前から気になっていたCDをようやく買うことが出来ました
Laura Pausini 「IO CANTO」 ヨーロッパバージョン(イタリア語
)
最初は地元のピアノバーで、父親と一緒に8歳から歌っていた。有名になったのは1993年のサンレモ音楽祭の新人部門で「La solitudine」(邦題:孤独を抱きしめて)を歌い優勝してからである。
1994年の彼女の最初のスペイン語でのアルバム『Laura Pausini』は、スペインとラテン・アメリカでベストセラーとなった。2004年に発表したスペイン語アルバム『Escucha』でグラミー賞(ベストラテンポップアルバム部門)を受賞。イタリア人女性アーティストとしては初めてであった。
日本で売り出された初期のアルバムでは、「ローラ・パウジーニ」名義で売り出されていた。しかし、『ヴェリー・ベスト・オブ・ラウラ・パウジーニ』(原題:The Best of Laura Pausini)から、イタリア語読みの「ラウラ」表記となった。日本語の題名で売り出されているものは『フロム・ジ・インサイド』を除き、内容はイタリア盤と同じとなっている。(wikipediaより)
この間、SaraちゃんとPaulくんの家に行った時に
年末、ローマでのライヴに行って良かったと聞き、早速探しに行きましたが
イタリアのCDって最近置いている所が少ないとお店の方も言っていました
以前、TVで聞いたことがあった曲
是非、聞いてみて下さい
嬉しくて毎日聞いています

Laura Pausini 「IO CANTO」 ヨーロッパバージョン(イタリア語

最初は地元のピアノバーで、父親と一緒に8歳から歌っていた。有名になったのは1993年のサンレモ音楽祭の新人部門で「La solitudine」(邦題:孤独を抱きしめて)を歌い優勝してからである。
1994年の彼女の最初のスペイン語でのアルバム『Laura Pausini』は、スペインとラテン・アメリカでベストセラーとなった。2004年に発表したスペイン語アルバム『Escucha』でグラミー賞(ベストラテンポップアルバム部門)を受賞。イタリア人女性アーティストとしては初めてであった。
日本で売り出された初期のアルバムでは、「ローラ・パウジーニ」名義で売り出されていた。しかし、『ヴェリー・ベスト・オブ・ラウラ・パウジーニ』(原題:The Best of Laura Pausini)から、イタリア語読みの「ラウラ」表記となった。日本語の題名で売り出されているものは『フロム・ジ・インサイド』を除き、内容はイタリア盤と同じとなっている。(wikipediaより)
この間、SaraちゃんとPaulくんの家に行った時に
年末、ローマでのライヴに行って良かったと聞き、早速探しに行きましたが
イタリアのCDって最近置いている所が少ないとお店の方も言っていました
以前、TVで聞いたことがあった曲


嬉しくて毎日聞いています
