最近、昔、ねずみ講みたいなものに
誘われたことを思い出しました。
ねずみ講、、今はないけど
20代の頃は何回かあったなぁ。。
そもそも誘い方も騙し討ちみたいな
やり方で、不信感でいっぱいになったし
話の内容も、夢いっぱいみたいな
話を聞かされるのだけど、
やっぱり、話を聞いてる途中で
おかしくない?
っていうことがでてきて
そこを質問すると、
ものすごい勢いで
おかしくないっていう正当性を熱く語られ、
質問するんじゃなかった。。
と、後悔した記憶があります。
それまではニコニコで話していたのに
質問した途端、顔色が変わるというか
正当性を語る必死さや熱量に
私はドン引いたけど
人によっては、この熱量に影響されて
やるようになるのかな。
なんて思いながら聞いていた、そんな思い出。
こういうやり取りって、大なり小なり
世の中で行われていて
そこで何を信じるかって人によって違います。
私にとって、まがい物に見えるものも
人によってはお宝に見える場合もあるし
私が信用できると思ったものも
人によってはくだらないって感じることもあるだろうし。
同じものを見てもどう感じるかは
その人がどう生きてきたかによって
違いがでる、それは当然のこと。
でも、分かっているのに
何か変だなと思っているのに
こっちの方が楽だから、
波風立てたくないから、、
っていう理由で物事を選んでいくと、
どんどん自分の意見が通らなくなる
環境を、自分自身で作ってしまう。
譲ってはいけない部分は
自分で守る。
必要ないものは切り離す。
自分が選択したものが
生活にダイレクトに返ってくるから、
何かを選び取る手に、自分の意志を
乗せることを放棄してはいけないな。
