政治学者である施光恒によって書かれ集英新書から2015年に出版されたこの本について書いていく。


構成としては、この本を読むに至った自分自身の経緯から始め、次に本書の内容要約といき、最後に感想を述べて締めくくる。最初に断っておくと、(1)経緯の部分は本当に個人的なエピソードでしかないので、読み飛ばして(2)要約から読み始めることをおすすめする。



そして、こういう本の紹介をすると英語に長けた者だと勘違いされやすいので、予め言及しておくと、僕の英語力というのは大したことはない。TOEICこそ900点を取っているが決してペラペラと喋れるわけでもなく、TIMESやECONOMISTを辞書なしで読めるわけでもない。つまり、日本の英語ぼちぼちな学生が『英語化は愚民化』という本を読んで、それを適当にまとめ、感じたことなどを簡単に書いてみた。それ以上でも以下でもない(以下はあり得る)。

(1)経緯
元々僕は大学では政治経済を専門に学んでいるのだが、いまいちそれに興味が持てず、どちらかといえば英語学習の方により多くの時間を割いてきた。なぜ英語に重点を置いてきたのかは自分でもよく分かっていない。TOEICで高スコアを取って就活で役立てたかったのか、あるいは外国人とコミュニケーションをとってみたかったのか(多分それはない)。動機は不明瞭のままとりあえず英語を勉強し続けてきた。

だが、今年の3月末にバイト先の同い年の女子から彼女の生い立ちについて聞かされ、僕は改めて「なぜ英語を学ぶのか」ということを考えることにした。というのも、彼女は小学校5年間をアメリカで過ごし、日本に戻って来てからも中高はインターナショナルスクールに通っていたという。

これまでに何人も帰国子女は見てきたが、ここまで英語文化に染まった人に出会うのは初めてであって、僕はある種のライバル心みたいなものを彼女に対して抱いた。なぜなら、僕は帰国子女が嫌い(というより負けたくない)だからだ。僕の個人的な偏見に過ぎないのだが、帰国子女は一般的にお金持ちであり、もちろん英語力にも長けている。だが、家が裕福ではなく(特段貧乏というわけでもないが)日本から出たことのない僕にとっては彼等はいけ好かなかった。いや、ただ単に彼等の国際色に憧れていたのか、もしくは嫉妬をしていただけかもしれない。とりあえず言えるのは、彼等から英語至上主義のようなものを感じとり、なんとなくそれに嫌悪感を抱いていたということだ。「日本人だし別に英語出来なくてよくね?」といったように。

そこで、僕はそのような自らの考えを強固してくれそうな書籍を探した。今思うと確証バイアスに陥っていたように思う。英語化に否定の姿勢を取った本はいくつかすぐに見つかったが、前述したように、僕は専門が政治経済であるため英語とそれを絡めなければ学校の授業では扱えない。そこで、政治学者の視点から書かれたこの本を選んだわけだ。

前置きが長くなってしまったが、以下では本書の内容を簡潔に要約してみたので、これから読もうと思ってる人や、英語教育などに興味のある人は参考にしていただければと思う。

(2)要約
第1草
◇英語教育改革の概要
・小学校3年~外国語活動、5年~英語正式教科
・中高での授業形態はオールイングリッシュ
・スーパーグローバル大学創成支援事…英語に力を入れてる大学には補助金が支給される
◇懸念される事柄
①小学生の日本語能力が落ちるのでは
②英語で授業を行うことによって学問そのもののレベルが低下するのでは…例えば、英語では高度な議論をしたり文献を読んだり出来ない
③日本語や日本人らしらを失ってしまう
④英語を苦手とする人々が損をする社会になる

第2草
◇キーワード
国語―抽象的かつ専門的な議論も可能な言語
現地語―日常的な事柄のみしか扱えない言語
・グローバル化史観
  村落共同体→国民国家→地域統合体→世界政府
・英語化史観
  グローバルの時代では英語こそが世界共通語
◇歴史
・中世ヨーロッパではラテン語が公用語とされ聖書や学問の世界でもそれが使用されていた。だが、当時はラテン語を読めたのは一部の特権階級のみであり、それによって庶民との格差が生じていた。しかし、宗教改革によってラテン語で書かれていた聖書は「土着語」に翻訳され、翻訳の過程で「土着語」は語彙も豊富になり文法も整備され「国語」へと発展していった。
◇問題点
日本で英語化すれば、英語を活用できるエリートと日本語しか話すことの出来ない大多数の中間層との間で格差が生まれる

