白石啓太氏の忌日を知りました。 | yoshinology

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世の中に偽りというものが無ければ、疑いが生じない。疑いが無ければ、探求が行われない。探求が無ければ、知恵も、知識も、天才も生まれない。 —Walter Savage Landor

 今日は早起きの必要がある日でした。二十分程の寝坊で身体を起こし、お薬、グルタミン、洗顔、塗布を経、お弁当を作りながら朝食を頂きました。食後、支度を終えてお弁当を持って家を出、電車に乗って出掛けました。

 お出掛け先で八時間半程過ごして帰宅し、N嬢が作ってくれた夕食を頂きました。ご馳走様でした。一日お疲れ様でした。

 

 そんな今日は、大学卒業後に短期集中で通った資格取得の講座の同期のお誕生日という以外には特筆すべき事が無く、ウィキペディアを徘徊していました。

 忌日の二〇一八年の項目に、パーカッショニストの白石啓太氏のお名前がありました。実は大師匠と呼ぶのでしょうか、三人いる僕の最初の先生KA先生のお師匠様が白石氏でした。

 大師匠の関係ではありますが、実際に教わった事はありません。僕は何度か演奏を拝聴しましたが、白石氏は僕の存在そのものは知っていたと思いますが、直接お会いした事はありませんでした。と言うのは、白石氏がKA先生に「もしお前の生徒(僕)が音楽大学受験を目指しているのなら連れて来い」という様な事を伝えていたからだそうです。十八歳の頃に音楽大学受験を目指した事はありましたが、程無く挫折し、結局白石氏にも習わずに来てしまいました。

 白石氏が亡くなった事は、二〇一九年に知りました。その頃に僕がサポートさせて頂いたバンドの、やはりサポートのベーシストのHさんが以前白石氏のバンドにいたのだそうです。初回のリハーサルでHさんとSNSで繋がらせて頂いた時に、KA先生が共通の友人として表示され、「KA先生に習っていました。(SNSで)繋がっていらっしゃるのですね」と自己紹介した所、「彼(KA先生)の師匠と一緒にやってたんだよね」と教えて頂き、「彼(白石さん)も亡くなっちゃったけど」と続けて仰るのでした。二〇一八年に亡くなったとは知りませんでした。その頃、一年程しか経っていない時期だった様です。

 結局白石氏は単に大師匠に位置し、直接的には僕とは何の関係も無い方ではありましたが、何度も行った白石氏と奥様の仁科愛氏のコンサートで得たものは多いです。改めて、お悔やみ申し上げます。

 

 明日も早起きの必要がある日です。