いやーもうね、やられた。





もうね、
出てくるわけですよ。


私の隠れブスが。
てかね、私だけじゃなかったとも思うの。


いやーもう
出てくる出てくる。

今日はグレースのおもらしの話なので
お食事中の方はあしからず。


先週1週間は
本当に美人にお会いできることが多くて。




すごくすごく嬉しくって。
行けなかった場所にも
行けるようになって。
会えなかった人にも
会えるようになった。


それが本当に、本当に
嬉しかった。


まさに脱〇系女神と言われても
過言ではなかったんです。


でもね、でも。


まだいたんです、私の中に


脱しきれてないう〇こが。



隠れキリシタンならぬ
隠れう〇こ



あの頃の自分だったら
行けなかった場所。

あの頃の自分だったら
会えなかった人。

そこにいることが
とても心地いいと感じる分


どこかで
とてもこわくなりました。



あぁ、もうこれまで一緒にいた人たちと
一緒にいれなくなるんだ。



って本当にわかったから。



人は段階を経て
関わる人たちも変わってくる。
それはごくごく当たり前で
自然なこと。


物事の見える世界が
どんどん変わっていくから。


その変化に
道半ばのグレース、
ビビりました。
ほんと、おもらしで垂れ流しですよ(汚)



そして、禁断の呪文


「どうせ私なんか」


を唱え始めたものの
ものすごい違和感があって。


あんなに
この呪文が心地よかったのに
この呪文を逃げ道に
私は隠れられたのに
出てくるのは



何言ってんの?
あんたそれだけやってきたのに
まだそれ言うの?

ねぇねぇねぇ
自分のことまだ舐めるの?
女神舐めてるの?


それだけやってきた
自分まだ舐めてるの?
あめちゃん欲しいの?


中途半端なこと
やってんじゃないよ。
馬鹿言ってんじゃないよ。



そればっかり。


そう、
自分はね、ちゃんとわかってるんです。


自分がこれまで本当に頑張ってきたこと。
そして、それは
他の誰かのようになりたくて
頑張っていたようなものだったことも。


そこから今は



自分を生きるために
動き出していることを。




舐めてたんです、ほんとに。
自分のこと。
そして周りのことも。


まだまだまだ
隠れていたかった。
なんて恥ずかしいのか。



自分を生きることを
選択していくことは
自分の中に隠れているものも
たくさんたくさん
見ることでもあるんです。


で、私たちは
それをちゃんと見ることができるし
見ないことを選択することもできます。


禁断の呪文を
ずっと唱えていくことを
選んでもいいし


それをもう唱えないことを
選んでもいい。


その上で
私はもう唱えないし、
唱えないことを選ぶ人と
一緒にいたい。


誰と一緒にいるかも
私たちは選べるんです。




自分の中の美しさを
解放するのは
自分しかいないんだから。


だからもう、
おもらしの隠れブスはおーしまい。