第3草
◇英語公用語化論への反論(明治初期)
福沢諭吉
①その国の文化が発展するにつれ言語も発展
②日本人ならば日本語を学ぶべき
馬場辰猪
①英語学習には時間がかかる
②英語公用語化すると国の重要問題などを論じられるのはエリートのみになってしまう
③格差の発生
④国民の一体感が失われる…日本語を話すということで他者を同じ日本人として認識し、連帯感が生まれるが、そこに英語が入ってくると英語を話せる者とそうでない者との間にそのような感覚は生じずらく、これまで培われてきた同じ日本人であるという仲間意識が失われるのではないか

第4草
◇国家政策に関わる共通言語
・民主主義は「連帯意識」を必要とする。そのためには国民を統合する共通言語が必須である。新興諸国では上層階級は英仏語を使用するが、庶民は「現地語」を使っており、教育・経済格差が生まれている。
・再分配的福祉政策にも「連帯意識」が必要。
・多様な職業に母語で就ける社会こそが「自由」

第5草
新自由主義…世界を単一のグローバル市場にまとめ、一部の投資家や経営者が利益を最大化したいく。そのような社会では言語の違いは「障壁」とみなされてしまう。そこで、英語を世界標準語化し、日本もグローバルで活躍できるように英語化を進めていこうという方針になっている。

第6草
◇英語は単なる「ツール」ではない
①日本人らしさの欠如…英語を使用し日本語の使用頻度が少なくなることで、日本人独自の気質などが失われてしまう
②知的・文化的基盤…今は専門分野を日本語で学べるが英語化が進めばそれが出来なくなってしまうのではないか。英語化の進展に伴って日本語は徐々に使われなくなり衰えていう結果、日本語が「現地語」になってしまう恐れがある。
③良質な中間層…母語である日本語で様々な情報にアクセスすることができるため、日本人の中間層は世界的に優秀である。
④日本語や日本文化に対する自信の喪失…学校や会社で英語化されれば、英語=優れた言語 日本語=劣った言語というイメージが植え付けられる
⑤多様な人生の選択肢…日本は貿易依存度が10~15%程度で世界的に低く国内で多種多様な産業が営まれている。しかし、グローバル化が進み各国が比較優位な産業に特化すれば国内産業の種類は減っていき、国内で就ける産業の種類も当然減っていく。

第7草
◇英語化がもたらすこと
・世界中のあらゆるメディアで英語が使われることで英語はどんどん発展していくがその一方で他言語はその機会を奪われる。
・英語支配の序列構造…これは世界の人々を4つの階層に分けたものである。
①英語のネイティブスピーカー(米、英)
②英語第二言語話者(インド、フィリピンなど)
③英語を外国語として使う者(日本、中国、韓国)
④英語との接触のない者(イスラム諸国、北朝鮮)
つまり、日本が英語化すれば上から3番目の階層に位置することになり、仮に英語政策がうまくいったとしてもせいぜい2番目のポジションに甘んじるしかないだろう。
・英語による文化支配…アフリカ諸国では現地語で中等・高等教育が受けられず、職も限られている。
・英語では十分な能力を発揮できない…思考などをする際に母国語ではない言語で日本語と同じレベルの力を発揮するのは難しいだろう。
◇著者の提言
・日本語の世界標準語化…日本語の良さを世界にアピールして日本語を世界標準語とすることを目指す 。しかし、著者自身それは現実的でないと認めている。
・多文化共生世界…それぞれの言語や文化を互いに尊重していく。
・内需中心型経済…資本の国際的移動に規制をかけ、グローバルな企業や投資家ではなく一般国民の声を重視。それによって国民の所得・購買力UP→国民の生活の改善と安定

