気合を入れた1週間が過ぎようとしている。


さすがのちょっと疲れが出て、昨日は1時間、今日は布団を敷いて2時間近く昼寝をした。


夫が休みだから、ちょっと気が緩んだのかもしれない。


昨日の日記にも書いたが、誰かがいるというのは有難いものだ。


タマラインストラクターの持田さんからメールを頂いた。


持田さんはまさに昨日書いたような大変な状況を克服された方だった!


配偶者もなく、兄弟もなく、仕事をしながら色々なサービスを使い、それでも朝晩には仕事の疲れも関係なくお母様の介護をするという、大変な経験。


私の経験をシェアして下さいとの依頼があったが、私などは持田さんと比べるととっても楽な介護だから、シェアするとしたらどんな事だろう?と考えて、ちょっと時間を頂くことにした。


母の状況はそんなに変化はないが、それでもトイレの便座に座る事が出来るだけでも良いじゃないの!と励ましている。


最初の頃は、それさえも物凄く辛そうだったから。


両手はトイレの手すりをしっかりと握っているけど、時には片手を離して自分のお腹を押せるようになった。


何故お腹を押すかと言えば、中に入って居るものを絞り出す。しっかりと出しておかなければ気持ちが悪いらしい。


まだ、トイレットペーパーには手が出せない。私がキレイにして、それから腰を持ち上げる。


私も母のトイレ間隔が読めるようになったので、その合間に寝るようにしているが、ブザーが聞こえないと困るので誰かが居てくれる時には爆睡する。だから、ちょっと休めた。まだ眠いけど・・・


昨日の夕方のテレビで、若年性アルツハイマーに52歳でなってしまった奥さんを15年間も一人でお世話をし、最期を看取ったご主人を放送していた。


世の中にはそんな立派な人もいるのだ。


夜も2時間おきに身体の向きを変えるために起きる。仕事をしながらそんな生活を長い間頑張って来られたその方のお顔を見て、涙が流れた。


発病した時に、5,6年の命です。と言われたが15年も奥さんの命を長らえてあげた。その愛の深さ!


その方が言っていた言葉が印象に残っている。


15年も生きられる、と言った方がいいのか、15年も世話をし続けなければいけない、と言った方がいいのか・・・


どちらを選ぶかはその人の選択である。


どちらが後悔しないで済むかと言えば答えは簡単だが、その困難さは決して簡単なものではない。


本気、覚悟、真剣、タマラさんがいつも私たちに仰る言葉、それが100%必要になる。手を抜けばそれがそのまま即座に現実になるからだ。


母を元気に少しでも元の生活が送れるように介護するということは、取りも直さず私を生かすということになるのだと私は思っている。


そのご主人は奥さんによって本当の人間として生かされたのだと思う。


さあ、今週も全てキャンセルして母の介護に専念しよう!


母はあと15年は生きられないのだ!でも、もし生きられたらそれはそれで立派なものだ!