なぜ、私は失敗してしまったのか。
失敗させてしまったのか。


【1】娘が見ていたもの、感じていたことに気付けていなかったり軽視する態度でいてしまった。("自分なり"に努力していたつもりだったが"見守り"の意味を熟知できていなかった。)

①人とのコミュニケーションをとるのが非常に苦手な娘(幼い頃からクレーン現象の顕著な子であった)に対して、それを強いる状態を作っていた。(信頼する先生なんだから自分で連絡することができるだろうと期待し、自分をその役目から降ろしたがってしまった。)

②先生の忙しさに気を遣い、娘の求める時、必要な時に直ぐ様欲しい答えを求める行動を起こさなかった。娘の気持ちを後回しにしたのである。
(体が動かしやすくなり始め、気持ちは目一杯何かをしたい衝動に駆られるが体力がついていかない状態で、もどかしい思いをしていた時期)

③焦りの中で私への不信感が増した娘は自分で納得のいくネットの情報に傾倒し沢山のマイルールを作り上げそれに縛られるようになってしまった。なおかつ、娘にとっての"見守り"と"放置"の境を測れていなかった私はそれに気付くことができなかった。

④娘が追随してきたことで、自分が越えた山(ベンゾジアゼピン離脱症状)を自分と同じように越えさせようと、いつの間にか強いる状態になっていたと感じる。

【2】 兄弟が母親と仲違いするトラブルの真っ只中に巻き込んでしまい、信頼していた者から沢山の聞きたくない言葉を聞かされてしまった。強い人間不信、悲しみ、怒り...。過食に拍車をかけた出来事でもあった。




『共感』する
と言うことが
できていると思い上がっていたが
実はできていなかった。

安心・安全な居場所
『安全基地』
を作ってやることができなかった。


絶対的に必要な
大切な2つの要素 . . .



状況や心情を表現するには
どうもしっくりこない部分もあるけれど、

私の拙い語彙力ではこの程度にしか
まとめられない. . . 。


とにかく

安全基地の無い中で
娘が入り込んでしまったのは

摂食障害と言う負のスパイラル。

入り込んだ頃からの記憶は
特に拒食の頃の記憶は娘にはほぼ無い。

これ良しとして
誰の言葉も耳に入らなかった拒食の時期。
(食べていないこと、指示を守っていないこと等はひた隠しにしていた。)

一転して
止められない食欲に翻弄され
苦しさに泣きながら食べ続けた数ヶ月。
(過食行動を家族に知られないようにするための苦しさ、罪悪感、嫌悪感は日々強くなっていただろう...。)


「指導された通りに栄養を摂れていたら、あんなふうに暴走しなくて済んだよね」

ゆっくりと
そんな反省をできる段階まできたこの頃。

まだツラい衝動に苦しむ時間はある。

それでもようやく
自暴自棄になっていたところから
抜け出すことができた。

そんな私たちを気にかけて 
根気よく時期を見計らってくれる先生方。


回復期に差し掛かると、
自身の体調不良は自身の思考パターンの癖から来ていた物だと新たな壁が見えてきて
そびえ立つからに他なりません。

回避回避、拒絶拒絶
して来た闘争逃走反応で今度は必ず、
自己が立ち向かわない限り、
乗り越えない限り、
前進や上昇は見られないから。

(林先生のブログより)


子供が壁を乗り越えようとする時

安心して挑んで行けるよう
転んでも立ち上がることのできるよう

その足場をしっかりと固めておくのが
親の役目だろう。

歩を進めるのは本人にしかできない。

そしてこの時期に歩を進めるためには
支える者の存在は不可欠である。


それなのに

私は娘の足元にレンガを積んだつもりで
穴のあいた砂袋を置き不安定にした

踏ん張ろうとしたその足元は
崩れるべくして崩れた。

HSPとHSSのギャップを
どうクリアしたらいいのか . . .
(共感しても、次の瞬間に衝動的な言動で相手の自尊心を砕いていると思われる私なのである。)

思考よりも感情が先行してしまう者ゆえ

ショートスパンで状況を聞いてもらい
行動修整に繋げるアドバイスを
怠らないように心がける日々。

「これでいい」
とか
「自分には理解できている」
とか

思った時ほど要注意かもしれない。


思うに任せて懺悔の文章を綴るも
どこか上っ面な気もしてくる . . .

とにかく、
我が家は仕切り直しなのである!

ハードルはまた上がってしまったのか...


けれど2年前には全く無かったものが
今は手に入れられている。

屈託なく笑う娘の姿だ乙女のトキメキ

大声を上げて笑い合える毎日。
喜怒哀楽を表現し合える時間の共有は
この上ない喜びである!








やっと吐き出せた. . . 



恥ずかしいことだが
私はこんなレベルの人間である。

勇気をくれた当事者研究会のみんな
「ありがとう」


ずっと待ち続けてくれて
回復のために力を注いでくださる
先生方にも
感謝のほかありません。





そして

厳しくも深い慈悲に溢れた
宇宙の意思に想いを馳せる。

心臓を動かし血を巡らせ
肉体としての自分が生きている。
自らの意思ではない力であり
自らが発する力でもある。

その仕組みに謙虚でありたい。

天地の恵み
賜る試しと鍛えに感謝。






気付きと行動で
自分を変えられる

誰もがそこに向かって行ける

諦めさえしなければ