日時:2016年5月11日~17日
 
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                新宮市観光パンフレットより
 
5月14日(土)
    弥山小屋→八経ヶ岳→釈迦ヶ岳→深仙小屋→嫁越峠→持経の宿
 
5月15日(日)
    持経の宿→行仙宿→笠捨山→地蔵森→玉置神社→玉置辻(テント)
 
5月16日(月)
    テント→大森山→五大尊岳→七越峰→熊野川→①靡・熊野本宮
    →速玉神社→新宮ビジネスホテル
 
5月17日(火)
    ホテル⇒那智⇒那智神社⇔JR新宮⇒名古屋⇒東京⇒自宅
 
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新宮市HP:宮家準『大峯修験道の研究』(佼成出版社)参照
 
 大峰奥駈道には修行場と呼ばれた「靡(なびき)」が75ヶ所有ります。75の靡と云われ1番が熊野本宮で75番が吉野の「柳の宿」です。最初、役行者が大峰を通り吉野に至ったので、このルートを「順峰(じゅんぷ)」といい、吉野から熊野へ向かうルートを「逆峯(ぎゃくふ)」と呼ばれています
 
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 早朝の大峯の最高峰の・八経ヶ岳(1915m)で、これから歩く仏生ヶ岳~釈迦ヶ岳を望みます。「大峯」とは修行の吉野から熊野までの全体をさしますが、日本百名山で大峰山と言えばこの八経ヶ岳をさすことが多いようです
 
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 八経ヶ岳で昨日まで歩いて来た弥山と山上ヶ岳~大普賢岳の山々振り返り見ます
 
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 急峻な薙ぎが続く五鈷峰(ごこのみね)の山腹を、アップダウンしながらトラバースをします
 
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 仏生ヶ岳(1805m)へは縦走路から外れていて不鮮明な踏み跡を往復します。43番目の靡にて山名は釈迦の誕生を意味するそうです
 
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  孔雀覗から見る五百羅漢は、全国の数ある五百羅漢の内最大規模ではないかと思われました。まるでニューヨークの摩天楼か新宿副都心の高層ビル群のようです。今度こちらへ来る機会があればクジャク沢の方から見学してみたいと思いましたが、沢ルートは一般人には無理でしょうね
 
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 両部分けの険しい岩場です。両部とは修験道の世界では、吉野からここまでは金剛曼陀羅とみなし、これより熊野までを胎蔵界曼陀羅とみなしているようです
 
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 両部分からの岩稜に、岩小桜の種類のオオミネコザクラが咲いていました。初めて観た珍しい花です。嫁越峠で会ったルナさんにこの花の名前を教えて頂きました
 
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空鉢岳から望むと釈迦ヶ岳がピラミダルに見えます
 
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 360度の大展望の釈迦ヶ岳(1800m)山頂から歩いて来た弥山~八経ヶ岳~仏生ヶ岳方面を観ながら大休憩をしました。私は今回の大峯奥駈縦走路のなかで、釈迦ヶ岳付近の景観、花にすごく感動しましたので、この付近の良さを山仲間にもお勧めしたくなりました
 
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大日岳の登りで釈迦ヶ岳~四天岩と深山宿(避難小屋)を振り返り見ます 
 
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太古の辻に「これより南奥駈道」の案内板が有りました
 
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 石楠花岳にシャクナゲは少なかったが天狗岳付近はホンシャクナゲのトンネルが続きます
 
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 嫁越峠付近から望む釈迦ヶ岳~大日岳~石楠花岳~天狗山の山々です
 
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 嫁越峠です。女人禁制時に十津川村から下北山村に通じるこの峠を、花嫁が越すことを許された場所です。この峠付近で地元のルナさんと会いしばらくお話ししました。花嫁?みたいな方です。情報だけでなくプチトマトとフルーツまで頂きました。山に入って3日目に頂く新鮮なプチトマトは格別な美味しさでした。花嫁か観音様のように思えました
 
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 持教の宿には役行者所持の孔雀明王経がおさめられています。宿泊した持経の宿は新宮山彦クループが管理しています。夕方大阪在住の新宮山彦グループの二名の方が来て、毛布を使っていいよとか部屋の説明をしていました。なお、使用料は去年から2000円になっていました。この日の持教の宿の利用者は大阪の4人グールプとトレラン2名と管理者2名です。また皆さんが持参した酒、ワイン、つまみ、焼き肉をごちそうになりました
 
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 平治の宿には聖宝の大蛇退治の伝承があります。この小屋も新宮山彦グループが管理しています。(小屋使用料2000円です)。西行法師がここに泊り歌を詠んでいます。近代になってからは今西錦司博士も泊まっています
 
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 笠捨山付近はシロヤシオのトンネルが続きます。この辺から三日ぶりに携帯電話が通じますが、所々また不通になりました 
 
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 笠捨山は(1352m)は18番目の靡です。西行があまりの寂しさに笠を捨てた所です
 
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 鉄塔付近で鋭鋒の地蔵岳が望めました。槍ヶ岳~地蔵岳は連峰一の鋭鋒で垂直岩場の登り下りが有ります
 
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大峯奥駈道が世界遺産になった記念の石碑です
 
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 玉置山(玉置神社)への登りで、三日間歩いてきた弥山~釈迦ヶ岳方面が望めました。山上ヶ岳まで見えるそうですが遠くて良く分からないです
 
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 玉置山(1076m)山頂です。今回、玉置神社の宿坊に泊まることが出来れば荷を軽くすることが出来ましたが、二週間前に宿泊申し込み手続きが必要な宿坊で、16時までに到着必要とか色々と条件が厳しかったため、計画に入れませんでした
 
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 玉置辻の右側行き止まり林道に平らで静かな場所があったのでテンバにしました。しばらくぶりのツエルト泊ですが四日間で一番熟睡できた寝場所でした
 
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 大森山(1078m)山頂です。昨日まで天気が続いていましたが今日は曇り空です
 
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 五大尊岳(825m)山頂は痩せ尾根に有ります。ここから小さなアップダウンの尾根が熊野川まで続きますので精神的に参ります
 
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 七越の峰(262m)大峯最後のピークです。後は熊野川に下るだけです。七越の峰は熊野からの順峯であれば最初の峰になるピークです
 
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 一番靡の旧熊野本宮大社の大斎原(おおゆはら)が正面に見えます。吉野からの道のりもいよいよゴール目前です。熊野川で身体を浄め大斎原へ渡りたい所ですが、手だけ浄め橋を渡って熊野本宮に行き参詣しました。熊野川の中州(大斎原)に有った熊野本宮は明治22年の水害で被害を受け現在地へ移転していますが、今でもこの旧熊野本宮を参詣する人は多いそうです
 
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 熊野本宮大社の鳥居です。熊野大社へ参詣し、無事大峯奥駈道を歩けたお礼をしました。この後、熊野三山の熊野速玉神社と熊野那智大社を参詣します
 
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三番靡の新宮の熊野速玉神社の鳥居です
 
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二番靡の那智山の熊野那智大社の鳥居です
 
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熊野那智大社境内から拝む那智の滝です
 
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 今回の山旅が元気に達成できたことへのご褒美に、地元南紀の海鮮料理であるクジラ料理をいただきました。大峯奥駈道を全て歩くと170㎞ですが、今回は吉野から熊野までなので100㎞を越す山歩きになっていると言われました。登りの累積は約10000m以上、下りもそれ以上です。距離、累積の登降高さだけを見るとヒマラヤ登山並になっているようです。山が違いますけどね