さらば、大倉修吾 | テクスファーム小林のブログ

さらば、大倉修吾

今日の出勤時、AMラジオを聞いていたら、BSNラジオの看板・大倉修吾さんが、 本日放送の「縁歌劇場」をもって卒業されると言っていた。

「新潟美少女図鑑」編集長のブログ


この番組ロゴ(お茶漬けパッケージみたいなの)は、うちの会社で作らせてもらったものだし。

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過去には、僕が企画と制作をした「キリン提供のパブリシティ番組」も1年間、司会してくれた。

畑違いの僕を真剣に怒ってくれた人。
今は、ただ感謝。

ちなみに、当時の僕は、降って湧いたラジオ番組のディレクターに困惑していた。

というのも、若者に向けたラジオ番組なら5年くらいやってたけど、それは、サテライトスタジオでDJと二人で作っていたから。

それが本社スタジオで「全く見慣れない機材」で、しかも、看板パーソナリティ。

だけでなく、エースのアナウンサーが両脇にサポートに入って、かつ、スポンサーが立ち会う。見たことないほどの大人数でのラジオ収録。

そこに、ディレクターとして立つことに。

居場所もなさそうに、自信なさそうに、現場も仕切りきれてない僕に、大倉修吾さんがキレた。

「オマエが、現場の責任者らろが!」

的な感じで、プンスカ怒って収録中のスタジオを飛び出し、そのまま帰ってこなくなったことがある。

あの事件で、僕は、どんな現場でも、どんな環境でも、どんなアウェイでも「プロなら、全部、自分で決めるもんだ」と腹を括った。 あの日、僕はプロ(社会人)になった。


今にして思えば、本当に、本当に、感謝。


でもさ、あのときは本当にビックリした。
スポンサーも、ゲストもいるのにさ。
2本録りの1本目なのに。

急にスタジオを飛び出すんだもの。
あれは、心底、驚いた。

しかも、キュー出しが遅れただけで激怒だった。
その前にも何かあったんだろうが。

最初の2クールは、僕ひとりだったが、後に(いつだって救世主の)藤田くんがガッチリとサポートしてくれた。てか、藤田くんがやってくれた。

藤田くんとは、ディレクターで、新潟在住の小説家で、Teeシャツショップのオーナー。とにかく、マルチ。

ここからは、愚痴なのだが、このラジオの仕事ってのが、今にして思えば、かなり過酷で。

スポンサーのお伺いのもと取材先を選定して、1週間1本ペースで台本を書いて、スポンサー立ち会いのもとで収録して、編集に立ち会い、スポンサーに収録音源を聞いてもらった後に、ラストのマスタリングをして、編集室に「最終音源」を、
放送日時をメモとともに届ける。

という作業。

途中、どこかで一個でもミスすると放送に穴が空く。メモの日付を間違っても、放送事故。このプレッシャーは相当キツく。

で、しかも、すべてのスケジュールは、スポンサーさんと大倉さん、スタジオの空き状況などが絡み合い、全然、自分でコントロール出来ない。

もちろん、当時も、フリーペーパーの編集長業務を3本かけもちしていて、本業の表紙撮影を前日バラしとかあったりしつつ、突発的なラジオ収録に立ち会って。 

なのに、大倉さんがブチギレてスタジオを出て行く。

という中で、シゴいてもらったので、少々の現場、少々のアウェイでは、折れないハートを持つことが出来た。

あの現場で僕をサポートしてくれた人には、心底、感謝している。作家の藤田くん。BSNの新保アナ、佐々木美佳子さん、リポーターをしてくれた大杉りっちゃん。


まとめ:
大倉さんとの現場で「カネでは買えない経験」を得た。

・仕事に対するハートの強さ。
・意外になんとかなるという限界値。
・現場での「仲間」の大切さ。


今日の日記は、大倉さんへの感謝で、書き出したものの 、じっくり思い返すと、やっぱ大倉さんはメチャクチャな人だった。 

振り回された結果として、勉強になったかな、ということ。

思い出は、美化される。

これも大倉さんのお陰で、今日、知った。
ありがとう、大倉さん。
そして、さようなら、大倉さん。