よく並び評される二つであるが、“似て非なるもの”と言ってよかろう。これは一括りに「彫像」と言われる立体造形の内に、彫塑(Modering モデリング)と言われる技法と、彫刻(Carving カーヴィング)と言われる技法とにある隔差とに似ているように思う。

 彫塑は、モデリングという言葉の通り、製作者の造りたいモデル―それは製作者の感情・意図を伴う―があって、それに合わせて肉付けをしていく作業となる。骨組みを作り、そこに素材を盛り付け、ときに削いで、思い通りの形に整えていく。

 他方、彫刻は…というと、基本的に、まずは素材ありき…から始まる。それは石材なのか木材なのか、その中でも材質の硬軟を更に選び、その材質が作るものを限定してしまう。俳句が彫刻のようであるという所以もそこにあると思う。まずは季語という絶対的な材質があり、そこに何を彫るのか、材質の素材感を確かめインスパイアされて、そこから削り取る作業が始まる。大まかな形まで削り出したら、次は更なる彫刻形成…鑿を使うのか、彫刻刀で彫り進むのか、どこに空間を切開きどのように像の座りをよくするか…そのあたりを嗜好しながら彫り進むのである。

 よく短歌も歌い俳句も詠むという方がいる。自分にはそんな才がないからしないのであるが、この二刀流のエネルギッシュな製作能力にはいつも脱帽してしまう。ただ上記の通り、“盛る”のか“彫る”のかを意識していないと、二つの技法が混在し中途半端な彫像にしかならないような気がしてならない。

 

 

因みに↑これはモデリング。