こんばんは

じっきょーです。

 

前回は書きたかったことから書いてしまったのですが

本当はアメリカにくる前、後の話も順を追って書いておきたかったので

今日はすこし思い出しながら書いてみます。

基本マイナスの感情しかなかったという話ですが、

今日時点では過去の大変だったことの思い起こしですので、

今はわりと落ち着いてきて大丈夫です。

 

すべてがマイナスの感情だけあって密度は濃かったので

また長々と整理されていない記事となってしまったのですが

当初のつらさが薄れ始めているので忘れないうちに記録したいと思います。

 

 

 

12月頃の話です。

 

12/1、アメリカにきてつらかったことはいくつかありました。

 

時差ぼけ

渡米準備を始めたのは9月か10月頃。睡眠不足になりました。

準備があまりに多すぎて有給休暇を連発する毎日でした。

渡米前に治療しないといけない病気も多く、

歩けないくらい大きな魚の目、通常半年かかるといわれていたところを

無理矢理な治療で痛みと毎週毎週戦って2か月で治してもらったり、

痔ろうの手術も急遽やりました。

あらゆる手続きも膨大でした。

電気水道ガスネット携帯アパート契約生命保険自動車保険自動車バイクバイク保険海外転出届け自動車国際免許申請証券口座銀行米国ビザ引っ越し屋手配航空券手配あともう忘れました。

普通の引っ越しと違って、

海外転出となると携帯解約や車譲渡、海外転出者の場合はこちら、などイレギュラーがいろいろ重なり

しかも海外転出用の手続きなんてどこも慣れていないのか

たらいまわしにされたり、相手もわからなかったり、とにかく待たされたり。

アメリカに行くためのビザ申請やら、面接は東京の大使館まで行かなきゃだし、

7年過ごした家からの引っ越し、それも渡米だと運んでもらえるもの/もらえないものの仕分け。

仕事の軽減措置はありませんでした。会社を休みまくればその分仕事はたまる一方。

また、ありがたいことにたくさんの壮行会もZoomでやっていただいて、

寝る時間は1日3時間とかになりました。

本当に本当に申し訳ない思いで、じっきょーらしくなく、1つだけ壮行会もお断りしてしまいました。

そんな中、飛行機のフライト時間はたしか12時間くらいでした。

日本の朝起きて、空港まで移動して、17時ころの飛行機に乗って12時間、

プレッシャーなのか機内では一睡もできずにアメリカ到着。アメリカは昼14時ころ。

そこから必要最低限の買い出しに連れ出されて、最低限の食べものとか浄水器など。

何時間寝ていないかわからないまま夜が訪れ、

さすがに寝られると思いきや、こちらの夜=日本の朝。

体は昼の感覚なのか、眠くすらならず、どんなに頑張っても眠れませんでした。

ただ、そもそもがもうずっと、とんでもなく寝不足。

寝れないまま朝を迎え、8時半の始業開始と同時に睡魔とのたたかいでした。

土日もうまく寝られず気づけば朝。

こちらのカーテンがわりのシャッターは、朝日が漏れてくるので明るくて余計眠れず

というのが日本で寝不足になった数週間のあとにこちらで2週間ほど続きました。

本当に体調がいかれて死に近づいていくような気がしました。

 

 

先輩との付き合い

赴任交代した先輩はとても良い人なのですが仕事には真面目でじっきょと真逆のタイプ。

能力も仕事にとりくむ姿勢も優秀。

アメリカ生活も5年送っており、職歴はじっきょーと10年くらいの差があり

という中で優秀だし厳しいしタフだし面倒見がすごくよいので

土日も歓迎会みたいにしてくれたり、日本に帰国される前にといろんなお店に連れ回してくれて

どこにどんなお店があるのかとかツアーをしてくれて

本当に助かるのですが

寝不足で死にそうな自分にはわずかな休む時間も与えられないような感じでした。

アメリカにきてしばらくは自分の車もなく、歩いていける距離にお店もなく、お金もなく、

先輩といっしょに普段のスーパーの買い物とかもいかなければならず

あとは突然練習で運転させられたり。

少しは離れている時間も欲しいと思いきや仕事も仕事以外もずっと付きっきりで

気が狂いそうなのが3週間続きました。

心も体も限界でした。

3週間たつと先輩は日本に帰国されました。

ひとりの時間ができる安堵が来るのと同時に

ひとりで仕事も買い物もしないといけないプレッシャーが同時にきて

心が休まる事はありませんでした。

 

 

