たまに見る「お父さんがいなくて、お母さんが頑張っている」とういうような感動記事。

 

先日も、「小さい頃にお父さんが事故で亡くなって、お母さんが代わりに頑張って働き、家事やら家のことは、おばあちゃんがやってくれている」

という文章を見た。

 

確かに感動する文章ではある。

 

ただ、この文章のことではないが、似たような内容の中にはその裏というか別角度から見た現実もあるのも事実である。

 

自分がその張本人。

 

結婚当初、当時の妻は、「生活に係る一切の費用はあなたが出し、私はお金は出さないし、私の貯金としてあなたには渡さない。そして、このまま自分は働き続ける」と勝手に宣言してきた。

その当時は集合住宅に住んでいたのだが、機嫌が悪くなると、妻はわざと足音を大きく立てて歩いたり、大きい音をたてて戸を力いっぱい閉め、その結果、何度も下のおばさんから怒られ、結果やむなく妻の実家の敷地内の隣のボロ家に引っ越すことになる。

 

子供が生まれるも、一か月程で母乳を止め、「自分は1人で寝る」と夜、妻は寝室で寝て、私と息子は、息子が11ヶ月になるまでリビングで寝ることとなる。

 

そして、生まれた当初から、おむつは布おむつ。

それも、わざわざ良い布を選んで・・・というものでなく、そこら辺にある布をてきとうに切って、縫いもせず使っていた。

洗うのはもちろん私。私がいない時にも、風呂場に捨てられているように、おむつカバーと共にまるまって投げ捨てられていた。

仕事で5日間ほど家を空けた時も、おむつの山が風呂場に積み重なっていた。

 

2人目もできたが、さすがに上の子がいたため、リビングで寝ることはなく、4人で寝室で寝る事にはなった。

 

私はもともと寝ていても、ちょっとやそっとの音では起きないので、子供が泣いても起きないが、妻は神経質のため、夜泣きをすると、でかい声をだし、私を蹴って起こし、ずっと私がおむつ替えとミルクを飲ませていた。

 

洗濯やそれをたたみタンスにしまったり、食器洗いなど家事関係も全て私。

食事は隣に住んでいる妻の母親が作ったものをタッパに入れて妻が持ってきて、他のお皿にも移さずにそのまま食べていた。

 

そんな毎日を我慢して何とか過ごしていたが、

結婚して6年経った、入籍日の夜、仕事帰りに買ってきた花束を妻に渡すと、

妻が「知り合いに渡したいものがあるから先に寝てて」、と言って家を出て行き、帰ってきたのは朝方4時前。

その少し前から、何かおかしいと直感で感じていたものが確信に変わった。

 

不倫である。

 

当然、私はその日から妻と口を利かなくなった。

その数日後、その件のことで妻を責めると、妻は逆ギレし「お前が出ていけ」と罵ってきたのだ。

 

それからも色々とあったが、2年経ち、お互いの両親も含めて話し合うこととなった。

驚いたのは、不倫の事実を妻の母親も気付いていたと自ら告白してきた。

しかし、妻の母親は謝ることなく、ただ事実を述べただけ、という感じであった。

私の両親は気弱のせいか、その場でほとんど言葉を発することもなく、ただ聞くだけで、その場を立ち去った。

 

その後、私は子供の親権をとるため、調停をおこすが、妻は忙しいやら理由をつけてその場に来ることはほぼなかった。

1回だけは来たが、それっきりとなり、事を全く進めることできなかったため、裁判をおこすこととなった。

 

そのことにより、妻はさらに逆鱗した。

 

私は、担当の弁護士より「子供達と離れて暮らすと親権をとることはさらに難しくなるため、大変でしょうが一緒に暮らしていてください」、と言われていたため、針の筵状態ではあったが、一緒に暮らしていた。

妻は子供達に「パパがお母さんを殺そうとしている、お金をとろうとしている」と吹き込んでいたため、子供達は私を避け、私を罵るようになっていった。

 

そして、私はそのような状況が続くことにより、実家や職場で何度も倒れ、結果、入院し職場も1ヶ月半ほど休むこととなる。

当然、子供達とは一緒に住むことはできなくなり、実家で両親と暮らすこととなる。

 

