遊庵です。
ちょっとだけ、真面目な話をしよう。



ヒトの価値とは。

僕によく『自分を大事にしなさいよ』と云う人が居る。
何人かだけど・・例えば姉上とか。
よく『遊庵は自分の評価が低い』と云ってくる。

僕は、そうは思わない。
自分の価値にみあった評価をしていると思っている。
その上で、云わせていただく。


僕には、価値が無い。


まぁ一般人と比べて、だけどもw
例えばその比較対象が、人殺しとか虐待する母親とかだったら、違ってくるけども。
それでも大抵のヒトと比べて、僕は価値が無いと思う。

僕の云う価値、とは。
金があるとか、地位があるとか、そんなんじゃなく。
『優しさ』を所持しているか、で。
それを基準に考えると、僕には価値が無いことになる。
僕は、優しさを所持していないから。


それでも、中には『遊庵は優しいね』って云う人もいる。
それにいつも僕は『優しくないよ、』と返すけれど。
その言葉は事実であり、真実である。

僕を優しいと思うのは、きっとその人自体が優しさを所持しているからで。
優しさを所持した人は、他者の言動を良いようにみることが出来ると推測する。
この場合の『良いようにみる』とは、『都合よくみる』ということではなくて。
説明しにくいけれど、『素敵な部分としてとらえる』ことが出来る、ということ。
優しさを所持した人は、他者の言動を『素敵だ』とみることが出来る・・ということ。


じゃあ、僕は?というと。
僕にはそれが出来ない。


例題1:可愛いね。
・・これは数時間前、ツイッターでも呟いたけれど。
僕は『可愛いね』と云われても、嬉しいとは思わない。
何故か。

回答1:自分の顔がそもそも好みではないから。
・・まずは此処。
僕は、僕の顔が嫌いなタイプである。
芸能人を見て『あの子が可愛い』と云うように分類するなら、僕は僕の顔が好みではない。
だから同意しかねる。

回答2:そのあとに続く言葉がみえるから。
・・これはもう、暗示のようなもので。
昔から僕を『可愛い』と云う子は、大抵その続きがある。
『遊庵って可愛いよね、いいね、可愛いと何しても許される』
『遊庵って可愛いよね、だから皆騙されて、周りが被害受ける』
自分自身が『可愛い』と思っていなくても、それさえ否定される。
『遊庵さ、それって謙遜のつもり?逆に嫌味だよ』
『自分の顔が整ってるの利用して、みーんな遊庵のこと構ってくれるもんね』
『そうやって実は、周り全員が自分を飾る道具だと思ってるんだよね?』
・・・いつ、誰がそんなことを云ったか。
でも、周りはいつもそう僕に云ってきた。
だから僕にとって『可愛いね』とは恐怖の対象である。
僕のことを『可愛い』と表現する子は、離れていってしまうから。


例題1をふまえて。
『優しさ』を所持した子は、こういった場合『嬉しい』と思うことが出来ると推測する。
『可愛いね』という本来は褒める言葉をかけられた場合、純粋に喜ぶことが出来る、と。
かつ、『そんなことないよ』と謙遜することも出来る力をもつ。
・・僕から云わせると、つまり、ハイスペック。
上記で僕が云った『他者の言動を良いようにみることが出来る』とは、こういうことである。


つまり。
それが出来ない僕は、僕にとっては『優しさを所持していない』ということになる。
あくまで、僕の中では・・と念押ししておこう。
これは僕の見解であり、分析結果だから。



此処まで書いておいて、なんだけども。
出だしで『真面目な話をしよう』とか云っておいてww
僕が、真面目な話が苦手なのが露見しただけってゆーww
全然真面目な話出来てないな?
・・・頭、寝てんのかなァw
・・それとも作業しろってことなのかしらw



これ以上僕の頭が悪いことを晒してもしょうがないので、云い逃げしようと思う!

