのかなと。

がしかし

ネットで調べて出てくるような人ってそれなりの実力やら行動力、センスがある人が多いので

そして日本全国、全世界から誰でも情報発信できるので

とんでもなく大量の投稿者の中から目立っている一握りの人だけが目に付くんですよね。

 

 

そもそも戦って得る勝ち負けって勝ったときの自分認められた感がよいのに

ネットしか比較対象がないからってネットと比較してしまうと絶対勝てないというか

 

始めてないから勝てないのは当たり前なんですけど

始めても追いつく気がしないくらいの人ばかりなので

この中で自分認められた感を得ることは相当難しいんだろうなと

思うのと同時に

素人でそうなるためには、そのレベルまで極められないとダメなんだなあと

思い知らされる気がしてしまいます。

 

 

なんなら極めてる人でもバズってない人なんて山ほどいますよね。

そうすると極めてる人の中でのほんの一握りだけが目立って

となるとある程度まで極めることがスタートラインだという気がしてきます。

 

 

ネットにも、校内予選、地区予選、県予選、・・・と範囲が限定されていればいいんですけどね。

井の中の蛙が大海を知る、その繰り返しが小、中、高、大と行われてきたしますが、

ネットに出るといきなり最大の大海ですもんね。

井の中の蛙にすらなることすら許されないとても難しい世界なのかもしれませんね。

 

 

そういう思考になってしまっているので、

何を始めるとしてもとてもハードルが高いです。

極めるところまでいけることが前提で始めなきゃいけない、といつのまにかなっていました。

 

ちょっと興味があるからやってみるか、

え、やってどうするの?意味あんの?絶対勝てないよ?

 

と思ってしまうのです。

 

 

 

あの頃は絶対勝てない相手が世界にいるとわかってはいても

それを見る事がなかったからよかったのかもしれません。

近所しかわかりませんでした。

一方でネットの時代は、全国レベルのすげえやつを近所より身近に感じることができます。

 

 

 

 

あと、今はなんでも収益化しようとしますよね。

ブログも広告だらけ、Amazon楽天へのリンクだらけ、動画も広告だらけ。

YouTubeだと再生回数でどのくらい儲かってんだろうとか想像もできてしまいます。

何でも金のにおいがしてしまいます。

それもプロではなく、素人が稼いでると思ってしまい、なんだか余計に身近に感じるのです。

 

やっても勝てないでしょ、だけではなく、

勝てないしお金にもならないでしょ、こんなこと今さら始めたって、

と思ってしまうのです。

 

そもそもじっきょーの会社は副業禁止なので関係ないんですけどねホントは。

 

 

 

 

やって勝てる事ってなんなんでしょう。

お金になる事ってなんなんでしょう。

最低限、極めないと価値になんないよなあなんて思うと

極めるためには夢中になってやること、努力というよりは、好きでやりこんでしまった結果、極めてる、

みたいなのが必要なんだろうなあ

そりゃその方がいいですよね、そっちの方が極める極めないは別にしても幸せなはず。

 

 

だとすると、

どうせ新しく何か始めるなら、夢中になれることを最初から選びたいところだ、となるのです。

でもじっきょーはいくら思い出しても何にも極めたことがないのです。

こどものころ何か夢中でやってたことってある?と親に聞いても、無いと即答でした。

かと言っても何か探さないと。

 

 

 

簡単に極めるなんて言っても、それなりに時間が必要です。

こどもの頃のようにずっとやっているわけにもいかず

土日に会社の疲れを取りつつも夢中でやれるようなことでなければいけないという縛りが発生します。

 

つまり効率が重要だという事になります。

何か月かやってみて

つまんなかったらやめて

なんて繰り返していて、しかも土日しかなかったら一生極められません。

ただ

やったこともないので何が合うかもわからない、お金も無駄にしたくない、

となると、

とにかく調べる、調べる、調べる、徹底的にネットで調べる、実態を知る、

となって、

わかりやすい記事を、動画を、すごい記事を動画を、探しては読み込んで、

そして

素人なのにすごすぎる、こんなにならないと勝ち越せないのか、となって

 

やーむりむり、今さら始めたってどんだけ苦労したらここまで行けるのよ、

 

となって

無限ループを永久に繰り返すことになります。

 

 

 

 

あの頃はそれがなかったなあとつくづく思います。

興味があったら始めればよかったのです。

競い合う範囲も限定的、スタートラインも同じ、

そんな始め方でも十分に勝算がありました。

 

