どうもどうも。


長いこと留守にしてました。


やっと自分の気持ちに整理がつき、環境もすっぱり変え、自分と向き合い、リスタート。


リセットではない。


今までも人生をリセットしてしまったら、自分が今まで生きてきたことすべてを否定してしまうことになる。

そりゃ目をつぶりたいようなこと、なかったことにしたいこと、たくさん(笑)あるけれど、それはそれ。それも今の自分の考え方、価値観、いろんなものを形成してる一部だと思う。


残念ながら失敗しないとわからない、一度やってみないと気のすまない、利口とは言えない人間だから、やらなきゃよかった、なんであんなことしちゃったんだろうが星の数ほど。


それを生かすも捨てるも自分次第ってことにようやく気がついた。


気がついたときにやればいい。


気がついたんだから。


あの時の戻りたいと思うことも正直ある。


でも、やっぱり今が一番、これから先の人生が楽しみ。


そんな考え方ができる人間でありたい、なりたい。



どもどもこんばんわ~。最近寒くなってきて、夕日が落ちるくらいに河原に行き、BRAHMAN聴きながら夜を待つのが楽しみでしょうがないです。


雨の日や、寒い夜、ギリギリの夕焼けが似合うバンドだなー。


3日のイベントも雨で、しかも寒くて、いつもなら家から出たくないと思うところ。BRAHMAN聴きながら歩いていたら雨も悪くねーな、なんてうっかり思ってしまった。


今年は全然ライブ行けてなくて、もう無理だなと諦めていたのだけどね。


何度も言うけどやっぱライブバンドだな、と思った。生で演奏を聴いてがっくしすることってけっこうあったけど、こんなにも見に来ている人を引き込んで魅了して、なおかつ離さない。脳味噌の隅々まで響き渡る彼らの言葉や、パフォーマンスというのは実力だけじゃないんだろう。


綺麗に生きられないから、まっすぐ前を向くことばかりの日々だけじゃないから、憂鬱に囚われることもあるから。生きてく上で、ポジティブばっかりじゃいられないんだよ。そりゃネガティブな人間よりも魅力的だし、そうありたいと願う。

でもだからってポジティブなありふれた言葉は実は心や脳味噌の奥まで響かないんだよね。


応急処置にしか過ぎない。


汗を流し、歯を食いしばり、へとへとになりながらライフをするBRAHMANというのは実は人生の縮小図かもしれない。


人間て人生ってそうゆー汗臭く泥っぽく、かっこ悪いもんでしょ?って。


でもそれがかっこよく見えるのは最後に確かに顔をあげ、前を向き、光の射す方を見据え、そして笑うことができるから。


いつまでもうつむいてたんじゃかっこ悪いまんまだけど、もがき苦しんで最後の最後に顔を上げることができればきっとそれは誰かの、何かのそして何よりも自分自身の力になりうると思った。


みんなの共感を得るなんてきっと無理だし、したいとも思わない。でも、誰か、たった一人の誰かの心に自分と同じ気持ちを落とせたらいいな。


すいません、身も蓋もないことを言うとBRAHMANが好きで、かっこいいのです。


以上!!笑


イベント自体の感想はまた後ほど。

http://tmv.proto.jp/#id=a-piece-of-blue-moon


タンブラーという写真、画像サイトがあるのですが私のタンブラーを気に入ってくださった方が、こんなのをつくってくれたみたいです。


こうやって自分の写真をまとめて客観的に見ることってなかったので、勉強になります。


もっといろんな空をとりたいなー。

どうも御無沙汰です。最近、写真撮ったり巷で大流行の兆しが見え隠れしているのツイッターなんぞに現を抜かしておりました。なので、文章ってどうやって書くんだっけ??起生転結ってなぁに?みたいな。(笑)


冗談ですが、思いついたことを書く、写真に何かをぶつける癖がついて自分の気持ちをゆっくりと振り返文章にするって結構大変だなぁ、と今更実感しています。


自分のブログ読み返してえ?これあたし書いた?とか。うん。

決して飽きたわけではなく、自分の表現方法が今はじっくりではなく思いつきパパッと、という方に剥いているだけの話です。


あーでもつまり無精者ってこと?


そしてやっぱり長い文章を書きなれていないせいか、どうまとめていいか分からなくなった件について。


すません、写真はちょこちょこ更新してるんでお手隙に際にでも見てくださいまし。

http://a-piece-of-blue-moon.tumblr.com/



久しぶりにブログを書きました。というよりこんなにもゆっくりパソコンに向かうのは久しぶり。


実を言うと何を書いていいか分からなくなってしまった。実家では大好きな音楽を聞く暇もなく、精神的にも肉体的にも余裕がなくてパソコンを開くこともなかった。


暇がないというのはオーバーかな。夜になれば自分の時間はあったのだけれど疲れて寝てしまったり、ブログに何かをぶちまけようという気力もなかったりで、要するに無気力だったのかもしれない。


93歳とは言えど、人の生死に向き合うということはこんなにも神経を使うのだなと。


回復の兆しを見せていた祖父が、急に衰弱し始めて話す気力も、食べる意欲も失っていく様子を見ていたらいずれ死に逝く祖父にどう接したらいいのか悩んだり。


何よりも自分の父が弱っていき、誰が誰であるかの認識も間々ならないままの状態と向き合っている父を見ているのもつらかった。


寡黙で多くを語らない父であるがゆえに、時々発する言葉の端々に悲しみや憂いを感じ取ることができた。それが消化しきれないくらい重かった。


でも祖父が倒れたことにより、いつもは離れて住んでいる家族が一つ屋根の下に集まり、同じ思いを抱え、笑いときに悲しむ。そんな過ごし方ができたのも祖父のおかげなのかな、とふと思う。


母が『本当に助けられた。ありがとう。感謝しきれないよ。』と言ってくれたのが救いになった。


そして、口下手な父親がぽつりと『ありがとね』とつぶやいたとき、たまには父親にもメールしてあげようかなと心改めた。


祖父はなくなったけれど、その祖父が家族に残してくれたものは確かにあった、と今更ながら実感している。