はい。私の強みは誰よりも強い向上心です。





こんばんわーじっきょでーす。





ホントに向上心が強いのでしょうか。


向上心が強かったら今とかもっと全力で就活やって


なんとしてでも内定取ろうとしてるはずじゃないの?




回想してみました。






高校とかテストで一生懸命一番とったけど


それって実際ただの正当化とか逃げだったなって思います。


クラスにうまく友達つくれなくって


話す相手もいないし


だからせめてもの存在感を保つためにテストで結果出すとか


休み時間もべつに話すやついないから勉強して


話せないんじゃなくて話さないんです的な正当化して


自己防衛してみたり


たぶんそれが一番ラクだったんじゃないのかなあ。


でも一応勉強するやつが偉い事になってたし


勉強が正当化もできて友達あんまいない自分からも逃避できる


非常に有効な手段だっただけな気がします。


友達できない現実からの逃避と正当化と、せめてもの存在感維持の手段が勉強だったんですね。


こういうのって向上心が強いとは言わないですよね。実際。





そんな高校時代のじきょうにも


部活にはたくさん友達がいました。


もし本当に向上心が強くて友達とも話さずに勉強に明け暮れていたのなら


部活でもそうなってるはずです。


休憩時間も人と話さずに自主練習するだとか。


でも実際違いました。


部活では休憩時間はおろか


練習中も友達とぺらぺら喋りまくって騒いでいました。


ランニングの日は友達と話しながらウォーキングする日にしていました。







やっぱり友達優先なんでしょうね。


向上しなくてもそれなりに存在感がある自負があれば


自己PRするほどの向上心は発揮しないんですねたぶん。








大学入学後は


部活に入ったものの1カ月でやめました。


この1カ月は結構必死に練習しました。


いっけん向上心発揮しているようにみえます。


でも実際は違うと思います。


うまく友達が作れなかったのです。全く部活の輪に入れませんでした。


話す相手がいないから練習に打ち込んで


練習で雑談どころではない  という空気を出して


自分を守っていたように思います。


でも1か月でやめました。


なぜなら


輪に入れてるやつらがめっちゃ強かったからです。


頑張って練習したところで勝てる気はしませんでした。



輪に入れないからせめて存在感を示すために実力をつけるという理由で

それだけで頑張っているのであれば

実力をつけたところでそう簡単に存在感を示せるような状況ではなかった大学の部活では

頑張る意味がありません。


輪にも入れない。実力をつけたとこで対して存在感も示せない。





たぶん無意識に思っていたはずです。今この説明にまとめると非常にしっくりくる。


だから1か月でやめた。逃げ出したんだと思います。







それと似ているのが


こないだのバーミヤンでのバイトですね。


輪に入れませんでした。


だから実力をつけてせめて存在感を!