そして極められないことも正当性がありました。

お金だっていくらだってあるわけじゃないし

情報だってネットはないし雑誌か教本か、でも写真と白黒印刷でわかりにくかったりして

しかもその中で解説してくれるのは当時はプロだけでした。

今のように素人がどこにでも露出してて、ということはなく、

そりゃプロはすごいよね、うまいよね、とできないことを正当化できたのです。

 

 

今はそうもいきません。

ネットだと教えてくれるのは素人だし

情報は無料、そして無限、頑張った量だけの情報が得られるし、

なんならお金だってたくさんあるのでちょっといい道具や教材だってすぐ買えるはず。

なのにできないというのは言い訳にすぎません。

できないことが正当化できない時代になってしまいました。

例えば、

今の時代、料理ができないなんて意味が分かりません。

ネット開いてその通りに作る、までは全員ができるはずなのに、それができない意味がわかりません。

やってないだけでしょってなります。つらいところです。

 

その現実を直視すればするほど

一定のところまでやることすらできないというのは

やろうとしていないだけ、やろうとして続いていないだけ、

個人的な弱さを直視することになってしまい、

劣等感を増幅するだけになってしまいます。

 

 

 

 

あの頃と違って

どうせむりむり、極めるなんてむり、と思ってしまうもう1つの理由として

自分が極められない人間だとわかってしまっているというのがありそうです。

こんな分析をしていてもそう思うし

周りとの比較でもそう思うし。

 

昔からわりとコツをつかむのが早いタイプだったので

小さな町の小さな校舎の中では

未経験者を並べてよーいドンで始めれば

わりとすぐ勝てちゃうことが多くありました。

勝ったからおしまい、次なにやろうかな、みたいな道場破り的感覚で、

そんなことを繰り返していると

時間に解決されてしまって

当時勝ったはずのやつがそれにずっと時間をかけてきていて

ある日気付くと越されている、みたいな、ただその時すでにじっきょーはそれをやっていないみたいな、

良くも悪くもそれが多かった気がしますが

そんな感じでひとつのことを自分からずっとやり続けるみたいなのは

あんまりなかったような気がしています。

じっきょーは極められない人になってしまいました。

 

極めたと言って思いつくのは、今はなきYahooビリヤードくらいです。

じっきょーをピグに導いてくれた重要なゲームでした。

でも実際それも競技人口はYahoo将棋やYhahooオセロに比べたら少なく、

将棋とかオセロみたいに経験者がいるわけでもなく

ビリヤードがうまい人がうまくなるゲームというわけでもなく

他のビリヤードゲームがうまい人がYahooでうまいというわけでもなく、

よーいドンの状態だったから食いついただけだった

というような気もします。

 

 

 

 

極めるを考えると、物事が先に進まなくなってしまいました。

 

 

 

 

 

そこで逆に

もっと何も考えずに興味だけで始めたもの、やってみたもの

って

最近だと何かないのかなあ、と考えてみると

 

2,3日やったら消すくらいのシンプルなスマホゲーム。

仕事の中での新製品の構造の発案

 

 

くらいでした。

 

 

 

スマホゲームについては

じっきょーは数年前から自分だけで完結するゲーム、すぐ消せるゲームに絞っています。

スマホゲームって全国からエントリーした人たちがランキングになっているので

上を目指してもキリがない、というところで、そういうゲームはしなくなっています。

テトリスとか横スクロールアクションとか、思いついたその日にやるゲームばかりです。

これだと極める必要がそもそもないので、これはまさに最近興味だけでやってみたことに当てはまります。

 

 

仕事での新製品構造発案については

これもいい案が思いついてしまったので、それを誰に何か言われたわけでもなく、

自分で明け方に設計にまとめて、上司に提示したものです。

ただ、これはどこか、この案なら認めてもらえるのでは、特許出そうといわれるのでは、と

こっそり期待しておりました。

じっきょーの仕事は業界自体がなかなか狭く、やっていることが特殊で、

かつじっきょーの所属する部門は人数も20人くらいしかいないので、

やっぱりこれは、狭く区切られた環境だからこそ、この案なら誰も考えていないのでは、

自分が認めてもらえるのでは、という打算がありました。

だからこれは興味だけでやったというよりは、見せる相手がいるからやったことなので、

なんかちょっと違います。

 

 

 

そうするとスマホゲームを始めるときの心持ちって、実は事の本質なのではないかと思い始めました。

 

 

スマホゲームはそもそも誰かと競うことを捨てているのにやってしまうし

マイナーなのばかり選んでいるのでどんなに極めても無意味なのにやってしまうし

それでも普通に楽しいし

そして始める前にとことん調べてから始めるというよりは、とりあえずインストールしてみる

という感じ

 

 

