1月17日 阪神淡路大震災の起きた日です。
今年で25年という月日が経ちました。
関西では地震は起きないといわれていたのに、あれほどまでにひどい地震が起こりました。
当事、私は神戸市中央区に住んでいました。
震災を体験しています。
毎年この日が来るたびに、Facebookなどで多くの方が当時の事や、
生かされている事について伝えていらっしゃる方もいます。
私は震災を体験しましたが、どこか淡々としていて特に何かを思うという気持ちがわいてこないのです。
当事、父が逆単身赴任の状態で、この日は3連休であったことと、会議がこちらであるということで
父も神戸に来ていたので、家族4人一緒にいたのです。
父も母も関西生まれ、まさかこんな大きな地震が関西であるとは思いもよらず。。。
日の出前の出来事で、地震が起こった直後、母が大きな声で
「危ないからとりあえず、明るくなるまで部屋にいて」
と。
家は倒壊しなかったものの、明るくなってからの我が家は悲惨な状態でした。
給水車が来るたびに母と二人でお水をもらいに並び、
父と弟は灘区で一人暮らしをしていた父の母(私の祖母)の元に。
祖母の家は跡形もなく崩れていたそうです。
あきらかにここにいるであろう、と思うものの、自衛隊や消防は生存者優先で救出します。
父と弟は連日足を運び、がれきをどけるものの。。。
何日かして、ようやく祖母はがれきの下から出してもらうことが出来ました。
祖母を出してあげることはできたものの
遺体安置所は、避難所と一緒の場所、何とも言えない光景です。
葬儀に関しては当然県外に行かなくてはいけないけれど、道路事情からなかなか手続きが進まない。
しばらくして大阪に出てみると、嘘のようにこれまでの生活ができることに、かなりの衝撃を受けました。
トイレに行っても水を普通に流せる。
コンビニでは商品がたくさん並んでいる。
本当にこれまで当たり前だったことが、ほんの1、2週間の間で不自由な生活をしていたことで
とても衝撃を受けることに。
震災を体験した人がそれぞれの経験をしてそれぞれの想いがあったと思います。
そんな中、被災した神戸はどんどん復興に向けての動きも進んでいたのも事実です。
人の力ってすごいな、と思ったものです。
この日が来るたびに何か気持ちを新たにすることはないのですが、
こうして25年前この日に体験したことはしっかり覚えています。
もう25年も経つのだな。。。とも思います。
2年前には初めてこの日に慰霊碑に行ってきました。
祖母の名前、友人の名前など確認しながら。
この阪神淡路大震災のあと、多くの人の災害に対する意識は変わったと思いますし、
そして、日本各地、いえ、世界各地で
多くのそして甚大な大きさの災害が起きています。
人間の私たちが立ち向かうことはできませんが、備えをすること、
そして、なぜこのようなことが起きるのか、視点を広く持って考える必要があるとも思います。
多くの方の犠牲があり、今の神戸があり、私たちがあること、
本当に忘れてはならないし、風化させてはいけないと思います。
心から、ご冥福をお祈りするとともに、
ここから先子供や孫、その先の未来を担う子供たちのために
しっかり進んでいきたいと思います。