最近、句友に「『飯島晴子全集』をお貸しします」と言ったきり、まだお渡しできないでいるのだが、お貸しする前に、もう一度、この句集を手にした時の新鮮な心持を思い返してみたいと思ったのだろう、頁を開けて『蕨手』のあの一句を読み返した。

 

  泉の底に一本の匙夏了る

 

何度読み返しても、新鮮な一本筋の通った凛とした光彩を放つ句だ。

 この晴子第一句集の序に、「鷹」主宰、藤田湘子が次のような文を寄せている。

 

「飯島さんにはこの句以前に五、六年の作句歴があって、その期間にも、私の記憶ではかなりの水準に達した作品があると思うのだが、それらをすべて捨てた。そういうきっぱりした決断力が、飯島さんの身上であり、またある意味で、晴子俳句を解明する手がかりになるのではないかと思う。

 泉の句は、『鷹』がまだ創刊当初の混沌としたなかで、私に飯島晴子の名を印象づけた一句であった。ここから飯島さんの新しい出発が見られるのではないか、そう漠然と思った。しかし今日のようなきびしい作家に成長することは、実は予測もしていなかった。いまふりかえってみると、俳句を告白の詩から認識の詩として自覚しはじめる過程に、当時の飯島さんはさしかかっていたのだと思う。

 その後の飯島さんは、急激に変貌の歩みをつづけた。作品が情緒と妥協することを、極力拒んだ。私も飯島さんも、情緒をたっぷり背負いこんだところから俳句の出発をしている。だから私などは、作句力が衰えるとすぐ、情緒的な伝達性にもたれかかって一句を成してしまう弱さがある。飯島さんは日常的にはきわめて女らしい女流だが、俳句では私のような脆さを全く見せず、ひたすら情緒という皮下脂肪を削ぎ落していった。見えるものと対峙して眼をこらしていた飯島さんは、次第に、見えるものをとおして見えない世界へはいりこんでいった」。

 

 「情緒的な伝達性」への甘え…。この部分に頷き納得してしまった。そして「情緒という皮下脂肪」のところで、ふと腹の辺りを触っては…厚いな…と思い自嘲する。

 

 時代は二十一世紀に入り、益々モノの溢れる時代になって、モノの価値がどんどんと下がっている。モノが溢れているからモノへの拘りも薄くなる。そして、この「モノが溢れ価値が下がる」という現象は、情報や言葉然り、個々の人についてもその価値が安く値踏みされるというところに帰着するのではないかとさえ思える。ただ、モノが溢れたからといって、真に価値のあるモノがなくなったわけではない。言葉が溢れる世界に生きているからといって、真に価値のある言葉がなくなることもない。そんなところを見極められるようになりたいものだと、この序文を読みつつ思ったのだった。

 同時に、俳句というのは見たこともないものからは絶対に生まれない…という事実にも突き当たる。モノを見つめて、モノの価値や真髄を見極めて、モノの先まで見通せるようになれたらいいと思う。それが『見えるものと対峙して…見えるものをとおして見えない世界へはいりこ(む)』という自己の俳句世界を切り拓く原点と言えるだろう。そんな“眼力”を養えたらいいと思う。目力―メヂカラーではいけない、眼力でなければ。