仕事の内容

どうもじっきょーが渡米した瞬間に年に1度くらいの繁忙期が訪れたようで

そこに偶然当たってしまいました。

朝から夜までメールが鳴りやまないけどやるのは自分ひとりしかおらず

業務内容も変わって全然慣れない中で

日本に質問したくても日中は日本は夜中。

ということで日本に質問する場合はこちらの18時半以降。

絶対残業がつきまとい休む時間もなく

また業務内容はさらに上流の仕事になったので、よりオリジナリティが求められ

先輩はそれができてしまうし、なぜか評価されているしできるでしょって感じだし

ただでさえ心も体もいかれてしまっている中で

みたいな感じでした。

 

 

食べ物

まず初日に冷凍食品を買い込んだのですが、

備え付けの冷蔵庫がぶっ壊れていて翌日にはすべて溶けていました。

アメリカは日本とは違って結構適当です。

壊れてるなんてありえないだろクレームだクレーム、という日本の感じではなく

あー壊れてたのね、はいよはいよ、今いくよって言って、しかもなかなかこなかったり、みたいな感じです。

どこに行ってもこんなんばっかりです。こちらのいい加減な感じになれるまでが大変でした。

とりあえず、日本のニチレイかどっかの冷凍からあげが売っていたので買いました。

ただ開けてみるとカスみたいなのがいっぱい入っててびっくりしました。ニチレイでもこんなダメなのか。

あとはお米ももらって、あと鮭も売っていたので買いました。

日本の食品の値段は日本の3~4倍が相場です。

お米は日本と同じジャポニカ米でしたが、全然おいしくなくてこれで3年生きるのかと絶望しました。

鮭は日本ではレンジでチンしていつも食べていたのですが、

アメリカの備え付けレンジはそもそも使い方わからないしワット数すらわからないし、から始まり

どうも日本で使っていたのとワット数が倍でなんかうまくいかないし

使い方わからない関連でいけば洗濯機すらも謎のダイヤルがいっぱいついてて意味不明でした。

ガスコンロはないけどかなりしっかりしたIHがついていましたが

これも同様何したらどこの火がつくのか全然意味不明だし、

水も水道から直接飲むなって言われるし面倒だし(あとになって調べたら飲めるっぽいですが)

なにもかも手間でした。

時差ぼけ、付き合い、仕事、食事、に加えてこんな小さな手間があらゆる場面で積み重なり

心も体もさらに追い込まれていきました。

やることなすことすべてが課題でした。

仕事が終わっても、休みの時間だとしてもその1つ1つの行動がいちいち何かにつまづくような。

 

日本国内の引っ越しならじっきょーは好きなので、こういう細かい壁はわくわくするのでしょうが

もともと海外嫌いを無理矢理行かされているという心境のじっきょーには

なにもかもが苦痛でした。

 

 

おふろ

半身浴すらできないくらいのバスタブと、

壁から外せない、水圧が弱いシャワーがついているだけでした。

カーテンも自分で買ってとりつけなければいけませんでした。

日本では必ずバストイレ別を選び、水圧も重視してきて、

かつお風呂にお湯をためてつかるのが追い込まれたときのストレス解消法だったじっきょーには

これも絶望的でした。

 

今は壁から外せるシャワーに変えてもらいまして、

なんて2か月半前の話なので簡単に言えますが、当時は大変でした。

というのは、こちらのシャワーは自分では変えられません。

アパートのメンテナンス担当の外人に頼まないと。

シャワーのホースとヘッドも自分でお店で買ってきて、これに変えてくれと言わないといけません。

それがストレスだと、メンテナンス担当の人を呼んでから待っている時間すらストレスでした。

チェンジチェンジとほのめかしてやってもらいました。そんなんばっかです。

こんなんでもじっきょーにはストレスです。しょぼいですよね。

 

 

ネット

最初はポケットWi-Fiと、会社支給のスマホだけがネットワークでした。

どちらもとんでもなく電波が悪くて、

ネットワーク環境だけが暇つぶしにもテレワークにも調べものにも頼みの綱なのに

本当に頼りなかったです。

しかももともと使用無制限と聞いていたのに実は速度制限付きでした。

日本の大手キャリアのスマホとかと同じで

何ギガ以上つかったら速度めっちゃ遅くなるやつです。聞いてませんよって感じでした。

ほんとそんなのばっかです。

数週間してようやく部屋に直に回線が引かれました。

 

 

言葉

何言ってるかわけわかめ。

親切になんとかしようとしてくれるひともいるかと思いきや

いきなり話しかけられて聞き取れずに困っていると怒鳴られることもあったり。

 