といつも通りに考えました。


でも


あまりにベテラン勢が多すぎて追い付ける感じではありませんでした。


厳しすぎて新人は皆、即やめるという状況だったようで


2,3年のベテランばかりだったのです。追い付けないと判断しました。


大学の部活と一緒です。


そう思うとすぐにやめます。


バーミヤンは3週間でやめました。



どこが「はい、私の強みは向上心です。」なのでしょうか。










大学入学後、じっきょーは全然勉強しませんでした。


授業はほとんど寝ていました。


高校時代、わからないところがあれば100%授業直後に質問していたじっきょーですが


大学時代には1度もそれをやっていません。


就活でも、どの説明会でも最後の1,2人まで残って質問しているじっきょーですが


大学時代には4年間で1度もそれをやっていません。


このように勉強をまるで頑張ろうとしなかったのは


友達ができていたからだと思います。


大学は入学直後に遊んでくれる友達ができていつも楽しくやってました。


だから


輪にも入れてるし


なんか色々とやらかしていたせいで、存在感も普通にバリバリある自負があったし


あえて勉強で存在感を示す必要がなかったんです。





そんなことしなくても皆じきょうの事知ってるし

楽しく話せるし仲間に入れてくれるし





そう考えるとやっぱり





向上心で向上してきたわけではないんでしょうね多分。


自分の存在を確かめられる一番ラクな方法が


友達をうまくつくれないじきょうにとっては


「実力で存在を訴える」という事だったんですね。





中学校とか小学校を考えるとホントにそうです。


努力なんてしたことなかったです。


なんでだろうなーって考えました。


たぶん努力なんてしなくても周りよりできたのもあるとは思いますが


友達もたくさんいたし


なんの危機感もなかったからです。






ただ一時期通っていたスイミングスクールではバカみたいに泳ぎました。


練習を見ていたお母さんも、お母さんと一緒に見ていた周りのおばさんたちも


あまりにも泳ぎまくっているじきょうを見て異常だと感じていたそうです。


ストイックすぎると。


超頑張り屋さんなんだと。


ただ


今思い出してみると頑張っていたわけではありません。


スイミングでじきょうは1人も友達ができなかったのです。


しゃべるやつがいませんでした。


先生も苦手でした。


だから仕方がないので


ぼっちだと思われないように全ての時間を練習で埋めたんだと思います。


そう考えたらやっとしっくりきました。








そろばん教室にも通っていました。


大して練習しませんでした。


まあ最低限の事はやってました。


それは


最低限の事をやらないと帰れないから  でした。


そろばんにはたくさんの友達がいたので


そいつらと悪い事ばっかしてました。


でも帰るために最低限の事をやっていたら


2段になっていました。





努力して2段とか、あとあとの美化です。そう考えると結構しっくりきます。





そろばん教室では


周りに


自分より2つ3つ上の階級のやつが常にいました。


悔しいなーとか、妬ましいなーとか、そういう感情はたしかにありましたが


だからといって、じゃあ全力で追い抜こう!とは思いませんでした。


抜く必要がなかったんですよね


2位でも3位でも4位でもよかったんです。友達がいたから。




教室にいっても友達がいない日は


とてもつまらないし寂しかったです。


だから、行って即座に練習してさっさと帰りました。


ひとりぼっち感が辛かったからです。




練習していればひとりぼっちでもおかしくないからです。自分でも納得がいきます。













向上心ではないんです。




この記事の最初に書いた疑問は






向上心が強かったら今とかもっと全力で就活やって


なんとしてでも内定取ろうとしてるはずじゃないの?






という疑問でした。






考えてみれば


みんなが内定出るまではものすごく必死で


就活とバイトを両立させていました。


狙いは大手。大手病です。




理由は簡単です。


バイトを週4でやっているのにもかかわらず、誰よりも早く大手に内定したら


存在感やべえな。って思っていたからです。



たぶんそういう事です。



べつに大学には友達はたくさんいますが


あんまり具体的に話しはしませんが


就活始まる前までになんというか


なんか寂しさというか


大学院で感じた皆に対する劣等感だとか


そういうのがあって


ここで一発存在感を!   という気持ちがあったように思います。







でも今はもうみんな大手に内定出てしまいました。


今さら頑張って


全然聴いた事ない中規模の会社から内定を取ってきたところで


なんのインパクトもないです。だから気も乗らないんでしょう。







というかもはや就活とかそういう話は


ブームが過ぎ去ってます。


就活とかそんな昔の話してるやつは今学校に行ってもいないです。










かといって、PRする事がないので



はい、私の強みは向上心です! といってるわけです。



もう向上心なんかないってわかってるのに言ってるわけです。



入社後も誰よりも強い向上心を活かしてエース級に成長して貢献するぜ的な事を



思ってもいないのに言ってるわけです。



今となっては実力を磨くことよりも



まわりに打ち解けることの方が自分にとっては重要なんだな。と思いながら。










だからここまで



何の目的もなく頑張ってきてしまったのです。



何の目的もなく自己防衛のために自己正当化のために勉強をしたり。



まあ高校の後半は医者になりたいと思っていたのでその辺は無駄じゃなかったと思いますが



結局医者の道に進めてないので無駄っちゃ無駄でした。



だったらもっと



遊べる友達と漫画読んだりゲームしたり映画見たり



ホントに楽しいと思う事を友達とやってた方が良かった気がします。








今書いてきた中で



防衛とかのために頑張っていた時期は



1位とか取れたとしても実際まったく人生楽しくなかった時期です。








1つの事に全力で取り組んで、周りよりも実力を抜きん出させるのは


実際得意なんでしょうけど


得意なだけで


それが快感なわけではないんでしょうね


本当に得たい快感を得られない事から目をそむけられて、かつ大人にも褒められる手段


しかもなんか勉強できるとか正しい道っぽい感じの歩き方


だったのかもしれません。







逆にでも


本当に自分がなりたい姿があって


そこにこの向上心的なものがハマってるときは


すごく楽しいです。


たとえばゲームとか。サッカーのゲームで友達を倒すために黙々と練習するとか。


友達に勝っている自分を想像して、頑張っているという状態です。


たとえば女慣れとか。いつか彼女をつくりたいと、必死で女の子と絡む機会を作ってるとか。


彼女ができて幸せになってるという理想を描いて頑張っている状態です。




実際ゲームは強くなったし、女の子にはめっちゃ慣れました。

これは防衛でも正当化でもなく、理想に向かって進んでる状態です。楽しいです。






強みは向上心というよりも


ほとんどのジャンルで、短期間でめっちゃ伸びれます。っていうのが強みなんでしょうね。


向上心という気持ちではなくて、そういう資質が強みなんだと思います。







やっと当たり前のことを飲みこめました。








だから、理想でもなんでもない状態に対して努力すんのはやめたいと思います。


せっかくの向上資質の無駄遣いな気がします。時間もお金もエネルギーも心も。





やりたくはないけど、やらなきゃならない事、 は最低限やっとけばいい気がします。


一応平均を目指せばいいかなって感じです。トップじゃなくて。






会社も年収もそうしようかなって思い始めています。


平均を狙って。


べつに全力で仕事して成し遂げたい事があるわけでもないんだし。


むしろもっと


時間と金が無限にあるならやりたいけど。。。と思ってる事の方に


自分を向けていった方がいい気がします。





そういうのは幸せを感じている時期の自分と似ています。




努力をやめるわけではないですが


方向性を変えていきたい気がしています。




守りの人生から脱却したいと思っています。





という事で、やりたいことやろうキャンペーンですね。




試しにさっきちょうどテレ朝でやってた


ミスター&ミセススミス っていう映画を見てみました。




普段なら、この2,3時間で就活の事を考えよう。とか思いますが


今日はゆっくり飯食いながら映画見ました。





とても幸せでした。 じきょう