まだ完治してないけど、包帯ぐるぐる巻きではなくなったのもあって、少し動きやすくなってきた。
(主に)足を怪我して、いろいろ感じたり気づいたり。
瞬間の判断を迷って怪我して、そのことが情けなかったり、人の親切に感謝したり。
情報として足の悪い人のためにはエスカレーターは下りのほうが大事と聞いていて、上りしかない駅では「下りにしたらいいのに」と思ったりしていた。
身近で足や膝が痛いと聞けば、大変だなぁ、早く良くなれ、と思ったり祈ったりしてた。
日頃から人には想像力があるのだから、もっと生かせばよくなるのに、と思うことも多かった。
私はまだ想像出来てる、もしくは想像力を働かせているほうだと思ってた。
でも、実際片足引きずって歩くと、下り階段の辛さは想像の3倍~5倍だったあせる
経験しなくて済むものは経験したくないけど、やはり経験は重みがあるのだなぁと思った。

さて、ほかに気づいたことなど。
身体の健康は心の健康に影響する。
(手や顔も少し怪我したのもあって)日常が不便だと最低限のこと以外、やる気や動くことに消極的になる。

健康な身体、普通に動けることの有難さ。
日常生活の有難さ。
階段や様式トイレなど。特にお風呂に入れることの有難さ!
湯船につかれなかくても、お風呂場が寒過ぎない時期でよかったビックリマーク
動けないことがいかに不便か、(仕事など)周りに迷惑をかけるか。
そして出費がかさむ汗
病院代、移動費、キャンセルした分の収入、ダメになった服など物損、絆創膏など治療用品、その他。

あるといいもの、便利だったものなど。
ビニール手袋
輪ゴム
片手で簡単に髪をまとめられるもの
ラップ
拭き取り用化粧水
ガーゼ、伸びる包帯、絆創膏など
簡単に着られる楽な服
家用、外用のゆったりしたパンツジーンズとシャツなどワンピース
(今持ってる&売ってるのはほとんどスリムパンツ! 怪我人には厳しいダウン

まだ痛み止めが切れると痛いけど、骨折じゃなくてよかった。(縫ったけど。擦り傷は治ってきつつあるし)

あとは傷跡が残らないように、早く良くなれ虹


















iPhoneからの投稿

昨日、小さい猫の置物をつくろうと思って、すこしだけ形にする作業をしていた。

いつ完成するか、完成させられるかわからないけど。

とにかくシンプルな形でと思いつつ、参考に思い描いていたのは昔飼っていた猫。


だからなのか?今朝覚えていた夢で、私はその猫を抱いて歩いたり、走ろうとしていた。

約20歳で死んだけど、抱いていたのはちょっと若いときの猫で、毛並みがツヤツヤで抱き心地も良かった。

夢の中で私はわかっていたのか?

「そうそう、こんな寝顔してたな。毛並みも色もこのとおり、ツヤツヤで、こんな感じに白っぽかったり茶色っぽかったり、グラデーションもこんな感じだった。それで背中のとこ指二本ですぅってやると反るんだった」

そう思いながら抱いていた。(ちなみに小さくて丸いシャムでした)


ほかに一緒に歩いていたり途中で二手に分かれたりした私の家族もちょっと若いときの姿形だった。なぜか父はいなかったけど。


そして私たちがいた夢の中の町は、シチュエーションは違うけれど夢の中で少なくても1度は行ったことのある、どこかしら見覚えのある町だった。

そこには、今いる現実にある駅名が4つくらい出てきた。距離感や配置は夢の中のほうが近かったけど、歩くには遠く、道もややこしい。沿線名も違っていた気がするし、改札までの構造も違っていた。

