これでもいちおう大人なので
言いたいことはわかります。多分。

でも......
なんだかちょっと気になる。
どうにも妙な感じがする。

そんな違和感を感じた言葉。



市内の中学校のフェンスに
こんな標語を見つけました。

「心配される自分」から
「安心させる自分」へ


  PTA健全育成委員会


ぱっと見た瞬間に
かなりの違和感......ガーン

きっと

生徒は
自分自身の行動を振り返って
あるべき姿で暮らしましょう

と言いたいのだと思うし、
親ならそういう願望があるものでしょう。


でも.......
心配って(そりゃ心配だけれど)
そして
安心って(そりゃ安心したいけど)
親の、自分自身の問題であって、
子ども自身がどう捉えるかっていうのは
またちょっと別なんじゃないかな??

親や先生、
社会のために生きているわけじゃないし
娘にそんなふうに生きてほしくはないな...。
(私だって嫌だ。)

もちろん私だって
子どもの心配やら安心やらで
日々忙しい(笑)ですが、
それは
私の自由意志でしていることで、
それだって本当は
子どものために、子どもが心配、
とか言いながら
実は自分の安心感のための心配なんじゃないか

...なんて、時々思ったりして。

もちろん
表裏一体というか
全く別物、とは
分けて考えられることじゃないんだけれど、
大半は実のところ
自分の気持ちの問題なんだと思うんです。


...そんなわけで
さっきの標語は
正直言って、気持ち悪い汗
(作った方ごめんなさいショック!

あくまでも私の個人的な感情ですから。


そしてもう1つ、
最初に聞いた時から違和感があるのは...
(これは娘もそう思うらしい)

「歯医者さんに褒められる歯に」

...という歯磨きのCM。


どちらも、
善くも悪くも日本人らしい気がします。


でも、なんかな~。
なんかな~~~。