私の産みの(正解?)父の顔はもやがかかったように全く覚えていないが、

自分に起こった記憶も小学校の中学年くらいまではあまりない。

 

最初の離婚後に九州の母の実家に引っ越してからは、

とにかく母が忙しかった。朝昼晩、と本当に3つ仕事をしていたらしい。

まだ5、6歳だったし、母に会いたくて、話をしたくて、家の外に座って、

母が仕事から帰って来るのをずーっと待っていた記憶がある。

父親っ子だったのに、急に片親になりやはり寂しかったのだろう。

 

小学校の1~3年生までの生活はいじめられていた?ような壮絶な記憶はないが

楽しかった記憶もない。なんだかとても暗いトンネルの中にいたような感じだ。

多分とても暗い子どもだっただろうと思う。このへんの記憶もモヤがかかっている。

学校も、義父や祖父母に気を使う家庭も楽しくはなく、

心の中は苦しかったし寂しかったのだけがハッキリとある。

 

あっ、2個目の名前になったのがその頃。

最初の名前は漢字がとても難しく、普通に読んでくれる人はほとんどいなかった。

習字で書くと真っ黒になったので、難しい漢字の読みをそのままわかりやすく改名した。

その頃の記憶だが、自分も家庭裁判所かなんかに行って手続きをしたと思う。

表向きの理由はみんなが読んでくれないから、だったが、後から聞くと、

このままの名前にしておくと、私が孤独になり、僧侶になるだろうと占い師さんかなんかから

言われたから変えたと母が言っていた。

命名した時も当時テレビドラマの主人公の子の名前を付けた、と言っていたが、

改名の動機もさすがに当時の若いママの勢いあるあるだなーと思う。

今ならきっとキラキラネーム☆になっていただろうな。笑

でも、今思えばこの改名が私の運勢をも変えたのかもしれない。

 

再婚してしばらくは母の実家にみんなで住んでいたが、

なんとなく祖父母と義父の仲も良くなかったし、

このままじゃいけないだろうということで、養父・母・私・弟で核家族として

引っ越しして生活を始めることになる。

小学校4年生になり転校する。

 

kana.