教育とは、ここ日本において日本人を作ることです。
吉野敏明
引用元:【日本人と食の話】江戸時代 観相学の大家、水野南北が解いた「節食開運説」とは?
「教育って何ですか?」――よしりんは、この問いに対して明確に答えています。「教育とは、ここ日本において日本人を作ることです」。
この言葉には、現代社会が忘れつつある“魂の教育”の本質が込められています。そして、その原点にあるのが「食育」だと、よしりんは強調します。
食を単なる栄養補給や嗜好の対象と考えるのではなく、「人格形成の基礎」として見つめ直すことが必要だと説きます。教育とは、学校で知識を教えるだけでなく、「日本人としての心・徳・体を育てる行為」であり、その中で最も身近でありながら奥深い学びの場が「食」なのです。
1.魚屋のやりとりに詰まった「知・徳・体」
よしりんは、日常の中にある教育の実例として「家族で魚を買いに行く場面」を挙げます。
魚屋でのやりとりには、「知育・徳育・体育」のすべてが含まれています。値段交渉では算数の力(知育)が、魚屋との会話では礼儀や人間関係の構築(徳育)が、そして実際に買い物に出かけるという行動そのものが(体育)につながります。さらに、魚の頭や内臓を処理する際には、「命をいただく」という感謝の心が芽生えます。これこそ、食を通じた人格形成の教育そのものです。
江戸の人々にとって、こうした感覚はごく自然なものでした。彼らは食材一つひとつに命のつながりを感じ、自然の循環の中で生きていました。よしりんは、これが現代人に欠けている「魂の教育」だと指摘します。
2.水野南北が説いた「節食開運説」
ここで登場するのが、江戸時代の観相学者・「水野南北(みずのなんぼく)」です。
南北は幼くして両親を失い、貧困と悪食の生活に陥りました。酒に溺れ、盗みを働き、牢獄に入るほど荒んだ少年時代。しかし、牢の中で「人の顔つきはなぜ違うのか」という疑問を抱き、これが彼を観相学の道へと導きました。
転機となったのは、ある僧侶との出会いです。僧侶は南北に「お前は剣難の相がある。もし運命を変えたいなら、1年間、大麦と大豆だけを食べなさい」と助言しました。南北はその教えを守り、1年後には顔相が一変。僧侶は「お前の剣難の相は消えた。節食によって陰徳を積んだのだ」と告げたのです。
この体験こそが、後に「節食開運説」として体系化される思想の原点となりました。
3.「人の運命は食にある」
南北はその後9年間、床屋や風呂屋、火葬場などで無数の人の顔と生活を観察しました。その結果たどり着いた結論が、「人の運命は食にある」というものでした。
つまり、「何を食べ、どう食べるか」が、その人の顔を形づくり、人生の方向を決めるのです。暴飲暴食をする人は顔が荒れ、運が下がる。一方で、節度をもって食を整える人は心穏やかで運が開ける。南北の学説は、単なる健康法ではなく、「人格と運命を磨く哲学」でした。
4.南北が遺した10の教え
南北は、節食を通じて運を開くための教えを十箇条にまとめました。
1. 適度な食事量を守る者は晩年に恵まれる。
2. 暴食・退食の者は運勢が乱れ、財を失う。
3. 少食の者は長寿で心穏やかである。
4. 感謝の心で食べる者は幸福を呼び込む。
5. 不規則な食事は体と運を乱す。
6. 怠惰に食を楽しむ者は成功を遠ざける。
7. 自分の生活水準より低い節食をする者は富む。
8. 感謝と祈りを持って食をいただくこと。
9. 契約は吉、ケチは凶。
10. 食を整えれば、心と顔相が整う。
これらはすべて、「食を律することが、心と運を整える道である」という南北の核心的な思想を表しています。
ここで挙げられている「摂食」とは、現代で言う「四毒抜き」のことを指します。
5.現代に生きる「節食開運」の教え
よしりんは、飽食と便利さに満ちた現代こそ、南北の教えを思い出すべきだと語ります。
節食とは「我慢」ではなく、「自分を律し、心を磨くこと」。食を整えることは、人生を整えることであり、家庭や社会の調和にもつながります。
さらに南北は、「運は個人のものではない」と説きました。自分の運を良くするだけでなく、それを家族や社会に分け与えることで「真の運」が生まれる。運を循環させることこそが、最高の“徳”なのです。
まとめ 食を正せば、運が正される
動画の終盤で、よしりんは次のように結論づけます。
「食育こそが日本人を作る教育であり、魂の鍛錬である」。
便利さに支配された現代だからこそ、手を使い、感謝し、自然と調和する食生活を取り戻すことが求められています。アジフライを買うより、自分でアジをさばく。その一手間が、現代人にとっての“節食開運”の第一歩となるのです。
「食を正せば、運が正される。」
江戸時代の南北が説いたこの真理は、今も変わらず私たちの心と人生に深い示唆を与えています。