若さ故の感性ってやつ。 | 日本社会の流れに乗れないので自分で歩いていく事を決めた

日本社会の流れに乗れないので自分で歩いていく事を決めた

2010年8月末日

初めて就職した会社は2年を辞めた。
大学は卒業していない。
婚約は一旦破棄になった。

2011年3月末日まで、自分の人生の変革期だ、と本気で思っているニートの日記。

最近思うんですが、10代超えた所から人間の感性ってずるずる後退していく気がするんですよね。
マジでヤバい。19の時から比べたら自分の感性って半減ぐらいしてて、思いっきりびびってます。
昔はちゃんと綺麗なものじゃなくても、完璧じゃなくても、歪でも、美しいものってわかっていた気がするんですが。
いつの間にかそうゆうのわかんなくなってきて。下手な演奏も、安い演技も、汚いアートだってよくわかんなくなってきたんですよ。
やっばいなぁと。素直に名作ってのが好きになってきちゃいました。

でもよくよく考えると社会人になって時間が無くなってくるとお手軽芸術に走ってしまうんですよね。
時間無いとか言い出してね。
膨大な無駄を重ねて奇抜で面白い芸術家探している余裕も無いし、つまんない映画みたら時間損だとか思っちゃうし。
海外行ったって、すっげー田舎まで足延ばせないしね。
あーいやだ、いやだと。
感性の後退と時間が無くなって、金だけ増えてくると、本当に感性なんて子供の一万分の一も無くなっちゃいそうで、怖くない?

まぁなので、最低限の感性維持する為に、クラシックと名作の絵画ぐらいちゃんとわかっておこうかなって。
多分、お気楽ですよ。だって、時間が経過しても風化しないってそれなりにいいものなんだもん。
本屋行って悩むぐらいなら、漱石か鴎外か、芥川でも買っておけば、まぁ外しはしないので。

ちゃんと若い時にいいと思っておかないと一生その価値がわかんないものってある気がするんですよね。
田口ランディの『コンセント』読んで、岩井俊治の『リリィ・シュシュのすべて』を見て、アジアのスラム街ふらついて、下北のパンクのライブに通って。
もうそれらに今接したって、本当に良かったのかなんてわかんない気がするんですよ。
それに出会った時の強烈な印象、もう受けない気がするんですね。
すっげー人生寂しいなって思って。
まぁなんかあの若さ特有の暗さみたいなのってもう出てこない気がする。
何故か精神的に病んでいる子が大好きだった事があって、それも暇人の象徴。
あーもう現実問題それってすげー大変なんだけど。
何でだろう、人生の悲惨さっていうのが凄い好きな時期があった。
歪なのがすっげー綺麗なんだって思っていた時期があった。
なんかそれ、思いっきり壊れてしまったなぁなんて思っている。