(3)感想
初めてブログというものを書いてみたが想像以上に疲れるし時間もかかる作業であった。レイアウトを凝ったものにするのが面倒だったので黒字一色で文字の大きさも全て統一した。読者からすると読みづらいブログだったのではないか。

要約は個人的に大事だと思った部分を抽出して書いたので、本の内容を全て網羅できてるわけではもちろんなく、僕自身英語教育などの分野は門外漢であり正しく表現出来たのかさえ怪しいところではある。

だが、著者が指摘しているように、このまま英語化が進んでいけば格差は必ずなんらかの形で生まれるとは思っている。そもそも言語というものはそう簡単に習得できるものではないし、やはりそれをマスターできるのは一部のインテリ層に限られてしまうのではないだろうか。ましてや、日本はこれまで学問の世界でも日常生活でも母語だけで何不自由のない生活を送れる社会であったのだから、植民地であった国々とは違い英語を学ぶ必要性が低い国であるといえる。いくら政府が英語化に力を入れようとも、学校の授業時間はたかがしれているし、それだけで英語力の飛躍を望むのは厳しいだろう。制度が整ったところで英語を勉強するかしないかは個人個人の姿勢に依拠する。すなわち、結局はその人の英語学習に対する意欲次第になってしまうのではないだろうか。

また、職場の環境に話を移しても英語化することによる弊害があるだろう。まず、社内公用語を英語にして、採用段階で英語力を求めることになれば英語を出来ないというだけで多くの人々が就職の選択肢を狭められることになるのではないか。仮に多くの会社で英語が公用語化されたとしても、いったいその内の何%の人がネイティブと対等にビジネスの世界で交渉などが出来るだろうか。せいぜい1~3%くらいなのではないか。

ざ~っと書いてみたが、この本を読んで僕は英語というものに対する自分のスタンスが大きく変わった。これまではとりあえず英語を勉強してきた。冒頭でも触れたが、それが時代の趨勢であると思ってたし英語を習得しといて損はないだろうと。しかし、読み終わった後は英語化の危険性などについて考えさせられ、今後もこの分野について更に深めていきたいと思った。正直自分は推進派か反対派なのかと問われるとまだどっちつかずな状態だということは否めない。とりあえずは反対派としとこうかなと思ってはいるが、今も変わらず英語学習は毎日継続している。

また、今回のブログでは触れなかったが(ブログは大変だったので恐らく今後も触れない)、永井忠孝という言語学者が書いた『英語の害毒』という本も読んでみた。最初は同じような内容の本かなと思っていたのだが、そうではなかったので、異なる知識を吸収できた。英語化へ反対という方向性はどちらもだいたい同じなのだが、その結論に至るまでのプロセスはかなり異なっており時間があれば読んでみて欲しい1冊である。例えば、『英語の害毒』では機械翻訳の有効性などについて述べられており、わざわざ時間をかけて英語を勉強しなくともそれを使えば、ビジネスでも学問でも困らないと主張している。個人的にはこちらの本の方が過激な提言をしており、議論の題材とするには良い新書だ。

あともう1冊、ここで軽く紹介しておきたいのが、英文学者の阿倍公彦によって書かれた『史上最悪の英語政策 ウソだらけの4技能看板』という本だ。こちらは上で挙げた2冊とは異なり、英語化を否定するものではなく、今政府によって推し進められている「大学入試の英語4技能化」の問題点に焦点を当てた書物である。
ページ数も150ページほどで字も大きく、一般的な読者向けにもかなり分かりやすく書かれているので、特に英語教育に携わっている方には是非1度目を通していただきたい内容となっている。

最後になるが、僕の性格上面倒なことが嫌いなので、成績に反映されるわけではないブログに推敲を重ねるということは論外であった。そのため、論理の飛躍や一貫性に欠けていたりする部分も見受けられたかもしれないが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。




いや、本当にブログって大変だった。もう少し真面目に書くからレポートとして1単位くらい下さいって感じ。いまいち誰に向けて書いてるのかも分からなかったから文調も迷ったし、当分は書かねえなこれ。