みんなで祝おうじゃないかと。お正月みんな生きててよかったと。全員で年を取ろうと、そういうことでみんなが慈しみ合い、愛し合い、助け合い、尊敬して子孫を敬うという文化が「縄文+水田耕作の弥生人」で確立したわけです。
吉野敏明


引用元:「誕生日にケーキを食べるのは当たり前…ではない! 戦後 不二家とGHQが作った“誕生日ケーキ文化”の真実」

 

 

 

 



日本には「誕生日=ケーキ」という習慣がありますが、実はこの習慣は意図的につくられたものでした。戦後のGHQによる政策と、不二家をはじめとした洋菓子業界の戦略によってつくられたのです。かつて日本には、個人の誕生日を祝う文化はほとんど存在せず、年齢は「数え年」で皆が一斉に正月に歳を重ねるという共同体的な考え方が根づいていました。しかし、戦後の食料転換政策を通じて小麦や乳製品の消費が奨励され、「誕生日にケーキを食べる」文化が意図的に広められたのです。今回は、私たちが失ってしまった“日本の共同体文化”の価値を見つめ直します。

 

 

1.日本に「誕生日を祝う文化」は存在しなかった

戦前の日本では誕生日を個人的に祝うという風習はほとんどありませんでした。日本では古くから「数え年」という考え方があり、生まれた瞬間に1歳、そして正月に全員が一斉に年を取るという仕組みでした。
つまり、「誕生日」というのは個人のものではなく、社会全体・共同体全体で共有するものでした。お正月に「みんなが一緒に歳を重ねる」ことこそが祝いの本質であり、それが「みんなで生き延びたことを祝う」という縄文以来の精神だったのです。

 

2.七五三や正月に見る“共同体の祝い”

日本の祝い事は本来、個人ではなく「みんなで祝う」ものでした。七五三の由来を見ても、3歳・5歳・7歳まで無事に生きられたことを、家族や地域全体で喜ぶ行事でした。
昔は子どもの生存率が低く、3歳まで生きること自体が奇跡でした。だからこそ「今日まで生きてくれてありがとう」という感謝を込めて、社会全体で祝う文化が生まれたのです。
これが縄文文化の「共同体意識」と弥生時代の「稲作文化」が融合した、日本独自の“みんなで支え合う文化”の象徴でした。

 

3. GHQの食料政策と“誕生日ケーキ文化”の誕生

戦後、アメリカのGHQは日本に対して「食料転換政策」を実施しました。目的は、小麦・乳製品・植物油など、アメリカで余った農産物を日本に消費させることでした。
その一環として導入されたのが「学校給食制度」です。給食ではパン・ミルク・マーガリンなどが提供され、日本人の食生活が急速に“欧米化”していきました。
この流れの中で、不二家などの洋菓子業界が「誕生日にケーキを食べる」というスタイルを広めたのです。小麦・乳製品・砂糖を多く使うケーキは、まさにGHQの政策に合致した食べ物でした。
つまり「誕生日ケーキ」は、日本の伝統文化ではなく、アメリカの経済戦略と企業マーケティングの結果として誕生した文化だったのです。

 

4.個人主義と分断のはじまり

よしりんは、この「誕生日文化」がもたらしたもう一つの影響として、「個人主義の拡大」を指摘しています。
かつては「みんなで生きてきてよかった」「みんなで年を取ろう」と祝っていたのが、戦後は「自分のための誕生日」という個人中心の祝い方に変わりました。
アメリカ文化が浸透し、「自分の幸せ」や「個人の自由」が重視されるようになる一方で、地域のつながりや世代を超えた“共同感覚”が薄れていったといいます。
その結果、地域の祭りが消え、正月の意味も「休みの日」に変わってしまいました。よしりん曰く、「個人主義の誕生日文化は、共同体の絆を分断するための占領政策の一部でもあった」

 

5.奪われた日本文化を取り戻すために

よしりんは最後に、私たちが忘れてしまった「みんなで祝う」という感覚を取り戻すことの大切さを語ります。
お正月に家族みんなで年を越すこと、七五三やお盆を大切にすること、地域の祭りに参加すること。そうした習慣の中にこそ、日本人の“魂の健康”があるといいます。
「誕生日にケーキを食べるのも悪くはないが、それ以上に“今日まで生きてこられたことに感謝する”という心を忘れてはいけない」とよしりんは語りかけます。
日本文化は、奪われたままでは終わらない。私たちが意識し、守り、次の世代へと受け継いでいくことが何よりも大切なのです。

 

まとめ

誕生日にケーキを食べる――それは今や日本人にとってごく自然な習慣となっています。しかしその背景には、戦後のGHQによる政策と企業のマーケティング戦略がありました。
かつて日本人は「みんなで年を取り、みんなで生きていることを祝う」という共同体の文化を持っていました。
よしりんは、この“みんなで祝う”という日本の原点を思い出し、今こそ家族や地域との絆を再び結び直す時だと訴えます。
誕生日のケーキの向こう側には、奪われた日本の魂があります。それを取り戻すのは、私たち一人ひとりの意識なのです。