おわりっ





ツイッタで呟こうと思ったけど、予想より長くなりそうやしTL荒らしそうやから久々の日記をばw



数年前、いっちゃん親友やった子とルームシェアしてたことがある。
その子は恋愛体質で、彼氏が出来ると連絡寄越さんくなる子やってん。
コッチからメルしても返事は数日後・・みたいなw
でも別れると毎日メルくれる子やった。

ルームシェアはじめる時、その子(・・今は仮に希、にしとこかw)には彼氏がおって。
だから、後々『私殆ど家に居なかったし』なんてことでこじれんのも怖くて条件出した。
『週3回は家に戻ってくること。』
せっかくルームシェアしてんのに、全く戻ってこんかったら意味ないやん?w
そーゆー理由もあった。
最初のうちは、ちゃんと約束も守ってくれて。
希は料理すきやったから、よく仕事終わって帰ってきてから作ってくれて。
僕は洗濯担当して、毎日洗濯機回してたww
希に洗濯物任せたら、バスタオルとキッチン布巾と下着とデニムを一緒に回すねんもんww
当時、希は輸入物専門のスーパーのレジ、僕はキャバクラ。
生活リズム違かったけど、僕が寝る前に希起こして仕事送り出してから寝るサイクルで、
よく話もしたし、呑みにも行った。

そんなある日、希が彼氏と別れた。
理由は彼氏の金銭感覚の緩さ。仕方ないことやった。
いくら希が注意しても、そん時だけ『ごめん』で、なおらんかった。
彼氏と別れてから、希は変わった。
元々周りの人に『遊庵と希は何繋がりなの?』て聞かれるくらい僕らは好みが違かった。
服装も希はワンピースとか可愛い感じのを選ぶし、僕は見た目だけで云えばギャル寄りだし。
それが、彼氏と別れてから変わった。
今迄僕に化粧やらヘアメイクやら頼んだこと無いのに、頼むようになって。
『この服なら、どんな髪型が似合う?』とか
『このアイシャドーなら、どんな感じでつけたらいい?』とか。
聞かれたこと無いようなことばっか、聞いてくるようになって。
一緒に服見に行っても、今迄は希の見たいショップ回って僕がアドバイスしてたのに、
『遊庵のよく行く店も見に行こう?』って云って。
しかも服の系統違うのに『これ、私じゃ似合わない?』って聞いてくるようになった。
僕はその変化が、ただ嬉しかった。
自分を可愛くないって思ってる子やったから、
オシャレすること楽しんでくれてんねやと思ってた。
だから自分のセンスと知識フルに使ってアドバイスした。
『希は鮮やかな色よりも落ち着いた色が似合うから、こっちの色は?』とか
『体型気になるんやったら、あっちのシルエットは?』とか。
めっちゃ楽しかった。 でも、楽しんでたのは僕だけで。

彼氏と別れて1ヶ月ちょいくらいしたある日、仕事終わりに携帯見たらメール来てた。
内容は『○○さん(呑み屋で知り合った男性)と付き合うことになった。』てやつ。
一瞬、意味が解らんかった。
確かにたまに呑み屋で逢って話することはあったけど、付き合うまでの接点が見当たらんくて。
今迄の彼氏も『すきになった~』て話があったあとでのお付き合い。
なんでいきなり『付き合うことになった』?
慌てて電話かけたけど出んくて、朝も明るくなってから戻ってきた。
とりあえず話したかった僕は、寝んと待っててん。
そん時、付き合うことになった経緯は『意気投合』て云われて。
正味相手の男性にあんまり良いイメージ持ってへんかったけど、
希には『彼氏』が必要なんやろなァ~って思って、深く追求せんかった。

でも。そこからまた様子おかしなってって。
夜中僕が帰っても家におらんことが多くなってん。
彼氏の家なら、そうやって連絡してくるはずやのに、それも無い。
僕は心配しぃやから、電話かけるわけよ。 でも、出ない。
何処に居るんやろ? 何してんねやろ? ってそんなん思って何度も電話かけるねん。
呑みに行ってるならそれでもええ、でも、希は呑んでヘベレケなると一人じゃ歩かれん。
それも心配要素やってん。
一人で呑みに行ってんねやったら、希が帰る時迎えに行かな帰ってこられへん。
せめて何処に居るか解れば自分も行けるし・・そう思って何度も呼び出し音鳴らしてん。
そんなんが希を苦しめてたのも知らんかった。

