「第1部 産業革命以前の世界における戦略と経済
2 覇権に手を伸ばしたハプスブルク家 1519~1659年
戦いの経緯とその意味 」
の部分で、なるほど!と思ったこと
(1615年支倉常長がスペイン国王フェリペ3世に謁見。)
1、1618年
ボヘミアの新教徒が神聖ローマ帝国に対して
反乱を起こす。 三十年戦争の始まり
(1620年支倉常長帰国)
2、1620年代の終わりには、ワレンシュタイン率いる
帝国軍がドイツ全域を制圧するかに見えた。
3、1630年
スウェーデン国王グスタフ・アドルフが
新教諸侯を救うためにドイツに侵入。
4、1632年 リュッツェンの戦い
グスタフ・アドルフ戦死。
5、1634年
皇帝の命令でワレンシュタイン暗殺。
オリバーレス伯公爵がスペイン軍をラインラントに
送る。
6、1635年
リシュリュー枢機卿がドイツにフランス軍を派遣。
(1639年江戸幕府がポルトガル船の来航を禁じる。)
7、1640年 ポルトガルでスペインに対する反乱始まる。
(1641年オランダの商館を平戸から長崎出島に移す。)
8、1648年
スペインがオランダの独立を認める。
ウェストファリア条約で皇帝とドイツの新教諸侯が
和解。
9、1655年
フランス宰相マザランがイギリスのクロムウェルと
協力してスペインを攻撃。
10、1659年 ピレネーの和約
フランスとスペインの和平成立。