私はもうKさんをいないもの、存在しないものとして扱うことにした。視界にも入れたくない、挨拶もしたくないほどだったけど、さすがに社会人としてどうかと思ったので適当に心をこめないで返事をした。事務所に2人になるとひとこともしゃべらず、ただPCのキーボードを叩く音だけが響いた。電話は別室でして、どうしてもしんどいときは別室に自前のPCを持ち込んだり、ポケットWiFiを購入して外でPC作業ができるようにした。
どうしても私はKさんが許せなかった。Kさんを認めることは、自分の根底を覆すぐらいの覚悟が必要だった。なぜ許せないのか。嫉妬なのか。私が長い時間をかけて苦労して今のポジションを手に入れたのに、Kさんはずっとのほほんと生きてきて、自分のことばっかり優先して生きてきて、それなのに上司や先輩の前では褒められることばかりを意識して優等生ぶっているようにしか見えなかった。
Kさんを許すことは、今まで私がしてきた苦労や努力がすべてガラガラと音をたてて崩れてしまうことを意味していた。Kさんはあとから入ってきたのに優等生で特待生扱いで、私なんか足元にも及ばないくらいの勢いで追い抜いていき不戦勝で上に上がっていった。Kさんの目の上のたんこぶだった別の同僚のYさんは、Kさんが上司に苦情を言っていったことで異動になり、Kさんは人事の面でも力を持つようになっていた。
きっと私のことは、低学歴で粗削りで底辺人間なのでこびへつらう必要はなく、上から目線で高見の見物でもしている気なんだろう。それに何の苦労もなく、きれいな水の中で生きてきた人だから(上司もそういう人間が好き。上司の差別感、蔑視はすごくて、実はアンチがたくさんいるのも知っている)、この職場には合っているんだ。合わないのは私のほうで、私のほうこそ不要な人間なのかもしれない。
Kさんを前にすると、私のネガティブな感情が一気に総動員する。嫉妬、投影、認知の歪み、劣等感、嫌悪感。私はものすごいコンプレックスの塊で、幼少時からの傷つき体験やトラウマも大きかった。今までの職場でも口の悪い威圧的な人のターゲットになりやすく、ずっと傷付いてきた。裏表が激しく、表面では理性的にふるまうことができても、ものや娯楽に依存しやすく、社会的に逸脱していた時期もあった。私は生きてきた過程で傷ついてきたことが多く、人として大きな欠落があるのを感じていた。自信がなくて、自分には価値がない、無価値感の中で生きてきた。
そんな私の人間としての闇を、Kさんの存在はすべてあぶり出して見せてきた。ミラーリング、鏡の法則というんだろうか。Kさんは、私の中の見たくない、封印していたはずの心の闇をすべて鏡に映し出して、これでもかこれでもかと見せてくる、私にとっては悪魔みたいな人だった。
苦しくて苦しくて、いろいろネットで調べてみたら、こういう現象は自己防衛機制の中の「投影」というのだということがわかった。投影とは「自分の中で抑圧していて認めたくない部分を、他者に見出し反応(攻撃したり嫌悪感を感じたりして自分を正当化する)して、心のバランスをとっている状態」とのこと。ユング心理学では意識している自分、役割や期待に応えて作ってきた自分を「ペルソナ(仮面)」、その反面幼少時から好ましくないものとして抑圧してきた自分を「シャドウ(影)」というのだそうだ。
私の中のシャドウとは何なのか。何がそんなに私の感情を刺激するのか。この年になってどうしてここまで嫌いな人が現れて私を苦しめるのかわからなかった。私の中の直視したくないほどのコンプレックス、トラウマ、心の闇。抑圧してきたそれらのシャドウを、今あらためて見直すときが来たのかもしれない。