久しぶりに父の事をしっかりと思い出してみた。
56歳の時膵臓癌(すいぞう)で他界して39年経つ
新橋で電気関係の営業の仕事をしていた
お昼は立ち食い蕎麦をかきこんで歩きの営業マン。電気関係の図面も描いてた。
元々物静かで家に居る事が好きな人だった
手先が器用で木製の船を細かいパーツを組み合わせて作ったり、オーディオが好きで自分でスピーカーや真空管アンプなど造ってクラシックレコードも数え切れない程持っていた。
休みの日の朝はいつもインスタント珈琲の香りと共にクラシック音楽がかかっていた
目を閉じているから寝てるのかと思い音を小さくすると
聴いてるよー!と怒られたっけ
仕事に着ていく背広やYシャツのアイロン掛けや靴磨き部屋の掃除もマメにする人だった。
体調悪くしてから土日に仕事場の方から家に電話がかかってくると私に居留守を使わされた覚えがあるその頃から父の仕事に対して思いを考えるようになり家族の為に体にムチを打ちながら働いていたんだなぁと音楽を聴く事は癒しだったんたと気づいた。
私が高卒で就職した頃父が入院して
会話もおぼつかないその年の年賀状を病室で書いているのだけどミミズが這う様な字で「会社を休んでしまい申し訳ありません。仕事でお返しします〜〜」となんとか書いていた。
自分で出せなくした年賀状。
私は父が癌だと言う事を全く聞かされておらず
亡くなる数日前に聞かされた。
仕事場に行って忌引で休ませてもなってきなさいと母に言われだが上司に伝える事が中々出来無かった、それは父が亡くなると言うとこを受け入れると言う事だったから。泣きながら上司のデスクの前へ行ったもんだから何か仕出かしたのかと思われた。クリスマス・イブがお通夜になり会社の先輩方にとても申し訳無い気持ちになったしとても切ないクリスマス・イブだった。
父が他界して、退職する先輩から頂いた
手紙と一緒に添えてあった
相田みつをさんの詩を、その時初めて知った。
[いのちの根]
なみだをこらえてかなしみにたえるとき
ぐちをいわずにくるしみにたえるとき
いいわけをしないでだまって批判にたえるとき
いかりをおさえてじっと屈辱にたえるとき
あなたの眼のいろが深くなり
いのちの根が深くなる
みつを
父の名は三男坊でみつお(三男)
相田みつをさんは
栃木県足利市出身
今私は主人の出身地
足利市に住んでいる。