 

海外に行くのが好きな人はこういうのを楽しむのかもしれません。

一方でじっきょーはこういう細かい不便があるのが本当に嫌なので、もともと海外旅行も嫌いでした。

 

日本での日常生活も、じっきょーは手間を少しでも減らすために工夫に工夫を重ねて

質の低い使えればいいレベルの雑な手作りの棚とかで周囲をかためるのが

自分の生活スタイルだったことに気づきました。極度のめんどくさがりなのです。

 

 

あとは

アパート、ガス、電気、水道、保険が数種類、ネット、、、

の英語の書類が入った封筒が連日届きまくって、ほっとくわけにもいかず

ここまで書いたような心と体の状態を休めたいにも休めない状況でした。

仕事時間外の少しあいた時間は、これらの書類の長文読解が待っていました。

 

 

思い出しましたが買い物も大変でした。

ゆうて全部食べられるのでしょうが、

スーパーに入って商品が並んでいてもすべてが英語です。

裏面を見ると超小さい字で英文がずらーーーーーっとならんでいて意味不明。

何が安心して食べられそうなのか

何が入っているのか

言葉によってはぐぐってもヒットしない言い回しがあったり

1人、野菜コーナーの前で何分も何分もスマホで検索しながら突っ立って

次は肉コーナーの前で何分も何分も、

冷食コーナーでもそう

お酒コーナーでもそう

調味料もどれが何なのか全然わからないし

そもそも何がどこにあるのか探すのも時間がかかるし

店員に聞けないし

なんてやっているとスーパー1つで1時間は簡単に超えるような感じでした。

そもそも種類もとてつもなく多いです。

たまごだけで10種類以上売ってます。

ウインナーだけで数えきれないくらいの種類が売ってます。

 

 

セルフレジも親切に音声案内が出ますがわけわかめだし

有人のレジもベルトコンベアが動いていてそこに載せないとだったり

あとはなんかレジの人が言うのだけども何言ってるかわかんないし

今コロナだからみんなマスクしてて余計聞こえないし

 

 

車は日本では大きいのが嫌で軽自動車でしたが、

こちらでは会社の車を引き継いだので

問答無用で外車のSUVです。とにかく超でかいです。

かつ左ハンドル。かつ右側走行。速度はマイル表記。

でかすぎてまわり見えないし車体感覚ないし車庫超狭いし

というかガソリン使い切っちゃったらガソリンの入れ方わかんないし

 

 

 

 

 

というのをとりあえず全部乗り越えて今生活しています。

このあたりの不便さには一応慣れたり、回避する方法に気づいたりしつつ、

なんとかやっています。おいしいお米も見つけました。

最初は郵便受けを開けた瞬間に入っているたくさんのチラシも、

一応英文調べて目を通さないとゴミと自信をもって判定できませんでしたが、

今は読まずに捨てられますし、書類関連もどれが重要なのか、どれが無視していいのか、

重要な書類でもどこを見なくていいのかが(見ないといけないかもしれないけど)わかってきたり。

お風呂も側面の排水溝をうまくふさいでぎりぎりつかれるようにしたり

外人になんか言われて意味不明でもびびりはしなくなってきたり

買う食材も決まってきたり

して生活の流れが整いまして

おととい車の免許の試験に落ちたのですが、

きょう再チャレンジして正式にアメリカの免許も取得できて、

なんとかいろいろが一段落しつつあります。あと2日で3か月が経ちます。

やっぱりそういうのって3か月なんだなとつくづく思います。

 

 

 

 

12月はとにかく大変だった中、

彼女とはまだ頻繁に連絡を取り合っていたので、

クリスマス前ごろに

じっきょーを元気づけるためにお手紙を送ってくれました。

年末年始だからなかなか届かないかもしれない、2週間くらいかかっちゃうかもしれない、

と送るときに言われたそうですが、

郵便受けを開けるたびに期待してあけていましたが、

そのお手紙はまったく届くことなく

彼女とももう届かないんだろうね、とあきらめてしまいました。

 

 

そのお手紙が

2か月以上たった今日突然届いたので

その話を書こうとしてブログを開いたのですが

気付いたらべつのことを書いてしまったので

 

また次回書こうかと思います。

 

 

2か月前に発送され、お互いに諦めていたそのお手紙を

いま、彼女とうまくコミュニケーションが取れずに悩んでいるじっきょーは

どのような気持ちで受け取ればよいのかわかりませんでした。

封筒には、片側だけ記載され、ハンコがおされた婚姻届けが入っていました。

 

 

じっきょー