昨日隣保の食事会があった。
公民館で食事会をするのははじめてだ。
まあ昼から酒を飲むので1日が終わる。
何にもできないので1日がもったいないと思っていた。
昨日は違った。
数時間呑んだらその後はなにもできないなあと思っていた。
本当に何もできなくて帰宅後はベッドで横になっていた。
夜になって一度は起きたのだが8時過ぎに再びベッドに行った。
そして目が覚めたのが朝4時。
爽快だ。
それでも2度寝して起きたのは5時半。
1日を無駄にしたと思うのが常だったが今朝は思わなかった。
なんでだろう?
時間を無駄にするとかの感覚がなくなった。
それはお金に対する執着が減ったからだと思う。
今までは生きる事はお金が中心だったような気がする。
どうやら生きる中心にお金がなくなったようだ。
ただお金がなくなると苦しむこともある。
だから少し稼がねばと思うのだが…。
食えないのなら靜に枯れていけばそれでいいんだけどね。
自殺願望ではないけど以前ほど生きる執着はない。
臨場正念のような決意でもない。
死というのは自然な事だと気づいたからかもしれない。
人は必ず死ぬのに愛する人が死ぬと悲しい。
知らない人に対しては悲しみはない。
そうだ、自然界で死というのは悲しみではなくて流れなんだ。
生きるということはただ生きるだけでいいんだ。
一生懸命になる必要もない。
生きる事が喜びなんだと気づいたからだ。
お金がなくなって苦しくなるのは社会が悪いのだ。
今日ものんびり生きる事にする。