そんなことが度々あって、ある日。
それまでは何度か電話かけたら出てたのに、全く出ん日があった。
夜中仕事から戻って、家におらんの確認して電話したけど数回のコールの後、留守電。
明け方なっても戻らん、何処に居るかも解らん。
心配がピークになって、希が帰ってくるのをエントランスの前(要は外w)で待ってた。
じゃあ、朝8時半くらいに戻ってきてん。
僕も短期やから、そこで怒ってしまって。
『何で電話出ぇへんの?どんなけ心配したと思ってん?連絡1つ返せへんって何しとってん?』
そうやって責めてしまった。
ほしたら希は『○○さん(よく行く呑み屋の店員さん)といた。』って。
その店員さん、女に見境ない人で。 希の言葉聞いて、あぁヤッたんやーって思った。
でも希は俯きながら『何も無いから。ただ呑み付き合ってもらっただけ、一人で厭だし。』
そう云ったんよ。
僕はキレてるのもあって『一人厭やったら、メルくれたら僕、付き合うやん!』て云うた。
今迄だって二人で呑みに行ったりしてたのに。
連絡もせんと、一人で呑むの厭って何?って思ってん。
じゃあ希が云うてんよ。 『それが厭だったの。』て。
『遊庵と呑みに行けば、周りから遊庵と比較される。』
『遊庵は可愛くて、キャバしてるから会話の対処も上手くて。』
『でも私は何もない。』
『遊庵は私のこと綺麗やとか、ノリよくて他の客と楽しそうにしてるって云うけど。』
『そんなの遊庵やってそうでしょう!?』
『一緒に呑みに行っても、構われるのはいっつも遊庵。』
『遊庵みたいになりたくて、化粧とか髪の毛とか服とか気にしたりしたよ!?』
『でも結局!遊庵みたいにはなれなくて!』
『努力すればするほど遊庵みたいになれないことを思い知らされるの!!』
『遊庵は。遊庵よりあんなおっさん(よく行く呑み屋の店員さん)を相手に選んだん?って思うかもしれないけど。』
『そうじゃない、私は、遊庵より私の心を選んだの!』
『呑みたくて一人で出ても、何度も電話してきて。それが心配だって解ってるけど。』
『でも電話に出て”一人で呑みたい気分だから”って云う勇気も無くて。』
『・・遊庵より、自分の心の安定を選んだの。そうしないと嫉妬して、遊庵と笑って離せなくなる自分がいるの!!』
僕は口を挟むことも無く、黙って聞いてた。
苛ついた時、自分の感情をうまく伝えられなくて黙ってしまう子やから、口を挟んだら思ってること聞かれへんと思って。
ほしたら最後に希が云うたんよ。

『私、いつも遊庵の引き立て役・・・遊庵といると、惨めになる。』

そう云って、先に家に入ってしまってん。
さっきまではわざと黙って聞いてたけど、最後の一言で頭真っ白なった。
僕は希のええとこ、知ってる。尊敬してる。だから友達やし、一緒にいる。
でも、希は違ったん? 希は、僕が、『自分の引き立て役として希を隣に置いてる』って思ってたん?
最後の言葉がめっちゃショックやった。



あれから数年たった今、僕と希はまだ繋がってて。
希は別な男の人と結婚して、関東に住んでる。 僕は地元暮らし。
当時の僕と希のやりとりを、母上や姉上に話したことがあった。
二人とも口を揃えて『意味解らん』て云うた。
僕もショックなだけで、何であんなことになったのか解らんかった。

でも、今は当時の僕の何がいけんかったのか解る。
僕は優しさが足りんかったんやって、解る。
家におらんからって鬼電して。当時は『心配やった』の一言で片づけてたけど。
ようけ考えてみたらそれも、結局は『自分の為』やってん。
自分が安心したいから、鬼電して。連絡寄越さんかった希にキレた。
優しさなんて、どっこにもなかったんやなァって、今は思う。
『連絡寄越さん=連絡したくない・一人でいたい』そーゆー合図やって気付けばよかった話。
優しさも、思いやりも、気遣いも出来んかったから、あんなことになったんやって。

それに気付いた時から、ずっと、優しい人になりたいって思ってる。
まだ、全然なれてないけどw
ヒトの気持ちをくんであげられる人になりたいって、思ってる。
そうなれたら、もしかしたら僕にも価値が出るかもしれんとか、そんな打算もしてる辺りしょーもないけどww



優しい人に、なりたい。
なれたら、価値がある人に、なるかもしれん。
そしたら、ほんのちょっとだけ、自分の呼吸を許せるかもしれん。
結局欲ばっかりやけどw
でも、そんな人になれたらええなァって思ったりするわけです。





