朝日新聞関西版『みをつくし 語り尽くし』全20話 友人が続きを送ってくださいました\(^o^)/
14話…「ゴール」向け悔いなく。
ミュージカル「エリザベート」の頃に退団を決意した ずんちゃん。
15話…素の私 見てくれる人と。
退団のご挨拶の際、歌の発表会があったら!とお話しして「エンカレッジコンサート」が生まれました。
ご主人との出逢いから、結婚までの事が書いてありました。
16話…バリ生活 本来の自分に。
2000年7月、生活の拠点をご主人とインドネシア・バリ島に移し、仕事の為に年10回以上、日本との往復する生活。
4年間暮らしました。
17話…海外に住んで分かった。
2004年にご主人がオーストラリア・ケアンズに転勤 引っ越し。
オーストラリアは、貴重な動植物が多く、環境を守る為に、入国検査が厳しかった。ずんちゃんは、日本との行き来が多かった為、特に念入りに調べられたそうです。
日本とは季節が逆で、コンサートをしながら過労で度々入院したそうです。
ケアンズで約3年暮らし、2007年東京に移りました。
ずんちゃんが、東京で暮らしていらっしゃる!
それだけで、幸せな気持ちになりました。
18話…手作りライブ 回重ね。
沢山のミュージッシャン、スタッフの方たちの出会いの中で、石井竜也さんに声ををかけて頂き、2人で「MOON STONES」ユニットを組み 全国を回りコンサートを始めたのが2002年7月。
石井竜也さんのファンは、衣装も石井さんと同じ、舞台と一体になっているのに、私達ファンはオペラグラスで観ている!その違いに、最初はビックリしました。 でも、桜の枝を振り!振りして、私達も参加した「桜2号・桜3号」の公演は、とっても楽しかった(*^O^*)
男役のずんちゃんを観れたのは、石井竜也さんのお陰です\(^o^)/
この時のプロデューサーの方に「コンサートをするなら小さな会場から初めて勉強したらいい」というアドバイスを頂いたそうです。
退団後に始めた「THE PRAYER」チケットを売る苦労から始まり、ステージをつくりあげることに かかわってきたそうです。
19話…出会いがチャンスに。
石井竜也さんに出会ったことがライブ「THE PRAYER」につながったように、仕事上のターニングポイントには 刺激やサポートをくださった方との出会いがあり 大きなチャンスを頂いた事。
夢だったオーケストラと2006年から3年連続で サントリーホールで公演。
オペラを歌うきっかけは 三枝さん。
宝塚時代からずんちゃんの舞台を見ていた 静岡県知事の川勝さん、三枝さんが推薦してくださり「エンジン01」に加入。
高知県でのミュージカル「土佐の海を見ているか?」に出演、ずんちゃんが歌っている様子を見て、アドバイスをくださった秋元康さん。
2010年秋元康さんかプロデュース「Actress」ストーリー・台詞・劇中歌の歌詞は、全部秋元康さんが書き下ろししてくださいました。
昨年11月発売「Actress」待ちに待った新しいアルバム発売。
本当に嬉しかった。
20話…私の音楽 努力して育てていく。
アルバムへの想いが書いてありました。
一番印象に残ったお話しは、「今の生活を当たり前と思って過ごす猶予はないと感じます。悔いの残らないように、と念じながら過ごしています」 お兄様が35歳の時、突然喪ったずんちゃん。
私も兄を28歳で突然喪い、一昨年母を喪ったので、ずんちゃんのお話しは身に詰まされました。
ずんちゃん、大阪に戻り、淀川の土手で段ボールで滑れると良いですね。
26日はずんちゃん友達と新年会。10人分コピーしますが、今日こそ!残った分をコピーして来なくては!
みんな、楽しみに待っていてね(*^O^*)
14話…「ゴール」向け悔いなく。
ミュージカル「エリザベート」の頃に退団を決意した ずんちゃん。
15話…素の私 見てくれる人と。
退団のご挨拶の際、歌の発表会があったら!とお話しして「エンカレッジコンサート」が生まれました。
ご主人との出逢いから、結婚までの事が書いてありました。
16話…バリ生活 本来の自分に。
2000年7月、生活の拠点をご主人とインドネシア・バリ島に移し、仕事の為に年10回以上、日本との往復する生活。
4年間暮らしました。
17話…海外に住んで分かった。
2004年にご主人がオーストラリア・ケアンズに転勤 引っ越し。
オーストラリアは、貴重な動植物が多く、環境を守る為に、入国検査が厳しかった。ずんちゃんは、日本との行き来が多かった為、特に念入りに調べられたそうです。
日本とは季節が逆で、コンサートをしながら過労で度々入院したそうです。
ケアンズで約3年暮らし、2007年東京に移りました。
ずんちゃんが、東京で暮らしていらっしゃる!
それだけで、幸せな気持ちになりました。
18話…手作りライブ 回重ね。
沢山のミュージッシャン、スタッフの方たちの出会いの中で、石井竜也さんに声ををかけて頂き、2人で「MOON STONES」ユニットを組み 全国を回りコンサートを始めたのが2002年7月。
石井竜也さんのファンは、衣装も石井さんと同じ、舞台と一体になっているのに、私達ファンはオペラグラスで観ている!その違いに、最初はビックリしました。 でも、桜の枝を振り!振りして、私達も参加した「桜2号・桜3号」の公演は、とっても楽しかった(*^O^*)
男役のずんちゃんを観れたのは、石井竜也さんのお陰です\(^o^)/
この時のプロデューサーの方に「コンサートをするなら小さな会場から初めて勉強したらいい」というアドバイスを頂いたそうです。
退団後に始めた「THE PRAYER」チケットを売る苦労から始まり、ステージをつくりあげることに かかわってきたそうです。
19話…出会いがチャンスに。
石井竜也さんに出会ったことがライブ「THE PRAYER」につながったように、仕事上のターニングポイントには 刺激やサポートをくださった方との出会いがあり 大きなチャンスを頂いた事。
夢だったオーケストラと2006年から3年連続で サントリーホールで公演。
オペラを歌うきっかけは 三枝さん。
宝塚時代からずんちゃんの舞台を見ていた 静岡県知事の川勝さん、三枝さんが推薦してくださり「エンジン01」に加入。
高知県でのミュージカル「土佐の海を見ているか?」に出演、ずんちゃんが歌っている様子を見て、アドバイスをくださった秋元康さん。
2010年秋元康さんかプロデュース「Actress」ストーリー・台詞・劇中歌の歌詞は、全部秋元康さんが書き下ろししてくださいました。
昨年11月発売「Actress」待ちに待った新しいアルバム発売。
本当に嬉しかった。
20話…私の音楽 努力して育てていく。
アルバムへの想いが書いてありました。
一番印象に残ったお話しは、「今の生活を当たり前と思って過ごす猶予はないと感じます。悔いの残らないように、と念じながら過ごしています」 お兄様が35歳の時、突然喪ったずんちゃん。
私も兄を28歳で突然喪い、一昨年母を喪ったので、ずんちゃんのお話しは身に詰まされました。
ずんちゃん、大阪に戻り、淀川の土手で段ボールで滑れると良いですね。
26日はずんちゃん友達と新年会。10人分コピーしますが、今日こそ!残った分をコピーして来なくては!
みんな、楽しみに待っていてね(*^O^*)