極めるを前提に、

夢中になれる事を前提にするために、

とことん調べて、

評価されそうなことを見つける、

という事に対して真逆だなあと感じました。

 

スマホゲームは

極めなくていいことが自分の中で前提としてあるようです。

 

 

 

ところで

日本にいる頃は

バイクも考えてみればそうでした。

バイクこそ、始めるのはめちゃくちゃハードルが高いはず。

まずはある程度の額と時間をつぎ込んで教習所に通わなければいけないし

終わったら終わったで、バイク本体を知識ゼロの状態でバイク屋につっこんで買わないといけなくて

別にバイクに乗りたいわけでもなかったのですが

研究室の後輩の女の子に誘われたからという大学生時代のノリだけで免許を取って

初期費用で数十万はふっとんでるはずです。とてもハードルが高い。

そして極めるどころか、いまだにバイクの種類も構造も仕組みも、部位の名前もわかりません。

ガソリンを入れて乗る事くらいしかできません。

が、乗ってみたら自分の居場所がそこに見つかってしまって、いつの間にか新潟いってしまって、

いつのまにか北海道から沖縄まで行ってしまって、気付いたらひとりキャンプしてて

ただキャンプ道具もべつにテントと銀マットと寝袋以外はなくて、適当に買って、

予約もしないでキャンプ場にいったら予約しろって注意されながら泊めてもらって、

でもバイクが見事に自分のキャラクターになりました。

となかなか壮大なことになっていますが、

最初のノリはスマホゲームと同じでした。

特にバイクに関して誰かと競おうということもありません。

でもそれでも十分楽しくやっています。

 

 

 

ひまだから新しく何か始めよう、と思うと、

調べ過ぎて疑似体験して終わってしまったり

いつのまにか違うものを調べてそっちも疑似体験して終わってしまったり

どうせやるならで極める、極めないの話になってしまって落ち込んで始められなかったり

夢中になれるか判断するために調べすぎて疑似体験して終わってしまったり

となるのですが

こどもの頃の感じを思い出してみると、

またバイクに乗り始めた時の事とかを考えてみると、

結局何も考えずに始めるというのがひまつぶしにいいのかなあなんて思ったりしました。

あと戦うを主体にしてはいけないですね、戦うはキリがなく、極める側にズレてしまいます。

 

 

そして始めるというのは、あんまりよく調べ過ぎないでとりあえず買ってみることなのかもしれませんね。

まったく調べないというのもどうかと思いますが、

じっきょーにとっては、

こどもの頃に持ってた情報くらいのレベルで

コロコロコミックとおはスタとアニメとCMと学校の友達から少し聞いたくらいのレベルで

その実態まで調査しすぎずにまずは買う、というのがいいのかもしれません。

 

そしてお金がある今、とりあえずまずは買っちゃう、をできるのがあの頃と違って今の強みなのかもしれないので

失敗したらもったいないはもったいないですが

その強みをうまく使えるといいのかもしれません。

 

 

たしかにそう考えると

こどもの頃に楽しんでいたものは、興味が先か、物が先か、わからないものがありました。

友達の家にあったおもちゃ、幼稚園にあったおもちゃ、学校にあったおもちゃ、道具、

ボール、水たまり、虫、その辺に落ちている棒、草、葉っぱ、石、うんこ。

 

身の回りにあるもの、借りられるもの、自分のものにしても怒られないもの、

そこからいろいろ思いついて遊んだりしていました。

もしかしたら

今は持ってないけど、

もし今そこにあったら手に取るかもしれないもの、というのが大切なのかもしれません。

あったらとりあえず触ってみるかもしれないものなら

とりあえず買うだけ買ってそこにおいておけば

小学校の倉庫にあったどう使うかわからない道具と同じように

なにか始まるのかもしれませんね。

そこで気軽にお試しすることが始まりになるのかもしれませんね。

 

つまりは

戦いに乗り出すのは一旦やめよう

ケチらずによく調べもせずに買ってそこにおいとこう

使わなかったら捨てよう

 

ということなのかもしれないです。

 

 

というのは結局はよく言われていることですけれども

 

よく考えずに調べもせずに買う

よく考えずに調べもせずに始める

 

なんてのはあまりに非効率だし

どうせならなるべく情報を集めて精査したうえで

買ったり始めたりした方がいいに決まっていると

おとなになるにつれて思うようになってきたし

仕事だってそう、何も考えずに変なもの調達したら怒られるし

 

 

ただ

じっきょーのような

始める前にやめちゃうようなやつが暇つぶしの方法を探すためには

その逆のやり方の方がいいのかなあと

思いました。

 

 

