11/7 11:18

男は女の手をとって、共に生きようと言う!何の芝居のリハーサルだ。[围观][围观][哈哈][哈哈]@馮遠征

余少群(ユィ・シャオチュン)のブログ&ミニブログ 日本語版 

師匠のお返事は「嘘![汗](シ―ッ)」でした・・・ 

師匠もお稽古風景の画像を公開しています。公子の真剣な様子がうかがえます。


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主要人物のもう一人、玉春を演じる程麗莎さんは公子と同じ武漢出身。私生活では一児の母、きれいな方ですね。

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(画像は百度百科より


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さて、11/12京華時報(記者:楊楊)の、師匠と公子の記事。

http://epaper.jinghua.cn/html/2012-11/12/content_1830063.htm


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要訳

馮遠征と弟子の余少群は最近ずっと『風雪夜帰人』の稽古をしている。11月8日、二人は本紙の取材に応じた。

馮遠征は、以前自分の仕事に弟子を参加させるようなことはないと言っていたが、「举贤不避亲(能力のある人を推すのに身内を避ける必要はない の意)の言葉通り、この芝居は余少群に非常にあっているので推薦した。少群にとっては素晴らしい勉強のチャンスでもある」と述べた。

余少群は、毎日朝から晩まで師匠と一緒に過ごすのは緊張することではなく、むしろ師匠がいてくれるのでさらにやる気が出ると言う。

芸能界について話が及んだ時は二人ともきっぱりと、自分はスターではないと述べた。



取材当日の稽古は、蓮生と玉春の非常に細やかな二人芝居の場面だった。セリフが多く、身体表現はさらに多い。馮遠征は二人の演技を見ながらメモをとっていた。少群の演技が不十分だと感じた時はストップをかけて解説し、たとえ目線一つのことでも舞台へ上がって自ら手本を示す。

馮遠征が余少群を弟子にとってから2年近く過ぎた。これまで教えるのは自宅で彼にいろいろ鑑賞させたり、撮影中に起きた問題に電話でアドバイスを与えたりすることだった。このように毎日一緒にいて芝居の稽古をつけるのは初めてである。

「この稽古は少群を持ち上げるためと言っても構わないが、実際は違う。彼には作品から多くのことを学んでほしくて、私もこの一カ月半、系統だててたくさんのことを教えている。半年ほど前、少群には事務所に休暇願いを出させて自分でも社長に電話した。これは彼にとって特に重要なチャンスであり、他のスケジュールは入れないようにと話した。」

名作『風雪夜帰人』は、ここ何年も舞台に掛かることはなかった。馮遠征によればテーマが重く、取り扱おうとする人がいなかったのだそうだ。

「20数年前、青年芸術劇場でこの作品が上演されたのを観て、その舞台の堂々とした美しさに深く感動した。6、7年前に任鳴監督がこれをやると言われた時は興奮したが、このたびの大劇院五周年公演まで実現することがなかった。」

「余少群をこの芝居に加えたのは役柄が大変合っているからだ。また、彼にとっては最初の舞台劇であり、名作を演じる貴重なチャンスでもある。彼は舞台で思い通りに身体を動かせるので、その点の心配は全くない。今はもっと舞台劇の感覚を掴んでほしいのでセリフに力を注がせている。」

馮遠征は第一主役の座を敬意をもって弟子に譲り、自分は敵役の筆頭・蘇鴻基に扮する。この人物は弱者にいばり散らし、狡猾極まる。しかし馮遠征はそのようには考えていない。

「この役柄を型どおりの悪役として演じようとは思わない。彼は法院の院長で知識も教養もある人だ。どんなふうに表現するかは模索中。」


この芝居の中で余少群が演じるのは京劇の名優。彼には、このような伝統劇の役者を演じることが多いという印象がある。

「確かに以前はこの類いの役柄ばかり受けることをとても気にして、乗り越えたいと思っていた。しかし師匠から得意分野を捨てることはない、優れたところを保ったままで殻を破れば他の誰にもないものを持った俳優になると言われた。この芝居の役柄もそうで、今の年齢でこれを演じるのに適した人は他にいないかもしれない。」

舞台をよく知っていても舞台劇という形はプレッシャーが大きい。

「幸い師匠がいつも見て下さり、直した方が良いところがあればその場その場で教えてくれる。師匠がいれば演じることへの意欲はさらに高まる。」

「今はまだ今回の出演の収穫を言うには早すぎるが、演技のレベルアップは大きいと思う。映画『梅蘭芳』からすでに5年。元の位置に立ち戻りこれまで得たことを沈殿させ、学べる機会を求めていた。舞台劇にやってきた状態はまずまずだと思う。いくらかの困難も想定内だ。これは気を修錬する芝居で、公演の時には素晴らしくなっていると信じている。」

