「出来る」
意味は○○を行う事が可能になる。
目標を達成する事が可能になる。
調べればたぶんそんな意味だろう。
では一つ考えてみよう。
「出来ない」
これはどういう意味なのか。
調べれば、言葉の意味としては「出来る」の対義語なのだろう。
俺は「出来ない」という言葉が嫌いだ。
何故ならそれは諦めや、相応の努力を放棄した結果だから。
俺はガキの頃何にも出来ないクソガキだった。
でも、家では良い子でいないと生きて行けない。
そんな気持ちで生きていた俺は勉強だけは出来る様に日々頑張った。
それは他の人よりも、きっと簡単だったんだろう。
俺には友達がいなかった。
だから遊ぶ、という誘惑が一切なかった俺は本を読む事、ゲームをする事くらいしか楽しみがなかった。
ずっと目立たないガキだった俺も小5で友達が出来た。
その経緯は今回の話とは関係なので割愛する。
成績優秀、追試知らずの俺は気付けば友達に勉強を教えるのが当たり前になっていた。
少しでも家に帰りたくなかった俺はどうにか帰らない方法を探していた。
その時の友達の言葉が俺の胸を刺し、今でも鮮明に覚えている。
「いいよなぁ、ゆうきは勉強が出来て。」
俺はその友達に言った。
今でも色んな人に同じような事を言ってる。
最初から出来る奴なんていない。
出来ないのが当たり前なんだ。
出来る様に頑張った結果なんだ、と。
ずっと成績の悪かったその友達は、高校受験で商業科しか目指せなかった所を、頑張って普通科を受験し見事合格した。
「出来る」
この言葉は全ての過程を乗り越えた最後の言葉なんかじゃない。
この友達を例で話すと、
まず勉強をしてみようという気持ちを持つ事が「出来た」
勉強を教わる事が「出来た」
わからない事が何かを見付ける事が「出来た」
自分にあった勉強方法を見付ける事が「出来た」
目標に向かう事が「出来た」
目標に向かい努力する事が「出来た」
こういう小さな「出来た」の積み重ねで、普通科に合格する事が「出来た」
難しいと思える事程、出来た時の喜びは大きい。
喜びだけじゃない。
そこには達成感や、出来たという自信も同時に備わる。
最初からいきなり出来るやつなんていない。
どんな事だって、小さな出来たをたくさん集めて大きな出来たに繋がるんだ。
小さな達成感をたくさん集めて小さな自信をたくさん集めて大きな自信を手に入れるんだ。
どんな事だって出来るさ。
やって出来ない事なんてないさ。
一人じゃ出来ない事だって仲間がいれば出来るさ。
その為に必要な一歩を、最初の一歩を踏み出す時の気持ちを忘れないで。
理由や目的なんて後からでいいんだ。
やってみよう、という気持ち。
大切な最初の一歩はこれだから。
どうすれば出来るか、出来ない時はどうするか。
工夫して繰り返して、出来た時の喜びや達成感は自分だけの大きな力に、宝になる。
一度きりの人生、やってみたい、そんな気持ちで諦めてしまうのではなく、やってみよう、それが大切な大切な大きな一歩になる。
俺に出来る事ならなんでも協力してやる。
大した力になんてなれないかも知れないけど、せめて一人より二人の方が楽しいだろう?