考えるより行動、

考えてばっかで行動しないやつは山ほどいる、

というのはべつによく言われているしよく聞くことですが、

一理あるとはいえあまり腑に落ちておらず、

いくらでも情報ある世の中なんだから事前に調べてなるべく失敗しない方がいいでしょと

思っていたのですが

なんとなくとりあえず始めるだけ始めちゃう、買うだけ買っちゃう、という意見も

消化できたような気がします。

 

 

というのも今回は暇つぶしの方法なので、

べつに失敗したところで、というのが前提ではありますけれども、

こどもの頃の興味あったらとりあえずやってみようから、

実は良く調べて始めた方がいいんじゃないのか?を通って

なんか結局一周まわってきた感じがして

おもしろかったなあと思います。

 

 

今すぐ手に取らなくても、買っておいといてみる、というのが大切かもしれません。

 

 

 

 

ということで何を買うかってことになりました。

とりあえず何かを買ってみよう。

 

 

ただし、情報源を絞り込めていない、というのは今のところ解決していませんので、

思いついたものを少しだけ調べたらあとはさっさとネットで買う、ということが大切です。

 

 


昔からすこし興味があって買ってこなかったものを思い出していると

ふと思い出したのですが、

オカリナはどうかなということになりました。

 

もしかしたらドラゴンボールのことを考えていて、

ドラゴンボールの映画にタピオンというオカリナ吹く勇者がクールに出てきて弱っちいのですが

それを思い出したのかもしれません。

 

ということで少し調べたところ、

どうも一般的にオカリナは音域が狭いらしいということがわかり

なんか吹きたい曲ができなかったらやだなーと思ってやめました。

あと、

オカリナ吹いてるとき歌がうたえないから、

どうせなら歌えるやつの方がいいか、となりました。

 

 

そうするとピアノとかギターなんですけど

そもそもどうせやらないかもしれないし

じっきょーなんて手も硬いしめっちゃ小さいし楽器やったことないし楽譜も読めないので

買ってダメならすぐ捨てられる方

もし今そこにおいてあったらちょっと手に取ってみるか、と思いそうな方

ということで

ギターを買うことにしました。

 

 

ギターはどうもエレキギターというのとアコースティックとかフォークとかクラシックとか

いろいろあるらしいのですが

すぐ捨てたいのでエレキだとなんかアンプとかもありそうで邪魔でいやなので

ギターひとつだけで済む方がいいなあと思って

弾き語りとかやってるひとのイメージでアコースティックギターを調べました。

 

じっきょーは15歳くらいから歌を歌っては録音してをいまだに続けていますが

といっても素人ですが

基本伴奏がないので

伴奏がなくても心地よく聞こえることを目指して来すぎて

カラオケとかで伴奏がつくと微妙になってしまうというのがあったので

もしギターで伴奏ができればとてもよいね、というのもありましたが、

これは後から、これもそうだねってつけたしで思ったことな気がします。

 

 

初心者ギターセットみたいな

これさえあればとりあえず始めるのに必要なものはそろうぜ

みたいなやつが6000円くらいでAmazonにあったので

英語なのでいまいちよくわかりませんがとりあえず買ってみました。

 

 

あと

ギターが届くのに1週間くらいかかるということで結局ひまなので

ひまつぶしにヨーヨーも買いました。

 

ヨーヨーはコロコロコミックを読んでいた小学生時代に

ハイパーヨーヨーをしばらくやっていたのですが

2000円のヨーヨーを買ってもらうやいなや、

すぐに5000円のヨーヨーが発売されて、

さすがに親にもうねだるわけにはいかなかったのですが

あれから20年、

今はその5000円よりすげえのが1500円くらいで買えるで、ということで

とりあえず安いので買っときました。

 

あの頃は町の本屋さんで買ってもらった小さな教本と

コロコロコミックの付録の技のやりかた一覧ポスターと

ちいさな部屋しかなかったので

簡単な方からやっていって20か25個目くらいの技で

部屋が狭くてできないとか

技が複雑で読んだだけじゃわかんないとか

あとは5000円のヨーヨー買わないと難しい技はきついとか

そんなのがあって徐々にやめていったのですが

今はネットで動画も見れるし部屋は広いしヨーヨーは安いので

まあヨーヨーもそこにおいてあれば手に取りそうなので買いました。

 

 

 

