九州では梅が咲き始めたようですが、ここ北海道札幌市は今日も雪雪


日本はホントに長いんだね~!と母と話した。


そんな中で、私がおしゃれ!だとFBのアプリで出たんだけど・・・と言うと、「あんたはおしゃれでしょ!」と母。


父は確かにおしゃれな人だったし、母もおしゃれとは言えないまでもそんなにセンスは悪くない。という事は、私もその遺伝子を受け継いでいるのか・・・とちょっと納得。


自分の感覚としては、自分に似合うと思うものを身に付けているだけで、それがどこのブランドでもそうじゃなくても全然構わないし、色の選び方もあまり気にしてない。着ていて楽なものを選んでいる。


でもそれが、他の人から見たらおしゃれに見えるらしいから有難いニコニコ



しかし、私は若い頃、ひどくセンスが悪かった。


何を選んだらいいのかも分からないし、何を買えばいいのかも分からなかった。ファッションに全く興味がなかったせいか、自分で選んだ物はなんだか田舎くさい感じがした。


ある人がきっかけで私は洋食器が好きになり、一時買い集めた時期があった。


何度も足を運ぶうちに、少しずつ素敵な物、好きな物が分かるようになり、そこでセンスが磨かれたのかもしれない。


何故か,私が欲しい!と思うものは全て高かった。高級品の中でも最高級の物が欲しい物だった。例えば、セーブルとかロイヤルコペンハーゲンのフローラダニカとか。


200回も人の手が入っている物もある。


それは食器と言うより芸術品とも言うべきものだ。


いっぱい買って、いっぱい売って、今は好きなものだけ手元に残してあるが、もう買いたいとは思わなくなった。


それは、私の買いたいという欲がなくなったからだ。何故無くなったかと言えば、満足したからというのと、買うという行為が必要なくなったからだ。


私はきっと寂しさを紛らわすために、物を買い続けていたのだろう。


だが今はそう思わない。寂しいと思わない。この寂しさは、家族がある無しの感情ではない。もっと深い所にある寂しさと悲しみだ。それは誰にも理解してもらえるものではないと分かっていた。


勿論、コレクターと呼ばれる人は違うのかもしれないが、私はコレクターにはならなかった。


とにかく、何でも無駄な事は無い!というように、洋食器を何年も見続けたことが私のセンスを変えたのかもしれない。


良いものを見ること、本物を見ることは、人間を変える力がある。


人間も同じで、本物になると周りの人に大きな影響を与えることが出来る。


私の周りにはその本物を目指している人たちが大勢いる。その謙虚さと自分を見つめる確かな目を養う為の精進。毎日の暮らしを大切に生きている人たちである。

だから私も、本物を目指してその人たちの仲間入りが出来るように日々これ精進だな音譜