先日、新潟県長岡市小国町へ行ってきた時に、とても勉強になったことがあるので、ご紹介します。


新潟県長岡市小国町の偉人!この人すごい!!
山口権三郎氏





まずはネットで調べてみました。そうしたら略歴がこんなことしか載ってない。


山口権三郎 やまぐち-ごんざぶろう(1838-1902) 

明治時代の政治家,実業家。

天保9年(1838年)6月9日生まれ。越後横沢村(新潟県村上市)の庄屋。

明治12年第1回県会議員選挙で当選,翌年議長となる。
新潟第四国立銀行,日本石油,北越鉄道の設立などにかかわった。
明治35年10月12日死去。65歳。




※違ってたら修正ください

山口家は元々、上杉景勝の家臣で郷士(新潟県上越市吉川区山口出身 だったかな?)が出自であり、
上杉景勝が米沢へ減移封された際、付いてくるのを許されず、長岡市小国町へ土着。

※上杉家は120万石から30万石へ減らされた。

そこで豪農となり、有力資産家となる。
江戸時代から有名な豪農でありました。

山口権三郎氏はそこの長男として1838年に生まれる。
山口家では普段は節約をしても、ここぞという時にはお金を出すという家風でした。


明治5年(1872年)の学制に基づき居村の横沢村に独力をもって学校を設立し、のちにその設備一式に多額の資金を添えて村に寄付し、村内の子弟の教育に力を尽くしました。(金沢小学校)

明治10年、小国和紙の全盛期を迎える。
山口氏は小国和紙の改良再興を考え、土佐の高知より求めた製造用具、及びこれによって製造された改良和紙を米国コロンブス世界博覧会へ出展して褒章を得ていた。

明治12年、第1回県会議員選挙で当選、翌年議長となる。

明治18年、山口を中心に県会議員の有志や有力者約50人が集まり、『殖産協会』が結成。
産業振興や資源開発について活発に意見交換が行われる。

明治19年、石油産業の重要性に着目し、日本石油会社を設立。
(新日本石油株式会社。現:JXホールディングス株式会社。)(株式会社新潟鐵工所)

新潟は「草生水(原油)」が出ており、日本書記にも『越の国から「燃える水、燃える土」が近江の国(現在の滋賀県)大津宮の天智天皇に献上された』という内容の記述があります。

「草生水」は最初は「臭い水」と呼ばれていたのでしょうが、いつの間にか「くさみず」「くそうず」となり、草生水と書かれるようになりました。


明治25年、青年たちに実業の知識・技術を学ばせようと長岡に実業学校を創設。

明治29年、小千谷金融会社・長岡銀行を設立。(現:北越銀行)

明治31年、信越線、直江津・新潟間の開通に尽力(現:北越鉄道会社)

明治37年、小千谷に水力発電所を私費で作る。(現:北越メタル)


これらのように新潟の経済、産業、教育に大きく尽力した、山口権三郎氏ではあり、
資料館も「公益財団法人山口育英奨学会」がやっているとても立派で見応えのある資料館ではありますが、
あまりPRしていないのか、知っている人が少ないように思えます。



ぜひ近くに行く方は行ってみてください!!

公益財団法人山口育英奨学会
〒949-5222
新潟県長岡市小国町横沢802番地
電話 0258-95-2002





入り口がとても分かりづらいので、ここを目的としていかないとスルーしてしまうかもしれません。



ちなみに長岡で有名な「互尊文庫」の創設者:野本恭八郎氏は山口権三郎氏の弟になります。

野本恭八郎氏が提唱した「互尊独尊」は独り尊ぶことは、互いに尊ぶことで達成されるという意味。
個々の独立は互いに認め合って成り立つという意味。

宇宙で唯一生きている独尊と、社会で多くの人びとと一緒に生きようとする互尊の両方が大切ということですね。


山口家はすごい!!!




【HP】公益財団法人山口育英奨学会
【HP】小国町資料館
【HP】新日本石油株式会社 初代社長 内藤久寛