雨の日は
日が出てる日と
同じように生活できるわけではないから
いつも難儀だと感じはする。

とりあえず
夕方スーパーに向かいながら
小学生の時に
唯一褒められた経験を思い出した。
小学六年生になり初めての学年集会。
外でやる予定が、体育館に変更になり
向かって歩く。

恐いと噂になっていた
学年主任の先生。
年は母が苦手な親戚の叔母さんくらい
どっしりした体型に、口紅の赤が目立つ顔。
スイッチが入ると止まらない金切り声。
裏では『歩く三宅島』と呼ばれていた。

その先生に話しかけられた。
先生「何で長靴を履いて来たの?」
私 「雨だからです。」
先生「恥ずかしくはない?」
私 「何が恥ずかしいんですか?」
先生「長靴を履いて学校に来ること。」
私 「なぜ長靴を履いて学校にくるのが恥ずかしいんですか?」
先生「みんな服に合わせたかわいい靴を履いてるわ。下駄箱には一つも長靴がないし、みんなと違って恥ずかしくはないかな?と思ったのよ」
私 「雨が降った日にかわいい靴を履いて汚したら、かわいくなくなります。それに靴下が汚れたら上履きも汚れちゃいます。通学路や移動で歩く時間より上履きで歩く時間の方が長いです。汚れた上履きで過ごした方が恥ずかしいです。」
先生「さすが上級生ね。その気持ちのまま卒業までよろしくね。」

当時は
『歩く三宅島』と呼ばれていた理由はわからなかった。

今も分かりはしないが
普段は、自然や魚、景観などで楽しませてくれるが、一度噴火をすると数年間楽しむことが出来なくなる可能性がある。
楽しむことが出来なくなるということを噴火に重ねていたのだろうか?

みんな感謝をしていたということか?
・噴火があり、楽しめるものが出来た
・噴火があるから、考える時間が作れた

それとも恐れていたのか?
・噴火があると生活がままならない

確かに『三宅島』で生活をしている方は
何十年起きにある噴火で難儀な思いをしてる人はいるだろう。

だが『三宅島』で生活をする理由があるのだろう。
難儀なことが楽しいと思える理由。
恐らく、あるのだと思う。

そして先生は
『島』ではなく『人』だ。

『島』という
自然の噴火が起こらないようにすることより

『人』という
人工の噴火を起こらせないようにすることは
気楽だ。

そんな思い出を
思い出して歩くと
スーパーまでの時間は
あっという間だった。

傘を袋に入れ
店内に入り
まず第一声で聞こえてきたのは
『雨の日セール!』
の館内アナウンス。

心にさしていた雨傘が
日傘に変わる

秋の空だから
自然なことだ。