そして、その後、上の子と一度だけ会って話せる機会があったが、言われた言葉は

「お母さんは仕事をメッチャ頑張ってる。おばあちゃんもごはんとかメッチャ頑張ってくれてる」

 

離れて暮らしている時にも、水道光熱費、子供の学費や習い事などは裁判が終わるまでの3年間は全て私が出していた。

あの不倫が発覚するまでは、妻は隣に住んでいる妻の母親には、まだ当時幼かった子供のお世話をお願いせず、私の両親に世話や幼稚園の送り迎えをさせていたのだ。

 

裁判後、妻から「もう子供達には絶対に会わせない」、という内容のメールがあったため、

月に1回、子供達との面会の権利はあるが、それはもう無理である。

 

子供の面倒を見ないのに、何故、妻が子供に執着するのか・・・

それは妻の実家の財産のため。

妻の兄は、未だに仕事も結婚もしていない。

上の子が跡取りとなり、財産関係を総取りするため。

以前、まだ不倫発覚前にそれを臭わすようなことを言っていた。

「長男は、あなた(旦那側)の実家の跡取り。下の子は女の子で嫁にいってしまうから、私(妻側)の実家の跡取り(つまり3人目)をつくりたい」、と。

 

裁判で様々な証拠を提出したが、妻側に賠償金の支払いは出たものの、私が親権を得ることはできなかった。

裁判所からは、早くこのややこしい案件を整理したい、という思いが十分に感じられた控訴審であったのだ。

 

このように、子供の言葉では自分の環境や片親のことで大変だと感じられても

その言葉だけではわからない、そして子供自身も知らない事実も場合によってはあるのだ。

 

言葉の真実は、それを辿っていかないとわからないものである。

 

妻は保育士であり、子供達の扱いには慣れている。

そして、ずっと近くで見ていて、子供達に暴力行為に近いことをしたりして、子供達を洗脳しているようなことも見てきている。

 

 事実を伝えている人からは、「子供達はいつか分かってくれるよ。会えるよ!」と励ましてくれるが

私は、分かってもらおうとか成長した姿を見たいのではなく、

ただずっとずっと子供達の横にいて、成長を見守り続けたかったのだ。

「特養」の正式名称は、「特別養護老人ホーム」です。

特養のもっとも大きな特徴は、「死ぬまで入っていられる」ということ。介護つきの施設です。

2015年からは要介護3以上が対象となり、重い認知症の人でも受け入れ、退所を迫られる可能性が極めて少ない、という特徴を持っています。

 

そして、「老健」というのは、「介護老人保健施設」の略称です。

要介護度1以上で入ることができます。老健の場合は、「機能を回復して、家で介護ができるようにすること」を最終的な目的としています。

 

特養が、「最後のときまで心穏やかに過ごすこと」を目的として作られた施設であるなら、老健は「ここを出て、家でみられるようにするまで機能回復をすること」を目的として作られた施設である、と言えます。

 

 

今、母親がお世話になっている「特養」は、市内でも長く運営している施設で、父親の知り合いからも、とても良い施設と聞いており、最初に見学に行った際に対応してくれた男性職員も元気で明るくとても感じが良かったため、父親とここが第1希望、と決めていました。

 

そうは言っても簡単に入居できる訳ではないため、いくつかの特養を申し込んでおり、第2希望は実家からも近く、最近できた施設でした。

 

その第2希望の施設から、入居できる旨の連絡があり、そこに入居することで話が進んでおり、次の日あたりに契約を・・・という時に現入居施設から連絡が入りました。

そして、第2希望であった施設に丁重にお断りして、現施設に入居することとなりました。

 

後で、父親から聞いた話では、その第2希望の施設は、周りからもあまり評判が良くなく、父親の知り合いの方が一時期そこで働いていたようですが、あまり良くなかったようです。

 

新しいためかもしれませんが、まだ様々な体制が整っておらず、どちらかと言うと利益を追求していくことが見え隠れしているような感じを受けました。

今となっては、その施設ではなく良かったと思っています。

 

施設という意味では、一番最初の施設は、とある「老健」でしたが、私はその施設で、ある出来事があってからその施設に不信感を抱いており、何度か文句を言ったこともありました。

 

ただ、母親が大のお気に入りだった男性職員がいたので、その点はとても良かったと思っていました。

また、途中で相談員を交代してもらい、新たに担当して頂いた方は、とても自分との相性も良く、テキパキとしており、自然に話すことができ、良い人でした。

 