でも、確かにその町には来たことがあった。そのときは別の方向にいた。

電車に乗ってる夢も見たことがあるけれど、その時乗っていたのはこの町方向に向かっている感じだったような気もする。


今朝の夢とは別で、これまた夢の中で2,3度行ったことがある町もある。

現実世界にある町だったか駅だったかの名前も出てきていたが、町の作りや道は現実とは違った。


何度か行ったことを覚えている夢の中の町って、パラレルワールドとかいう世界なのかな。

一部現実世界とリンクしているのが不思議。


ペタしてね


2年も経ってたか~。

放置状態だったのにコメントをいただけたこともあって、

また書き始めようかと思いました。


私の中ではこのブログはもっとスピリチュアル的な感じで書いてた気がしたけど、

いくつか読み返すとそうでもなかったあせる

心理学とか精神世界とかスピリチュアルとか、好きというか気になるジャンルではあるし、

そういうの受け付けない人からしたら「どっぷり」に見える部分もあるかもしれない。

でもそういうのって、生活してる範囲ではほとんど言わないでいる。

何か見えたり聞こえたり特殊能力があるわけでもないし、

占いとかでさえ受け付けない人が多いから。


ここはスピリチュアルな世界に関わる人や生活の中で会う人とは切り離していこうと思ってたけど、

だんだんそうもいかないかなぁ~と思い始めたのもあって、ほったらかしになってた。

書こうと思ったことがリアルに会う人、会った人のことだったらどうやってぼかそう、とかめんどくさいこと考えてたり。

心理学的、スピリチュアル的なことは本を読んだり出かけたりしてみるけど、

「崇拝」にならないように、その世界のなかでもあっちを見、こっちを見、生活のなかでもリアルとその世界を行き来しつつ俯瞰的に見ていたい。

その中で「これ!」と思うことがあったらもしかしたら「ハマッた」ように見えることもあるかもしれないけど、

今のところはないかな。

そんなスタンスだから、「これがこうなったのはOOのおかげ」と思ったことはない。

いいのか悪いのかはわからないけど。

もっと一つをじっくり見て体験して「OOのおかげ」と思えたほうがよかったり幸せだったりするのかもしれないけど。

いわゆる男性脳ってやつが勝ってるのかな~とは思う。

理性がはずれない、論理的ではないかもしれないけど、思考派?

そのせいなのか、しばらく自分には情熱とかが足りない、と思ってた。

最近はちょっと、気になることにはちょいちょい手を出すようになったので、少しはマシかな。


あと、そういうスピ的なことに触れたり本を読んだりしてるのに実地で生きてないというのがあって、

気づきだなんだというブログを書けずにいたというのが大きいかな。


そんなこんなで、ごぶさたしてましたが、もっと気軽に、もっといろんなことを書いていってもいいのかな~と思い始めたので、また気まぐれに書いていくかもしれません。

「もっと気軽に」ということで、ブログの雰囲気とかいろいろ考えずに、背景を行きたい場所の一つにしてみましたニコニコ



なんか長くなっちゃったな汗

もしお目に留まったら、気が向いたらこのブログにお越しいただけるとうれしいですラブラブ



ペタしてね

今日は地震に絡むこともあるけど、

個人的に心配なことや気になること、

うれしいような寂しいような、

ちょっと困ったような、、、

いろんなことや話があった


どれをとっても考えるのは

今生きてる意味、できること、これからのこと


いろいろあって、その積み重ねが日々の生活

さて、私は…。










東日本巨大地震


祈り以外、言葉がみつかりません。


私も過去の震災で、今回被災された方やその関係者の何分の一かもしれないけれど、知りたい人たちの安否がわからない不安や、思い出の地、昨日いた地が変わり果てた様子を見たときのショックや悲しみを味わいました。

でも、今回映し出された映像の数々はそんな思いを「ちっぽけなこと」と吹き飛ばすくらい衝撃的なものでした。


いまだ救助の手が届いていない人たち、

救援・救護が必要な人たちに一刻も早く必要な救いが届きますように。

救助・救援に向かった方たち、これから向かう方たちの無事も、

心よりお祈りします。



世界から届いた日本への祈り

http://matome.naver.jp/odai/2129985372846288901?&page=1












今日はイマイチな日だったな。

電車のタイミングも合わなかった。


何で待たされてるのか説明もないまま待たされたり、

中心の人が遅れてきたあげく、

メールで聞いてたとはいえ仕事の打ち合わせもなく一緒に来た同僚と普通に雑談や身内話始めたり…。


スピリチュアル的には私の波動が悪いから、とか引き寄せで、とかって話しになるのかもしれないけど。

周りが見えてない人がみえてきた。


会社の名前でしか仕事してない人もすぐわかる。

エンドユーザー、お客様目線でないのもわかる。



(そういう意味では国会とか議員とかもそうかもね)

 (ところで「遺憾」って普通に訳したら「残念です」ってだけで怒りや抗議の意味はないみたいだけど、使ってる人たちはどういう意味でどう訳されたらとか考えてるのかな。わかった上で逃げで使ってるのかな)


わかることが増えてきても、やっぱり「!」とか「!?」とかいうことがあると「はぁ!?」って思ったりもする。

愚痴は溜まるとこびりつくから、吐き出したほうがいいらしい。

どうせ愚痴るなら、明るく軽く吐き出したい。

大声出したり体動かしたりもいいらしい。

となると、やっぱり人は一人では生きていけないんだなぁと思ったり。


吐き出し終わったら、似たようなことを気づかずにしてないかどうか点検する種にしてみよう。



ペタしてね





用事のついでに懐かしいケーキ屋さんへ。

といってもそこへ行って買うのは初めて。

そのお店の前は小さい頃から何度か通ったことがある。


小さい頃、誕生日におじいちゃんがそこのケーキを買ってきてくれてた。

名前入りのホールケーキケーキ


代替わりしたけど、今の店主さんにもおじいちゃんは会ってるはず。

「顔見たらたいてい覚えてるはず」

そのことばに思わずホロリときそうになった。

おじいちゃんはもうずっと前に亡くなってしまったけど。

本当かどうかわからない、

優しいうそかもしれないし、本当に顔を見たら思い出すのかもしれない。

でも、うれしかった。


時が止まったままのような、すこしくすんだ感じの外観。

ショーウィンドウの中のケーキも、今時のきらびやかなケーキではなくて、

シンプルで、ちょっとがんばっててもどこかに懐かしさの残るようなケーキが並んでた。

ホールケーキを見た瞬間「そうそう、コレこれ、これだった!」って記憶に蘇る。

オーソドックスな生クリームのデコレーション。

真ん中の「おたんじょうびおめでとう」の文字はまさにコレ!