長すぎたwwww
おーわり!!w

お久しぶりな遊庵です。
暫くPCから離れ、今も前ほどPCと戯れてはいない日々です。

PCから離れている間、たくさんのことがありました。


はじまりは4月末。
その前から親類が数名入退院を繰り返してて、忙しかったけれど。
4月末を皮切りに、ほんとに忙しくなってしまったんです。
大切な人たちからの連絡も返す余裕なくなって、親戚以外に会話をすることもなくなって。
そんなバタバタな中で。



5月30日、祖父が亡くなりました。

僕にとって祖父はホントに特別で、大切な人。
家族至上主義の僕だけど、その中でも祖父は父よりも母よりも姉よりも、誰よりも大すきな人で。

僕が産まれた年、祖父は60歳で定年を迎えたそうです。
そのこともあって、必然的に僕の世話は祖父がほとんどやっていた、と聞いています。
姉の場合は5歳まで母が世話をしたらしいのですが、僕は3歳で幼稚園に行ってたんだそうです。
朝、祖父が幼稚園バスに乗せ、帰りも祖父が幼稚園バスの帰りを待っていました。
僕にその記憶はないけれど、朝起きてから朝食も着替えもすべて祖父が世話していたそうです。
小学校にあがってもソレは変わりませんでした。
小学校高学年の時、祖父と自転車2人乗りで歯医者に行ったりしたことを覚えています。
とにかく僕にとって『祖父が居ること』が当たり前でした。
いつだったかもう覚えていないけれど、祖父とある約束をしました。

『ジジ様、僕ね、結婚したら絶対結婚式に誰よりも綺麗なドレス着る!』
『そっかー、ジジも見たいなぁ。』
『大丈夫よ、ちゃんとジジ様も結婚式呼んであげるから!』
『そっか、じゃあジジは遊庵のドレス姿見るまで死ねないなっ!』
『うん!!世界一綺麗なドレス着るから、絶対見てね!死んだら駄目!!』
『よし、約束な。』
『うん、やくそくー!!』

祖父はもしかしたら覚えていなかったかもしれない、それはもう解らない。
だけど、僕は忘れず覚えていて。
なのに、約束は守ってあげられなかった。


祖父は肺ガンでした。
気付いた時には歳もあり、手遅れで。
更にその肺ガンの検査で肺が刺激されて、結核まで出てしまって。
結核という病気は、専門の病院の隔離病棟に入らなければいけないんです。
肺ガンをメインにして治療したくても、結核が出てしまった以上それは出来ないんです。
結核で入院しなきゃいけないと祖父に伝えた日、祖父は云いました。
『絶対に入院はしない、』と。
今年に入ってから肺ガンやら足の血管が詰まるやら、そのほか諸々で入退院を繰り返していた祖父。
祖父からしたら『またか』とゆー気分だったんです。
何度もいろんな検査入院をして、それでも肺の痛みは無くならなくて。
・・当たり前ですよね、ガンは末期だし、祖父本人には肺ガンだって伝えてないんです。
『入院はしない、入院するくらいなら死んだほうがマシ。』そう云いました。
僕ら家族は1日でも長く生きてほしいと思っているのに、当の本人はそんなことを云うんです。
まさか祖父がそんな発言をするなんて思ってもいませんでした。
声を荒げたって駄目なことは解っていても、伝わらなくてつい怒鳴ってしまったり。
そんな日々が1週間ほど続きました。

結局祖父が折れて入院し、それから毎日片道車で1時間かけて見舞いに行くことに。
とは云っても、その時他にも入院していた親類がいたんです。
病院から病院へ、移動する日々でした。
最初は元気にしていた祖父も、日に日に弱っていて。
肺ガンのせいでご飯が食べられなくなって、薬も飲めなくなって。
薬が飲めないから肺の痛みも無くならないし結核も治らない。
治らなかったら、いくら家に帰りたくても帰れない。
つまりは、悪循環なんです。

そんなある日、医者に云われました。
『うまく飲み物が食道を通っていかないので、水を飲ませないでほしい』と。
医者曰く、水が食道を通らず気管に入ってしまうと駄目だから・・だそうで。
そう云われる数日前から、祖父はもう水しか口に出来なくなっていたんです。
だから僕が見舞いの帰りに看護師に『よく水が飲みたいと云うので、時間のある時にでも喉が渇いてないか聞いてあげてください』と伝えていました。
僕が云った一言が医者に伝わり、結果祖父は水を飲むことを禁止されてしまったんです。
駄目だと云われても喉は乾くもの。
禁止されたその日、僕と母と伯母が祖父の病室に行くと早速水が飲みたいと云われました。
『先生がね、お水飲んだら危ないから駄目だって』と云うと、あからさまに不機嫌になってしまって。
帰り際もいつもなら『気をつけて帰るんだよ』と云ってくれるのに、その日は『水も飲ませないで帰るのか』と云いました。