少群は、『風雪夜帰人』が終わるとすぐに田沁鑫監督の『青蛇』のチームに参加することを明かしている。任監督と田監督はスタイルが全く違う舞台劇の監督だが、それほど心配していない。

「自分はどんな容器に入れられても適応する水のようでありたい。型が決まっていないということは僕の個性だ。」


最近、馮遠征を目にすることが多い。彼が出演したドラマ『怪医文三塊』は現在放送中で、映画『1942』の宣伝も盛んである。数日前には北京人民芸術院の「最も好かれた演員」賞を受賞した。一連の好成績に対し、彼はあまりに多くスポットライトが当たることを望んでいないと言う。

「私は一人の演員であり、スターとしての心構えは持ち合わせていない。マスコミに出ることがあまり多くないのは、他人が言うことを非常に気にかけるからだ。どこかで自分のことを悪く言っていたり、真実でないことを言われていたりするのを見かけたら、きっと眠れないだろう。ああ言ったのになぜこう書くのか、何か言ってやろうかなどと思うはずだ。みんなはそれもいいじゃないか、何かあれば申し開きをして正せば、と感じるかもしれないが、私はそうはしたくはない。それは自分ではなくなる。」

馮遠征は自分のことを、何でも顔に出て子どものようだと言っている。

「スタッフからは、稽古場に一歩入った時に今日は機嫌が良いとか悪いとかすぐ分かると言われる。私と丹妮、少群は似ている。我々は単純で真面目、分かりやすい人間だ。」

「自分と余少群のこのような性格は芸能界で損をすることがあるかもしれないが、少群には変わってほしくない。損をするのは幸せなことだ。彼には、まだ若いのだからある役柄を一生懸命に演じて割を食うのも必要、人にはしなやかで強い心が必要と言いたい。」

馮遠征は、演員として演技を通して観客に好かれることこそ大事だと考えている。

「舞台劇は、幕が下りた時の拍手から自分が認められたことを感じ取れる。ドラマや映画に出れば、普段の生活でも応援される。それもこれも、演じた役柄を気に入ってもらえたからこそだ。それぞれの役柄に顔向けが出来ると言っても良い。」


この前、少群はお見合い番組に参加した。花嫁募集の勇気にふれると、

「事務所はこのような番組に参加することが適切か迷っていたが、自分がスターだとかは思っていない。番組ではガールフレンドを見つけることも難しかったが、少なくとも皆さんに、私はいい年齢になった独身男だと知らせられた。仕事が忙しく、私生活でもただお茶を飲んだりDVDを見たりするのが好きで他に何も趣味がない、どちらかというと面白みのない人間だ。これらが今でも独り身である原因かもしれない。二兎を追うものは一兎も得ずということかも。」

『風雪夜帰人』で、魏蓮生と玉春の間には深く心に刻まれる愛情がある。

「彼らの恋愛を良いと認めているわけではない。まず玉春は夫ある身。それに玉春に精神を導かれる蓮生は単純すぎる。実際の私は自分のしっかりした意見を持っている。」

「ベターハーフに対しては、さほど多くの条件を設定しているわけではないが、師母はかなり気を揉んでいる。私が仕事で誰それと出会ったというと、彼女はあの子はダメよと言ったりする。」


取材中二人はしばしば似たような回答をした。馮遠征は自分は明星ではなく演員と言い、余少群も自分は明星ではなく普通の青年と言った。馮遠征が余少群を弟子にしたのは、彼の勤勉さと人柄を気に入ったからだと述べ、余少群が馮遠征を師と仰いだのは、その演技と人との交わり方に魅かれたからだと言う。

彼らの師弟関係は芸能界の栄光や様々な良し悪しにはあまり関わりがなく、人と人との暖かさや誠実さで成立している。「師匠と知り合って最大の収穫は、北京に家庭が出来たと感じること」だそうだ。


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チケットの売れ行きは好調で、残りわずかだとか。公子の初の舞台劇の成功を祈ります。


追加:師匠発の画像を転発したものがまた出ていますので、貼っておきます。


11/14 14:22

師娘!何と私たちは同じ姿勢でしたね。


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11/15 16:59

程麗莎 :師匠はえこひいき。余少群をこんなにカッコよく撮って。ウゥ。
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莎莎さん、もう少し客観的にお願いします。僕はもともとカッコイイのだ。





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