その上に「○○ちゃん」って入れてあったなぁ。


仕事帰り、途中下車してケーキを買ってたと聞いている。

そこからまだ遠い孫の家まで

どんな思いで届けに来たんだろうと想像しながら

昔ながらの懐かしいケーキを提げて帰ってきた虹



ペタしてね



自由に生きてる人を見るとうずうずする

好奇心や情熱のままにまっすぐシンプルに突き進む人たち


卵の殻の中で縮こまっていて

なんだかわからないけどとにかく外へ出たくて

腕と両肩でこじあけようとしているような


いつか言われた「まだ硬い蕾」から

一枚でもはやく花びらを開いていきたいような

…でも広々とした外の空気に触れるのには

まだちょっと勇気や何かが足りなくて心細いような


私もシンプルに生きたい

シンプルだけどすべてが融合されてそこにあるような


生き生きと生きる

私の核は何だろう

目の前のことを越えたテーマ

そこから見下ろしたときに初めてできることがきっとある

そうでないとできないことがきっとある



ペタしてね



新月の願い


けっこう書いてきたけど、

まぁ、ほとんど叶ってない┐( ̄ヘ ̄)┌


それでも書き続けてるのは、

ほんのりと期待しながらというよりも、

今の自分の思いや希望、願いを確認するため。


次の新月までに叶うような内容じゃなかったり、

物質的すぎたり観念的すぎたりするけど、

とりあえず何か書いてみる。

ゆっくり時間とれずに走り書きになったりするけど。


叶わないのは潜在意識で思ってることじゃないからなのかな、と思いながら。

生きて生活してる間は顕在意識が働いてるんだから、今思うことが叶ってよ~!

と叫びたくなることもある。


いつか振り返ったらほとんど叶ってたり、

まとめてドバーッと叶ってたりするのかな。


できれば一瞬でも早く叶ってほしいんですけどビックリマーク

って、「叶った」と思ってないといけないんだった。


ん~むガーン


心や考え方に関するある商売をしているブログがあります。

そのブログ主をAさんとします。

Aさんの主催するセミナーを受講して、Aさんが作ったある資格を取得したBさんという人がいます。

BさんはAさんの弟子筋として、同じようにブログを通して営業し、セッションなどしていました。

でもいろいろ気づきを得たようで、その資格を使った仕事と同時にブログも辞められました。


BさんはAさんに「幸せ」の幻想を見てすがりついていたことに気づいたそうです。

Aさんのブログはよく計算されていて、Aさんのセッションや主催するセミナーに行けば魔法のように問題が消えてなくなるかのように思えてきます。

私もBさんと同じように、Aさんが発信する内容に興味がありました。

好奇心、知識欲、かな。

「まだ知らない、でも知ったほうがいいことがあるなら知りたい!」って。


実際AさんにもBさんにも会ったことがあります。

でも、特にAさんに会うとき身構えていたせいか、のめり込まずにすみました。

金額も大きいし、なんとなくひっかるものがあって、Aさんの講座などは受講してません。

BさんがAさんの根っこの部分に気づいて去った経緯を知ったとき、「やっぱり」と思いました。


「やっぱり」Aさんの本音はそこだったんだ、

「やっぱり」そういうベールをかけて魅力的に見せてたんだ。

Aさんのブログで感じた違和感は「やっぱり」間違ってなかったんだ。

Aさんに会ったとき身構えたのは「やっぱり」どこかでわかってたからなんだ。


「やっぱり」が出てくる出てくる。

ほんとは直感でわかってたのに頭で考えきれずに惹かれてた。

知ってることでもベールをかけられると魅力的に見える。

自分の直感を信頼できてなかった。


わたしもBさんと同じようになるとこだったかもしれない。

なんとなく感じた「もやもや」を無視しなかったから助かったんだ。


ビジネスとしてとっても上手に計算して展開していってるなとは思ってたけど、いろいろ知って考えて、改めてAさんのブログを見ると“やっぱり”「私のためにお金使ってね♪」に見えてくる。


直感って、パシッとかピンッとかわかりやすく来るものばかりじゃないんだな。

勉強になりました。

もっと自分を信頼していこう。

惑わされないように、「もやもや」をもっと明確にしていけるようになろう。