昨日は
八ヶ岳でお勉強
(八ヶ岳アンジェリさんのランチはめっちゃ絶品❤️)
地道に運転して
行き帰りゆっくり8時間かけて
自分と向き合ってきた
帰ってきたのは深夜1時半💦
宣言通り
6:30〜朝瞑想
瞑想の間はしっかり起きれてたけど
瞑想が終わったら
一気に脱力して布団に直行😢
頑張れない体になってる自分を感じる
⭐︎
Facebookを見てたら
「アイザック症候群」
というのを見つけた
目に見えない不調を訴えられない
あるいは
伝えられたとしても、
原因不明ということで
医療者側から冷たくあしらわれてしまう
その中で
「心因性」「精神的」と言われると
何も言えなくなる
というのがあって
?!
と思った
⭐︎
心と体はつながってるから
心因性や精神的なことが原因で
身体症状が起こるのは当たり前のこと
だけど、
「何も言えなくなる」
という意見の背後に
「心因的」「精神的」が原因の病気を抱える方
に対する偏見のようなものが匂えてならない
のは私だけだろうか?
単に
「精神的、心因的な原因だと治療法がないから
助けてくれない絶望感」
なら良いのだが
「精神的、心因的と言われたから
これ以上病状を伝えると
「頭がおかしい人」と思われるから
我慢して何も言えない」
だった場合、
相当な精神疾患を抱える人に対する
スティグマが根強いものとなる。
☆
こちらに書かれている内容だけを考えると
おそらくこれは
医療者による二次被害によるPTSDなのではないか
と思う。
原因不明の不定愁訴を抱えるほとんどの方は
病院に行くまでに
身近な人に相談しては「気のせい」と言われ
それでも強まる症状に
「こんなことで行っていいのだろうか」
と散々悩んで苦しみ抜いた挙句に
受診する人がほとんどだと思う
苦痛も周りが理解してくれない孤独もが
臨界点に達した時に受診して
このように対応されれば
「傷つけられた」と思うだろうし
孤独は一層深まる
孤独な状態で生命に関わること
はPTSDの診断基準にあるが、
医療者側から見た「命に関わる」と
患者側からの「命に関わる」の認識には
大きな乖離が存在する
苦痛を我慢して我慢して我慢し尽くしている段階で
「命に関わる」状態なのに
そこに医療者からの心無い対応で
孤独に突き落とされる
(医療者は診断基準で命にかかわるかを見てるので、
自分で歩いて外来受診してる段階で「命に関わる」と判断してなかったりする←ERでは違うけど、、、)
患者からすれば医療者は力を持った存在
対等な関係性は存在していない
力の差がある時の心無い一言は
心を抉るには十分な破壊力を持つ
☆
種々のハラスメントは
双方に力の差があるから生まれる
ここでは
医療者と患者という二者で
力の差が存在する
その力の差で受けた傷は
さらなる力の差を生み出すところで
昇華されるのだとしたら
「心因性」「精神的」」と言われる
=精神疾患
のレッテルを貼られたくない
というところに垣間見えるのかもしれない。
⭐︎
人は誰でも平等に
対等な存在として生きることが
当たり前の世界なら
誰かを責めることもなく
誰かを軽んじることもなく
あるがままの存在状態を感じる
だけで十分癒される
それがない世界なら
どこかに力の差があったり
偏見があったり
あるべき姿を提示され続けたり
それによって傷ついた人たちが
理解されることなく
あるがままの姿も存在許容されない
その傷つきが
新たにスティグマを生み出し、
連鎖は続いていく
そういうことが当たり前なのかもしれない
⭐︎
力の差
対等で無い関係性
分離
それらが融合してなくなっていった時に
こういった体の不調を訴える人たちが
いなくなっていくのかもしれない
そういう世界にしていきたいなぁ
(コーヒー豆を乾かしてにおい取りをつくってみた)
🦒きりん🦒