点滴で薬と栄養を入れる日々が続き、29日の夕方。
病院から電話が来ました、呼吸が出来にくくなっている、とのことでした。
急いで駆け付け、医者から『ここ数日』と云われ。
結核の病棟は、見舞いであっても長居は出来ないんです。
夜になり僕らは家に帰って、次の日・・30日、朝早く来たんです。
その日は数日前から医者に『新しい薬の説明があるので午後15時に来てください』と云われていました。
なんとかごまかしごまかしで午後15時まで居て医者から話を聞き。
17時ごろ、僕が母に『もう帰ろうか』・・そう云いました。
母は名残惜しそうに頷いて、祖父も『気をつけて帰りなさい』と云ってくれました。
家に帰宅したのは18時すぎでした。

電話が鳴ったのは、20時56分。
『心停止しましたので、すぐ来てください』と云われて。
病院につくと医者に『21時ちょうどに亡くなりました』と伝えられました。
気丈な母が声をあげて泣いてるのを見たのは、はじめてでした。
僕はすぐに、姪が病院に入れない為自宅待機してる姉に電話で報告をし、次いでまだ病院に到着していない親戚すべてに連絡を入れました。
『私も病院に行きたかった、』と泣きながら話す、電話越しの姉の声を今でも覚えています。
病院側の手続きは僕が引き受け、家を片付ける為、無理やり母を祖父から離し父と一緒に家に帰しました。
僕は病院から、祖父と共に帰宅しました。



それから。
忙しい中葬儀やら何やらをすべて終え、49日も納骨も新盆も無事終えました。
いまだに祖父が亡くなったことを理解していないのか・・泣くことが出来ないでいます。
頭ではきっと理解してるんです、でも、気持ちが納得出来ていない。
理解と納得は違いますから。

家の電話がなる度、心臓が委縮します。
祖父が入院している病院からじゃないか、と思ってしまう。
産まれてから一度だって『祖父がいない』とゆーことを体験していない僕は、頭では理解出来ても、気持ちが納得しないんです。
母は少し変わりました、食事の栄養バランスを欠かさなかったのに、最近は手を抜いているみたいで。
時折仏壇の前に座り、呆然としている姿も見ます。
今でも『あの日、夕方に帰らず病院にいればよかった。そしたら最期を看取れたのに。』と云います。
『帰ろう、』と云ったのは僕で。
だからこそその言葉を聞く度、自分の発言に後悔します。
僕は初七日の日、携帯の電話帳やメールの送受信ボックスを全削除しました。
家族や親しい親類以外と連絡を取るのが億劫になったんだと思います。
僕と繋がっていたいと思う人なら、また相手から連絡するだろうと思ったんです。
案の定、今日までに粗方の人とは再び連絡を取っています。
家族の前ではよく笑います、でも笑いながら『笑顔の作り方ってこれでいいんだっけ?』と不安になったりもします。




あの日から、何も変わらない毎日です。
だけど僕の中で、母の中で、家族それぞれの中で、確実に何かが変わっています。
祖父が亡くなるまで、何度も覚悟しなきゃいけないと思っていた筈なのに。
何度だって、覚悟する時間はあった筈なのに。
それが出来なかった僕は、地面に足がつかない感覚から抜け出せずにいます。


親戚中の誰よりも可愛がった孫が自分が死んでも涙すら流さない、なんて。
ジジ様はひどい孫だと思っているだろうか。
ジジ様が死んでからの異常な忙しさの中減ってしまった体重も、夏バテと重なっていまだに戻せない。
しっかりしなければ、と思いつつ何も変わってない自分がいるだけな気がしたり。
やりたいことも、スキなことも、見失った自分は嫌いなのに。
『少しずつ、納得していけたらいい』
『少しずつ、変わっていければいい』
そうジジ様は思ってくれるだろうか。
約束も果たせなかった孫を、忘れずにいてくれるだろうか。



親戚も、僕の愛するツレも、ジジ様より先に逝ってる人がいるから。
どうか皆、僕が逝くまでジジ様をよろしく頼みます。