同居人Hは、人を信じていないらしい。
性悪説の持ち主だ。
確かに人は、脆く儚く弱い生き物だろう。
でも、やってはいけないことがあると思う。
間違っていると言われることを覚悟で書きます。
もし、私の大切な女友達が人を殺しても、軽蔑はしない。
人を殺すことがどんなに愚かしい事で、人をどんなに悲しませるかを知っている。
それでも、覚悟を決め人を殺したのなら何とも言うまい。
それを上回る何かがあったのだろう。
そんな時、正義もルールも法律も誰かを縛れない。
自分自身を含めて誰かを殺したなら、軽蔑よりも私が彼女に何も出来なかった無力さを呪うだろう。
でも、もし別の女友達の旦那と寝たなら軽蔑し有無を言わさず、決別する。
私の中では、殺人よりも女友達に対する貞操の方が大切なのだ。
価値観の問題なのだろう。
死ぬまぎわ人生でなにが大切かと質問する。
お金に困った人は、お金と答えるだろう。
お金があっても愛に飢えた人は、愛と答えるだろう。
私は、愛に飢えた26年間を過ごしてきた。
だから、愛を信じ憧れてやまないから、そんな私の夢を汚さないで欲しいのかもしれない。
信じる私に同居人Hは言う、人を信じるな疑え。どんなに大切な友達でも裏切るかもしれない。、と。
たった一人か二人の大人に裏切られた思春期の青年のように、人は信じられないと言うのは簡単だ。
同居人Hがどんな傷を負ったかは知らない。
彼女の価値観なのだろう。
でも、それは愚かで短絡的だと思う。
何かを信じ続ける事は、強くないと出来ないと思う。
そんな強さを標準装備していきたいです。