1965年9月30日
お店が新装開店した日です。
50歳になりました🎂
最初に、父と母がパン屋を開店したのは1949年でした。
開店した日は、春🌸
日にちは忘れたと言っていた両親でした。
今年、66歳になりました🎂
66年前にお店を始めた時は、両親二人で頑張っていました。
数年後!パン職人の住み込みで見習いの中卒の男の子、
高校を卒業したばかりの 住み込みの女の子二人。
家族同様に暮らしていました。
小学生になると、日曜日はショーケースのお掃除をするのが私の役目でした。
牛乳ケース、パンを入れたケース。
小さな手で、ケースの奥をお掃除するのは大変でした。
でも、お客様からご苦労様!綺麗にしていますね。
の、お言葉が嬉しかった。
中・高校生になると、パン作りのお手伝いをしました。
息子が保育園の時の年末、餅つき大会がありました。
搗いたお餅を、両手で丸めるのが早いと 感心されました。
手が覚えているのですね。
兄は、パン屋さんに数年間 修行に行き 、
修行が終わると、父とパンを作っていました。
その頃、ペルと言う名前の ペルシャ猫がいました。
お得意様の作家さんの家で、母猫に子猫が産まれました。
黒猫ちゃんが亡くなって 悲しくて仕方ありませんでした。
私が欲しいとお願いして、譲り受けた猫ちゃんでした。
ペルは、パンを焼き終えた後!
パンを焼き釜の登って、寝ていました。
ビルになって、新装開店した年。
12歳だったペルは、行方不明になってしまいました😂
当時!三味線の皮にと、猫さらいが来ていたのです。
でも、警戒心が強い猫だったので、
もしかしたら、寿命が来て姿を隠したのかもしれません。
当時!お店は、道路に面したところは、総ガラスでした。
戻って来ないかしら?と、ガラス越しに泣いていた私でした。
工場には、ケーキ職人2人、パン職人の兄。
喫茶室には、バーテンさん3人とウエイトレスさん。
ケーキ&パン売り場には、女性店員さんがいました。
住み込みしていた方たちも居ました。
沢山の方たちが、今までお店を支えてくださいました。
お店を贔屓にしてくださるお客様がいたから、
66年&50年間続ける事が出来ました。
芸能人の方も、多くいらしてくださっていました。
お店が、新装開店した時は、賑わっていた商店街も、
今、営業しているのは、数える程になりました。
お店を紹介してくださったテレビ番組もありました。
お店の名前を検索してみたら、
ご来店下さったお客様が、記事を書いて写真を載せてくださっていました。
夫・私・妹も、年々!身体が、キツくなってきています。。
検索した時、ある方が 週に2日お休みしても良いので、
いつまでも、続けて欲しいと書いてありました。
有難い事と思いました。
ひとり息子は「大きくなったら、、ビルを新しくして、レストランも作るんだ!」
と、父に言って3代目が出来たと喜んでいた父。
月日が流れ、息子は、別な職業に就いています。
幼い頃から、兄妹3人に店を出す事!
父の夢を聞いて育ちました。
商売は、お客様と接するのが、とても楽しく張り合いがあります。
妹は、幼い頃からお店が苦手でした。
今は、中心になって頑張ってくれています。
妹は、屋久島に行くのが今の夢です。
お店を閉じたら、張り合いがなくなり!
寂しくなると思います。
行っていない所、世界中も旅したい✈
元気で居ないと行かれませんね。
50年前も、今朝のような青空が広がっていました

長々と読んで頂いてありがとうございましたm(_ _)m

🍀穏やかに一日を過ごせますように🍀

お店が新装開店した日です。
50歳になりました🎂
最初に、父と母がパン屋を開店したのは1949年でした。
開店した日は、春🌸
日にちは忘れたと言っていた両親でした。
今年、66歳になりました🎂
66年前にお店を始めた時は、両親二人で頑張っていました。
数年後!パン職人の住み込みで見習いの中卒の男の子、
高校を卒業したばかりの 住み込みの女の子二人。
家族同様に暮らしていました。
小学生になると、日曜日はショーケースのお掃除をするのが私の役目でした。
牛乳ケース、パンを入れたケース。
小さな手で、ケースの奥をお掃除するのは大変でした。
でも、お客様からご苦労様!綺麗にしていますね。
の、お言葉が嬉しかった。
中・高校生になると、パン作りのお手伝いをしました。
息子が保育園の時の年末、餅つき大会がありました。
搗いたお餅を、両手で丸めるのが早いと 感心されました。
手が覚えているのですね。
兄は、パン屋さんに数年間 修行に行き 、
修行が終わると、父とパンを作っていました。
その頃、ペルと言う名前の ペルシャ猫がいました。
お得意様の作家さんの家で、母猫に子猫が産まれました。
黒猫ちゃんが亡くなって 悲しくて仕方ありませんでした。
私が欲しいとお願いして、譲り受けた猫ちゃんでした。
ペルは、パンを焼き終えた後!
パンを焼き釜の登って、寝ていました。
ビルになって、新装開店した年。
12歳だったペルは、行方不明になってしまいました😂
当時!三味線の皮にと、猫さらいが来ていたのです。
でも、警戒心が強い猫だったので、
もしかしたら、寿命が来て姿を隠したのかもしれません。
当時!お店は、道路に面したところは、総ガラスでした。
戻って来ないかしら?と、ガラス越しに泣いていた私でした。
工場には、ケーキ職人2人、パン職人の兄。
喫茶室には、バーテンさん3人とウエイトレスさん。
ケーキ&パン売り場には、女性店員さんがいました。
住み込みしていた方たちも居ました。
沢山の方たちが、今までお店を支えてくださいました。
お店を贔屓にしてくださるお客様がいたから、
66年&50年間続ける事が出来ました。
芸能人の方も、多くいらしてくださっていました。
お店が、新装開店した時は、賑わっていた商店街も、
今、営業しているのは、数える程になりました。
お店を紹介してくださったテレビ番組もありました。
お店の名前を検索してみたら、
ご来店下さったお客様が、記事を書いて写真を載せてくださっていました。
夫・私・妹も、年々!身体が、キツくなってきています。。
検索した時、ある方が 週に2日お休みしても良いので、
いつまでも、続けて欲しいと書いてありました。
有難い事と思いました。
ひとり息子は「大きくなったら、、ビルを新しくして、レストランも作るんだ!」
と、父に言って3代目が出来たと喜んでいた父。
月日が流れ、息子は、別な職業に就いています。
幼い頃から、兄妹3人に店を出す事!
父の夢を聞いて育ちました。
商売は、お客様と接するのが、とても楽しく張り合いがあります。
妹は、幼い頃からお店が苦手でした。
今は、中心になって頑張ってくれています。
妹は、屋久島に行くのが今の夢です。
お店を閉じたら、張り合いがなくなり!
寂しくなると思います。
行っていない所、世界中も旅したい✈
元気で居ないと行かれませんね。
50年前も、今朝のような青空が広がっていました


長々と読んで頂いてありがとうございましたm(_ _)m

🍀穏やかに一日を過ごせますように🍀
