30日の明け方、じーちゃんが死んだ。93歳を目の前にしていたのに。


大往生だ、と思ってもやっぱり人が死ぬということは悲しい。欲を言えば100歳まで生きて欲しかった。

人工呼吸器をつけたときは、もう長くはないかもと思ったのもつかの間、次の日のお昼には取れて退院間近だった。先生までもが笑ってしまうくらい不死身はじーちゃんは、どんだけ長生きしてくれるんだろうかと家族で笑っていたのに。


夏休みはじーちゃんの看病で終わった。別にそれでいいと思った。会いにいけば行くほど、もう長くはないだろうと思えるじーちゃんの衰弱ぶり。入院当初は退屈だとか、腰が痛いとか、自分から話していたけどだんだんそれも減ってきていたし、目にも力がなくなっていた。


2年前に死んだばーちゃんと小学校4年のときに死んだじーちゃんの看病をろくにできなかった罪滅ぼしであったのかもしれない。


私が東京に帰る前日はよく話した。言いたいことを伝えようと必死だった。今考えれば最後の力を振り絞ってくれたのかもしれない。なのに『人参が食べたい??』なんて言ってごめん。でも笑ってた。


認知症をわずらっていたじーちゃんは、お父さんとお母さんのことは分からないままだった。お母さんは『最後の最後まで舅と姑だった』なんて憎まれ口を叩いてたけど、最後まで一生懸命面倒を見てたのは嫁であるかーちゃんだった。


お坊さんが『おじいさんも大変だったでしょう。でもそのおじいちゃんの看病をしてきた家族が一番大変だったと思いますよ。だから、入院生活を長引くことなく逝ってくれたことが何よりですよ。』とお通夜の席で話してくれたことが嫁として散々苦労してきた母へのねぎらいの言葉になっただろうな。


生臭坊主、たまにはいいこと言うじゃねーか。タバコも吸うし、酒も飲むし、肉食だけどな。とーちゃんのゴルフ友達だけどな。


うちに帰ってきたじーちゃんは、布団の上からでも分かるくらい小さく、やせ細っていてそれだけで泣きそうになったけど、顔を見た瞬間不謹慎にもびっくりしてしまった。というか笑いそうになってしまった。

処置を施してくれたはいいが、入れ歯のサイズがまるであってなくてじーちゃんは出っ歯になっていたのだから。えっと、じーちゃんは生前出っ歯でもなんでもなかったし、入れ歯のサイズもあっていたはず。



閉じきれない唇から半分飛び出したあの歯が、家族の悲しみを少しだけ軽くした。


実家で家事手伝いみたいなことをやっていて、まったく東京から切り離された生活をしています。


不便だし、何もないけど。


今私ができる親孝行かな、と思いつつ早く東京に帰りたい気持ち半分。


昨日は久しぶりに彼氏に会い、というよりも友達と多摩川の花火大会に行った。

束の間の一時帰京でした。

離れてからもうすぐ1ヶ月。こまめに連絡をとれるほどお互い暇がなく、ちょこちょこメールをする程度。

たぶん昔の私なら怒ったと思う。

でも今はすごく穏やかな気持ちで、驚くくらい連絡がまめに取り合えないこと、定期的に会えないことを受け入れている。


時には悲しくもなり、淋しくもなり、憤りを感じるかもしれない。


でも、彼にとってメールや電話やデートが愛情を測るツールではないことをよく知っているし、私自身ここ数年でそういった恋人間で行われる当たり前のような、あるいは義務づけされた行動に意味はほとんどないのではないか、と思うようになった。


愛情を正確に計ることなどできない。


毎日のメール、電話が愛情を計る物差しだという人もいるだろう。


でもそこに相手を思う気持ちがなければ、ただの業務だ。


相手の愛情を知る術はきっと、見落としてるだけでたくさんある。


と思えるようになったのは、離れてから。


しょっちゅう会えないけど、あの時のような時間の使い方はできないけど、その分時間を大切にしている気がする。

やさしくもなれる。

離れた時のあの悲しみは無駄じゃなかったかな。
何度でも言いますが雨は嫌いです。朝雨音で目覚めた。今日は特に予定もないので、大嫌いな雨が心地よく聞こえる。

雨には音がないけれど、ザァーという雨音に包まれながら微睡む。なんか幸せ。

そして好きな音楽をかけてトリップ。

薬なんかなくても、人間はいくらだって気持ち良くなれる。自分の思い描く世界にトリップできる。


でも決定的に違うのは理想と現実をわきまえていること。

必ず夢から醒める。

現実に引き戻される。

いや、自らの意志で戻ることができるんだ。

ケミカルに頼らなくてもいいようにできてるはずなのに。

なのに、何故人は快楽を得るために欲望を満たすために逃げるのか。

二度と自分が歩いてきた道には戻れない所まで逃げてしまうのか。

諸悪の根源はやはり、欲望なのか。

うむ、雨音は答えの出ない疑問の渦にもトリップさせる。
サッカーオールスター戦。Kリーグとやるようになってから、なんか興ざめ。選手にとっても、サポーターにとってもEASTとWESTでやったほうが絶対よかったと思うのはワタシだけ?


オールスター戦というのは、お祭りであって普段じゃできないチーム編成、ポジション、プレイ、なんかを楽しむイメージ。選手も程よい緊張感と、まぁ根底には勝ち負けにこだわる気持ちもあるんだろうけど、お祭りだから楽しむ!サッカーを楽しんでサポーターを楽しませるという思いがあると。


真剣な試合はもちろん好き。でもたまに笑顔でサッカーをしてるのも見たいんだよ?


あれは何年か前のプロ野球オールスター戦。松井の打席でピッチャーイチロー。なんという粋な計らいなんだと思った。がしかし、松井のプライド(笑)を考慮してか落合は高津に交代。わかってない。全然わかってない。お客さんはさ、真剣勝負とかプライドとかこの日ばかりはどーでもいいんだよ。おもしろいじゃん。日本で一番の人気を争うバッターが対峙できるなんて、オールスター戦だから。

なのに松井は憮然とした態度だし、落合は変えるし。おまえら、オールスター戦出るなよ!とすら感じたな。

あぁ松井ってくだらんプライド持ってるんだな、つまんねーのと思ったのをよく覚えている。戦う男のプライドはいつでも捨てる覚悟を持て。プライドを一度捨てた人間が、また次に新しいプライドを手にしたら色んな意味で強くなれたのに。


オールスター戦ね趣旨や意義を理解した人間がたぶん一番楽しめる。

それを証明したのは新庄剛志かな。野球選手としてはいまいちだったかもしれないけど、あの人のエンターテイナーとしての力は凄いなぁと思う。


もし新庄が松井くらいの力で、ピッチャーイチローだとしたらきっと誰よりも喜んでバッターボックスに立ったに違いない。


なんて話それながら、ぼんやりとオールスター戦ではないオールスター戦をやるサッカーを見て虚しくなった。