とりあえずギターは届いたのですが

どうも世の中の弾き語りに使われるギターはアコースティックまたはフォークギターと呼ばれるらしいのですが

あんま知らずに買ったのと

あとAmazonにはacorstic的なことが書いてあった気がしますが

クラシックギターが届いていることに気づきました。

まあ差がよくわからないのでどっちだっていいんですが

会社の人にギターを買ったことを言ってみたら

よくあるのはアコースティックだよと言われたのと

ネットで練習方法とか調べるとクラシックギターの方法ってあんまり情報がなくて

クラシックと入れてもアコースティックの情報ばかり出てくる状態だったので

あと弾く曲の種類も全然違ったり、

実は細かい構造とか大きさとか違ったり、

素人からみたらおんなじ物にしか見えないのに結構違うことがわかったので

しかたないのでアコースティックギターの初心者セットも買っときました。

こちらは9000円くらいでした。

 

 

 

 

というわけで、どちらも届いて、あれから2週間半くらい

毎日ギターとヨーヨーで遊んでいます。

やっぱりそこにものがあれば手を触れるんだなあと思います。

ギターは正直指とか手が痛いだけで全然上達の気配がないし、音うまくならないし、全然弾けそうにないです。

でもたぶん弾きたいという気持ちがあったようで、毎日練習していて楽しいです。

ギターってなれるまではすげえ痛いんですね。初めて知りました。

 

ヨーヨーは昔できなかった技からの再開です。

無料で動画があるってやばいですね。

あの頃に何十回読み直してもわからなかった技のやり方が一瞬でわかって

簡単にできてしまいました。

ある程度はやっていたので、新しい技がどんどんできてこちらも楽しいです。

 

 

 

正直どっちも今さら始めても何の価値にもならないと思うのですが

どうせ極められないのにやったところで、という考えから離れたからなのか

こんなことしていていいのかな、

時間無駄じゃないのかな、

他に何か考えた方がいいんじゃないのかな、

という気持ちにならずに素直に夢中になれています。

一時期のマイブーム的なものかもしれませんが、

そういうのすらなかったじっきょーにとっては憧れるようなことなので、

素直に楽しいからやるというふうにできているのはうれしいのです。

 

特にヨーヨーは

極めてはいなかったけど

当時も毎日毎日指が痛くなるまで夢中でやっていた感じを思い出して

あー、一時的にでも夢中になってやっていたことってあったんだなあと

思い出した気がしてすこしうれしいです。

頭では覚えていませんでしたが、

右手の中指の第一関節が糸に締め付けられて痛くなるまで夢中でやったということを

痛みで覚えていた感じでした。

 

 

 

土日、朝起きて、

前日放送の、コントがはじまると、ドラゴン桜2と、朝のミライモンスターを見てから、

ずっとギターとヨーヨーやっていると夜になっているという、数時間経っているという、

遊び過ぎて夜更かししちゃって仕事は寝不足になっちゃうみたいな、

気付いたらそんな感じになっていました。

といってもまだ2週間なんですが、それはそれで楽しい2週間でした。

 

 

 

おとといワンピースの99巻が発売日だったのにアメリカの店頭にはおいてなくて

4か月くらい待ってたのに

この土日はとてもがっかりしましたが

ヨーヨーとギターのおかげで大丈夫そうです。

でも来週はワンパンマンと進撃の巨人が発売日なのにこの調子だと

来週も店頭においてなさそうでとても不安です。

6月の漫画発売ラッシュを小さな小さな目標にここまで生きてきたのに。と思います。

 

 

 

 

 

結局1か月考えに考えて出た結論は、

考えるより行動

というありきたりな結論になってしまったのでなんだかそうまとめてしまうとしょっぱいですが、

一周まわってこども時代を振り返ってまで消化したその言葉は

ちょっと聞いたり読んだりしたのとは違う意味の言葉に今は聞こえるし

ただ買ったのではなくて一周してから買ったからこそ

目指していた素直に夢中になるというところに放浪してこられたのかなあとも

思います。

 

 

12000字も書いてしまいました。

5時間くらい書いてしまいました。

 

ひさしぶりに悲しい記事ではなくてよかったです。

 

じっきょーの中には

元気になるには落ち込んだのと同じ期間が必要、という考えがあって

1月末の繁忙期から4月頭の別れまでの落ち込みの約2か月半、

そこから2か月半後というと元気になるのは6月半ばくらいかなと思っていましたが

ちょうどだいぶ気持ちも上向いてきてよかったです。

 

 

悲しい記事でもないのに

とても長い記事になってしまいましたが、

ここでいつも読んでくれるみなさん、声をかけてくれるみなさん、

ひっそり読んでくれているみなさん、ありがとうございます。

じっきょーはあれから少し元気になりました。

 

1か月くらいでやっぱり飽きたってならなければいいなあ。。

しばらくこの感じが続いてくれればその間は元気でいられるような気がします。

 

 

 

じっきょー