ただ、他の施設を知らないため、施設として良い施設なのかは疑問でしたが、今の施設に入って、前の施設がいかに良かったかがわかりました。

やはり、前の施設は人が良かったです。

全員、正職員で責任関係もはっきりしているようでした。

また、こちらが色々と要求等をしていたため、気を使ってくれていたと思います。

私のように、こんなに頻繁に施設を訪れる家族の方は珍しい、とよく言われました。(大体、週に3~4日)

 

今の施設は、相談員と現場の方々の連携がとれておらず、この相談員は何でこんなことを話すんだろう?と未だに不思議でなりません。事務的なのです。全然、現状に即した計画であったり、対応をしてくれません。

話をしていて、ある時から諦めました。

あー、この人に何を話しても無駄だな...と。

 

そして、全てが良いとはいかないことはわかってはいますが、

臨時職員(パートさん)の無責任発言を聞いたり、職員の危なっかしい対応を見ていると、本当にこの施設っていいところ?と思ってしまいます。

 

もちろん、中にはとても感じのいい方もいます。

が...母親に会いに行くと、母親の顔がいつも酷過ぎます。

目ヤニで目の周りがすごいことになっており、口の周りも汁やらでカピカピになっています。日常茶飯事です。

 

何で、おしぼりとかでパッと拭き取ってくれないのか、不思議でなりません。

 

母親が可哀想でなりません。

 

たぶん、周りの人に言うと、「特養」で安いから仕方ないよ、と言われると思います。

ただ、金額だけの問題でもないと思いますし、職員(正社員)の人数も少なすぎます。

人不足ではなく、経営的な面において、人件費を考慮しての人数かと思われます。

お年寄りのため、1人1人にもの凄い長い時間をかけることとなるので、何度コールで呼んでも、全然反応してくれません。

 

そのくせ、臨時(パートさん)の方はペチャクチャ喋ったりしています。

金額的な問題があることは重々承知ですが、正規職員をもっと採用し、サービスを充実させて欲しいものです。

3年弱ぶりにブログを書きます。

この間に、状況も変わり、新たに少しずつ現状や感じたこと、考えることなどを綴っていきたいと思います。

 

まずは母親のことです。

 

親権を争う裁判は昨年終了しましたが、その裁判中の2015年12月28日の夜、母親が倒れ、救急搬送されました。

脳出血でした。

 

父親から、夜、「母さんが倒れた!」と携帯に連絡があり、至急実家に帰りました。

職場が同じ市内のため、こんな時はとても有難いものです。

搬送先が決まり、救急病院に運ばれました。

数日は、ずっと寝ている状態で助かるかどうかわからない状況でしたが、何とか命は助かりました。

右脳の出血であったため、左半身の麻痺で動かなくなっていたものの、少しずつでしたが、その後、リハビリの先生も驚くほどに回復し、歩行器で歩けるようにまでなりました。

 

母さんの話は、繋がらないところも多々あるものの、いっぱい話すことができるようになりましたが、この病院の入院できる期間は2ヶ月以内のため、入院直後から次のリハビリのための病院を探すよう言われ、1ヶ月程で見つかったため、1ヶ月強で次のリハビリのための病院に移ることとなりました。

 

次の病院では最大3ヶ月。この病院では3ヶ月ギリギリまで入院し、何とか「老健」と言われる施設に入居することができました。

 

そして、この施設でも最高3ヶ月までの滞在と言われ、また入居してすぐに次の「特養」と言われる施設を探す毎日となりました。

 

ただし、「特養」は、どこもかしこも2桁待ちは当たり前で、場所によっては3桁待ちの施設もあり、待って待って待って、結局は第1希望の施設からお声を掛けて頂き、8ヶ月間の老健滞在となりました。

 

その「特養」の施設に移る少し前に、ある怪我のため、母親はもう歩行器で歩くことができなくなり、車椅子、しかも自分では操作できず、誰かに押してもらわないと移動できない状態になってしまいました。

そこから、めっきり元気が少なくなっていきました。

 

それから、「特養」に移ると、さらに状態は悪くなり、日に日に衰えていくこととなってしまいました。

 

まずは、この現施設や母親の状況などを今後は書いていきたいと思います。