私の好きな中国の故事成語の一つは、「千里の馬は常にあれども、伯楽は常にあらず」です。

 

伯楽は、紀元前7世紀、真の穆公に使えた人物。馬の癖、名馬か駄馬かを見抜く鋭い目を持っていたとされています。

 

伯楽が二人の男に蹴り癖のある悪馬の見分け方を教えていました。

二人は馬小屋へ行って馬を観察しました。

一人の男がある馬の前にまわり、「よし、分かった。こいつは蹴り癖が悪い。」と指摘しました。

もう一人が馬の後ろにまわって、尻を二度三度なぜたが、馬は蹴り上げなかった。

 

指摘した男は、鑑定を間違えたか、と悔やみましたが、後ろの男は言いました。

「いや、君が間違えたんじゃない。この馬をよく見ると前足の付け根が傷んでいて、膝が腫れている。」そもそも蹴る馬というのは後ろ足を蹴り上げて前足で体重を支えるのだが、膝が腫れていては、支えることが出来ない。だから後ろ足を蹴り上げなかったのだ。君は蹴る馬を見抜くのが巧みだが、腫れたひざをみぬけなかったのだよ。」

 

それは、まさに伯楽が教えたかったことでした。

全体をよく見ようということです。

 

人の能力、才能というものは、状況が整ってこそ発揮されるものなのです。

猿も檻に入れられたのでは、豚と同じだというではないかと、韓非はこう言っています。

 

名馬を見抜く名人だった伯楽を由来に、人を見る目がある人を名伯楽だと呼びますが、私は実は、名伯楽を目指しています。

多いなる野望です(笑)

名馬、駄馬、出来る、出来ないでのジャッジは実は大切な事ではありません。

誰しもにある、その人にしかない潜在的なチャームポイント、天才性、これからぐんぐん伸びるであろう芽を見つけて引き出すことを、共に楽しめたときに、人はまばゆい光を放つと思っています。

 

人材を見いだすって本当に難しい事だと思います。

私も生徒さんの良い所を探すようにしていますが、生徒さんがコンディションが整っていない、例えばやる気がない、疲れているときなどには、あまり状態が良くないため、

良さを探すのが難しいです。

 

ですから、常日頃からその生徒さんをよく観察してどんなコンディションが合うのか、

何の単元のレッスンをしているときに輝くのか、やる気が出ないのは何故なのかなど、

生徒さんが置かれた環境を考えながら、どういう環境で最も輝けるのかを考えて、より良い環境づくりを目指しています。

 

そして提案していきます。自分に合った環境に身を置くことが自分の才能を伸ばす近道です。そのより良い環境を作ってあげるのが私の仕事であり、色々試しても私に合わない場合には、違う環境に行っておいでと明るく送り出すことも私の仕事の一つだと考えています。

それは、生徒さんのためであり、私のためでもあるからです。

 

しかし、それは最後の手段で、出来うる限り、私なりに生徒さんに言葉や態度で伝えていきます。

そして、願わくば生徒さんも将来、素敵な伯楽となって相手の良い所を引き出して社会をリードしてくれる人物に育てたいとも思っています。

これもまた私の大いなる野望です(笑)

 

そういうリーダーがいるチームはお互いに切磋琢磨しながら成長し、リスペクトし合う良い関係性が築かれると思うのです。

 

そういうわけで、今日からも名伯楽を目指して頑張っていきたいと思いますウインクイエローハーツイエローハーツ