立春も過ぎて気がつけば3月
2月はいろんな事があり過ぎて
しんどい月になりました
今年の節分は
宅配寿司で海苔巻きを注文
息子たちが小さい頃は
細巻きを作って丸かぶりさせてたけど
恵方巻(太巻き)を買うようにになってからは
一口サイズにカットして食べてた
なので、切らなくて済むように桶入りを注文
それなのに届いたのは
あら…?恵方巻…?
嘘‼︎
受け取った夫は商品が違うことに全く気付かず
あ~ぁ、切らないといけないじゃん
去年は、ちらし寿司
来年も宅配寿司なら
間違えられないようにちらし寿司にしよう‼
1月は母の体調が良くなく救急車で運ばれたり
回復したと思ったら、コロナに罹患
で、早退やら欠勤が続いた
何だか自分の体調も今ひとつ
特にどこがという感じではないけど
よく眠れなかったり
目の奥がズーンと重かったり
病院へ行くほどではないと思うけど…
自分の身体の事なのに
上手く先生に説明できる自信がないって事も
あるかな…?
夫とランチ
君とハンバーグを食べたいへ
トリュフデミグラスハンバーグ
これは↑夫
柚子おろしハンバーグ
奥にうっすら見えてるのはウズラの卵
おすすめされて卵かけごはん
ご飯は釜だき!お代わり自由です
🍚
2月初め実家の菩提寺にお参りに行ってきました
先祖と父、兄のお位牌を預かってもらっています
父と兄のお位牌(戒名)を見てると
やっぱり泣けてきてしまう
せめて兄が生きていてくれてたら良かったのに…
いつも思う事です
------ここまでは下書きに保存してたもの-----
2月中旬
再び母の発熱、誤嚥性肺炎と言われ
しばらく仕事は休む事にし
毎日母の所へ通う
面会制限があり
いつもは10分程度しか居られなかったけど
特別に許可され母の個室で好きなだけ居られた
昨年の夏の終わり頃から傾眠傾向があり
車椅子に座ってても寝てばかりで
母との会話は殆どできてなかった
(声をかければ返事はしてくれる)
最後に会話らしい会話をしたのが
11月初め頃
会話と言っても
私が話す事に相槌をうったりする程度
たまにトンチンカンな返事が返ってきたけど
それはそれで嬉しかったりした
ホームに入ってからは
「お父さんもお兄ちゃんも迎えに来てくれん」
「もう死にたい」が口癖だった
その後
ホームでインフルエンザが流行り
面会禁止になっていたので
11月下旬から救急車で運ばれた1月初めまでは
全く会えてなかった
病院で会った母に声をかけると
「ごめんね」と返ってきた
それが最後に聞いた母の声
下顎呼吸が始まってから
10日がんばった母
24時間もつかどうかと言われ
母の部屋に泊まる事が許可され
一緒に過ごした
勤務時間が終わる職員さんが入れ替わり
母の顔を見に来てくれ
話しかけたりしてくれた。。。
息子達も駆けつけ何度も声をかけてくれた
大好きな孫に会えて少し表情が変わった気がした
その後3日頑張った母
どんなに呼びかけても目を開けることがなかった母
最後の一日は両目を開けてくれ
何か言いたげな表情で私の顔を見てた
一旦夫が帰り母と2人きりになった
もう一度声をかけ
母の好きだった歌を口ずさんでた時
開いてた目がすーっと閉じ
息が止まったのがわかった
静かに静かに苦しむ事なく
眠るように父と兄の元へ逝ってしまった
母には子育て期に本当に助けてもらった
お母さん、ありがとう
本当にお疲れ様でした。。。またね。。。