

長かった不妊治療を経て息子がこの世に誕生した時は
それはそれは言葉では言い表せないくらい未知の気持ちだったなぁ。
産後すぐから200近い高血圧を叩き出して

それくらい興奮状態でした。
ずーっとお腹の中にいて一心同体だった状態から
ついに2人に分かれたんですもの。
不思議な気持ちでした。
とにかくこの子がこの世に誕生したその日から
ああ、この子を守れるのは私しかいない。
この先どんなことがあろうと
自分がどうなろうとこの子が健康で幸せを感じられるよう私に出来ること全てしよう。
出来ないことでも出来る様になろう。
そんな風に思いました。
とはいえ、幸いにも私には旦那もいて母も父も健在
私と同じように息子を愛おしく思ってくれる人はたくさんいて、息子はもちろん私を支えてくれる人はたくさんいました

これって当たり前じゃなくとても恵まれていますよね。
今日までお母さんを頑張って来れたのは
もちろん息子がただひたすらに愛おしいからだけど、周りの方の協力があってだなぁって
つくづく思いました。

産後血圧が上がってしまった関係で
しばらく腎臓内科に通わなければならなくなったり、
とにかく悪露が延々と続いて大量すぎて顔面蒼白の貧血
廃人のような日々もあって、気持ちとは裏腹に身体が言うことを聞かない日々も多々ありました


そんな時はメンタルまでやられてしまって。
でも母がいつも助けてくれました。
子供を産んでみて初めて母がどれほどの愛で自分を育ててくれたのか身に染みて分かりました。
旦那とは、私が産後クライシスのような状態になり産後半年くらいは口喧嘩(私が一方的に)が本当に多かったように思えます。
でも、旦那も色々な周りの方からの助言で産後の女の人はそうゆうものなのだとアドバイスを貰っていたそう 笑
今思えば旦那なりにすごく頑張ってくれていたと思います。
肝心の息子は私の低身長からは意外にも意外3000g越えで誕生してくれて

それはそれは大きな産声でした。
妊娠中からずーっと、おっぱいで育てたい
という謎の憧れが強くて


色んな本を読み漁り、完母のお友達の話をたくさん聞いて

おっぱいマッサージをして乳管開通させたり、おっぱいが出るお茶を買って飲んでいました。
帝王切開は母乳が出にくいと聞いていたこともあって
逆子だったので
あぁ、難しいかな
と下向きになったこともありました


でもやっぱりどうしても諦められなくて甘酒飲んだり
とにかく色々してたなぁ 笑
不妊治療の時といい諦めることを諦められないんですよね。笑
翌日から念願の息子に会えた時は
ただただ愛おしいの一言

初めての授乳はちょっといやかなり恥ずかしくてくすぐったかったのを今でもはっきり覚えています。
助産師さんにはとてつもなくお世話になり
あんなにも他人に乳を露わにすることも預けることも、後にも先にももうないだろうなと思いました。笑
子猫みたいな息子。でもその場にいた他の赤ちゃんよりも声は一際大きかったように感じます。
息子を抱く旦那の姿も
照れ臭そうででもとても嬉しそうでした。
そんな旦那をみて私もとても幸せだったし
今までで1番の最高のプレゼントが出来たなと思いました。
そりゃそうだよね。旦那も私と同じように不妊治療頑張ってくれてたし、自分の子に会いたいと強く思ってくれてよね。
退院すると途端に問題だらけで

息子のげっぷが全然出ないこと、吐き戻しが多いことにとにかく毎日驚いて不安になって泣いて、#7000 #8000 に電話をしていたような気がします 笑
でも、私とは違って旦那はいつも冷静でいてくれたのでそれはとてもとても救われました。
1ヶ月検診では、超順調のお墨付きをもらって
混合だったけれどついに母乳1本にしてみようかな
と思い始め


その日の夜から母乳のみに。
こうしておっぱい星人は誕生したのです。
それまでは私って母乳ちゃんと出ているのかな
と毎日心配で、神経質になっていましたが、

検診で体重がしっかり増えていたし、
母乳のあとのミルクがあまり減っていないことから
移行するきっかけになりました。
母乳のみにしてからも1ヶ月くらいは心配なこともあったけど、ベビースケールで息子を測ったりして凌いで
3ヶ月検診でまた順調と言っていただいたのですごく安心したのを覚えています。
が、検診が終わってわりとすぐの頃
少しずつ私に油断が出てきて・・
まだ幼い息子の風邪をこじらせてしまって
まさかの入院をさせてしまったのです
最低

採血や点滴をされる息子の姿は痛々しくて今でも思い出すと申し訳なくて泣けてきます。。
入院先の病院は母親も泊まれる病院ではなかったので
4泊5日息子と離れ離れになって
毎日鼻吸引で爆泣きの息子をみては申し訳なくて精神がすり減った日々でした。

完母になったばかりだったので、搾乳機を買って母乳フリーザーパックを買って、とにかく1日に数え切れないほど搾乳して息子に届けていました。
乳腺炎になり高熱出たりで私も絶不調でたいへんだったなぁ。笑
あぁ、この離れている間におっぱい飲まなくなったら哺乳瓶に慣れたらどうしようとひたすらにメソメソしていました。
唯一面会の時にはおっぱいをあげられたのでそれはよかったのですが。
無事に退院して、元気な息子に戻って本当に良かったです

そこからは特に大きな病気もなくスクスク成長してくれて

初めて出来た寝返り
飛行機ブーン
ズリバイ
ハイハイ
つかまり立ち
1人たっち
あんよ
3食食べれるようになって
たった1年でこんなにもたくさんのことが出来る様になったんだね。
どの瞬間もママが1番に見ることが出来て、そばにいることが出来てとても幸せでした



近頃は元気すぎてどんどん激しくなっていく息子
どんどんおっぱいに執着してきた息子に
戸惑うことも多くて、そろそろ断乳をと思っていたけれどあっさり心も折れて。
断乳したら(いつかは不明)また別記事にも書きますねw
これからも試行錯誤しながら育児をしていくんだろうな。
長い長い人生の中で
こうして母子でべったりしていられる限られた時間
これからも大切に大切に過ごしていきたいです。
息子へ
今日までパパやママ、じぃじやばぁばにたくさんの笑顔と元気 生きる活力をくれてありがとう。あなたは、私たち家族の太陽です。
あなたが笑ってくれると嬉しくて嬉しくて
あなたが泣くと胸が苦しくなって、でもたまに泣き顔も愛おしくて可愛くて・・・
どうかどうか、健康に
あなたが毎日を笑顔で元気に過ごせれば
それ以外は何も望みません。
私たちもまた1年全力であなたのために生きていきたいです







これからもよろしくね


