こんばんは、ゆあちゃんママです
前回から少し日が空いてしまいましたが、前回の続きを書きますね
まだ、お読みじゃない方は、前回の記事を先にお読みくださいね
お腹の中に居たゆあが
「ママを自由にしてあげるために生まれてくるんだよ」
と言ったのに、生まれてきたゆあは、知的障害を伴う自閉スペクトラム症だと言うことが後に発覚して、とても育てづらさを感じる日々を過ごしていました。
「全然、自由じゃないどころか・・・大変すぎるやん・・・
ゆあの言ってた自由って、一体、何なの」
そう落胆した時期がありました・・・。
と言うところまで、前回は書いたのですが・・・。
その後、お腹の中のゆあが言った「自由」の意味に私は、だんだんと気づいていきました。
ゆあが言った「自由」とは、物理的な自由という意味ではなくて、
「心の自由」「頭の中(考え方・思考)の自由」
の事だったのです
その頃の私は、とても世間の常識やルールに縛られていたり、世間の目や親の目を極度に気にする、とてもがんじがらめな考え方をしている人でした。
その自身の考え方で、自分で自分の首を絞めているようなところがあって、
何事もちゃんとしなければ、完璧であらねばならない
母親とはこうあるべき
妻とはこうあるべき
女性とはこうあるべき
などという、自分の首を絞めてしまうようなマイルールをたくさん持っている人でした。
だから、子育てにおいてだけではなくて、何事においても生きづらかったし、しんどかったし、人の目を気にしてビクビクしているような人でした。
だけど、ゆあが生まれて、そのマイルールを崩さざるを得ない日々にどんどんなっていきました。
場所を気にせず、泣き喚く、大声を出す
人の目なんて気にしていられない
平気で人のものを取ったりする
周りに迷惑をかけまくる
一人では手に負えない事が多々あるから、人に助けてもらわざるを得ない
何事も予定通りに物事が進まないので、完璧にはいかない
やって欲しいこと・やりたい事がことごとく段取り通りにいかないので、適当に手を抜くしかない
・・・etc
常識?ルール?マイルールって何?
人の目・世間の目って何?
っていうような日々を過ごしていくしかなかったです。
そうやって、ゆあの心地良い環境と自分の事との折り合いをつけていく中で、私の中の概念がだんだんと良い意味で崩壊していきました。
良い意味で手を抜けるようになったし、毎日、お互い笑っていられさえすれば、それでいいよねって思えるようになっていきました。
それは、子育てにおいてだけではなく、私の人生においても大きな変化をもたらしてくれました。
世間の目・人の目を気にしなくなった
完璧主義を手放せた
いい意味で力を抜いて、手を抜いて生活できるようになった
人と楽に関われるようになった
素直に助けてと甘えることができるようになった
自分を大切できるようになった
・・・etc
ゆあを通して学んだことは、本当に計り知れなくて、私の人生を変えてくれました
ゆあの言っていた「自由」というのは、これだったんだなぁって、今は、心の底から思えているし、ゆあが居なかったら、こんな「心の自由」は、手に入らなかっただろうなぁって思っています
ちょっと難しい話だったかもですが、今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました
また、次回も「自閉症娘に学んだこと」の続きを書きたいと思います
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