僕のガンプ考 | テクスファーム小林のブログ

僕のガンプ考


「新潟美少女図鑑」編集長のブログ

先日、録画した、
「フォレストガンプ」を見た。


セリフの一つ一つが深いように感じるのは、
僕が大人になったからか。父親になったからか。






そんな僕の「フォレストガンプ考」。


序盤では
「ガンプはバカである」を
前面に出す。


そのとき、ガンプがヒロインに向けて放った「愛してる」は一蹴される。
ヒロインは言う。「愛が、何かも分かってないクセに!」と。



中盤では
「こんなクソみたいな世界で、
本当に正しいのはガンプ」
という構図にすり替わる。


そんな中、ガンプは、再び、ヒロインのジェニーに言うのだ。
「愛が何かはわかっているつもりだ」と。


彼女は答えられない。
この彼女の姿こそが、僕たちの存在そのもの。

時代に翻弄されながら、
自堕落に、
だらしなく生きている。

それなのに、愛されようとしているし
愛されるのが当たり前のような顔をしてる。


それに気づいて
その愛に答えられないヒロインは、ひと言も告げずに、姿を消す。


ガンプには、
この不誠実な行動を理解できない。


でも、僕らには分かる。分かるぞー。
ダメな人間のシンパシー。脚本家のアイロニー。


そして、
失意のガンプがとった行動は

走る。ただただ走る。

映画「フォレストガンプ」の最も深いシーンは、
この「ただ走る」という展開に尽きる。

今、ジョギングブームでしょ。

人は救いを求めるとき、答えを求めるとき、走っちゃうんだろうな。

映画の中で、
ガンプは全米を3回横断?して、
とうとう、その答えを見つける。




そして、言った、究極のひと言こそが
「疲れたなー。お家に帰ろ」である。


はい。僕、ガンプのメッセージを受け取りました。
答えにたどり着きました。(たどり着いたのはガンプだけど)


みんなも、そうしたらいいよ。
お正月、自宅で、のんびりしよーよ。

どこかに行っても、何の答えもありませんぞ。