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latte家族 〜網膜芽細胞腫の息子と家族の日記〜

父、母、娘、息子の4人家族。
息子は2歳になってすぐ、網膜芽細胞腫と診断され右眼を摘出しました。
片眼を失った息子と家族の日常と病気の記録。

久しぶりの投稿になってしまいました。

息子は2月に誕生日を迎え

5歳になりましたおねがい



なぜか



ムキムキになりたい💪!!



とリングフィットにハマっています

元気でなにより。

ムキムキにはならなくていいけど




そんな息子には5歳上のお姉ちゃんがいますニコニコ

年中さんの時に待望の弟が生まれ

それはもう溺愛デレデレ




その溺愛している弟の病気が発覚したのが

小学2年生になったばかりの頃。




急に入院になり、私は息子の付き添いで

家に帰れず。


入院中、娘は義両親に見てもらってました。

(我が家は旦那の両親と敷地内同居)


私や大好きな弟が急にいなくなり

周りの大人達もバタバタしてて

娘からするときっと異様な雰囲気ショボーン



すごく不安だったと思います。



それでも、毎朝自分で起きて

学校の準備をして

忘れ物もせず学校へ行ってた

しっかり者のお姉ちゃん。




入院中は毎日

学校で習ったこと、友達と遊んだことなど

メールでやり取りしてました。

そして必ず



「弟くんはちゃんと食べてる?」



と弟の心配笑い泣き




息子の病気の事、右眼は悪い物と一緒に取らなきゃいけない事、その後も治療で入院も何回もしなきゃいけない事、ちゃんと理解できると思ったので手術する前に説明しました。


娘は黙って聞いて

「そうなんだ、分かった。でも弟くん、目無くなるの痛そうで可哀想。早く元気になってね」と。



小さい頃から、しっかりしてた娘。

そしてお調子者。

つい私もそんな娘に安心してしまってました。




でもまだ小学2年生になったばかり。

そりゃ不安だよね…




娘が給食中に突然泣き出した事が1回だけあったそうです。

(担任の先生から聞いた)



入院してからも、学校では全く普段通り過ごしていたそうですが急にふと寂しくなったのかなショボーン




きっといっぱい我慢してたんだろうな。





息子の病気が分かった時、何も考えられないくらいショックでどん底だったけれどダウンダウン



娘の存在があったからこそ、

この子の前で泣いて暗い顔してちゃいけない、

不安にさせちゃいけないと踏ん張れたんだと思います。




弟の右眼がなくなっても、

抗がん剤の影響で髪の毛がなくなっても、

溺愛っぷりは変わらず可愛い可愛い言ってた姉。



入院中はパパのスマホに弟くんの写真を送れと毎日要求してきました笑い泣き


しまいには



いいなぁ、ママは。ずっと弟くんと一緒にいれて



と言ってきました笑い泣き



え、逆じゃない?



弟くんはママとずっと一緒にいれていいなぁ


じゃない?




息子もそんなお姉ちゃんが大好きドキドキ


ケンカもするけど

寝顔を見て「可愛すぎるデレデレ」と

優しい微笑みを浮かべて、弟の寝顔を見つめる姉。



母親か。



もうすぐ5年生。

ちょい反抗期で腹立つ事もあるけど真顔


2人とも元気で、いつまでも仲良しでいてほしいなぁと願う母です照れ