熊本地震で帰郷 | Elvis John kobayashiのブログ

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 4月14日の夜,1回目、翌16日未明に2回目の大地震が熊本地方・阿蘇地方で発生した。「まさか、故郷の熊本や阿蘇が・・・」、1回目でTV画面にくぎ付け、翌日やっと電話が通じ、親戚や友人の元気な声を確認し、このまま収束するだろうと安堵した。それも束の間、16日未明の2回目の「本震」には、驚愕・・・・。「これでもか!これでもか!」と言う“自然のすさまじさ”に畏怖の念を抱き、親戚・知人の安否と実家の状況が分からず、TVを見ながらの不安な一夜を過ごした。

 

 この20年、阪神淡路大震災、中越地震、東日本大震災、と立て続けに起きる大震災、そのはざまに起きる大噴火、台風や集中豪雨による土砂災害や水害。「日本は常に自然の脅威にさらされている国」と認識は十分していたつもりだが、心の奥底には「鹿児島や熊本だけには、自分の周辺だけには・・・」と言う、何の根拠もない、どこか自分中心の思いがあった。

 

 「すぐにでも帰りたい」と思いは募ったが、震度3~5と続く活発な余震、避難生活による食料・飲料・物資の不足、電気・水道・ガス、と言ったライフラインの寸断、自動車道や新幹線の通行止、一般道の大渋滞情報を聞くにつけ、今は鹿児島に居て時期を待つしかない、と開き直った。親戚・友人の安否を確認してお互いを励まし合いながら、日々の仕事に励んだ。

 

  そして5月4日(朝8時前に阿蘇地方震度4の地震があったが)9時に出発、高速で熊本に向かった。ところが8時前地震で「八代~益城」は通行止め。一旦は熊本行きを諦め、休憩しながら情報を待った。11時過ぎに解除、通れるようになったので、再び高速に乗り、渋滞情報を鑑みて「御船IC」の一つ前の「松橋IC」で下りて、国道3号線を北上した。地震で出来た道の亀裂を舗装したばかりの波打った国道の両側の民家の屋根には多数のブルーシートが見られる。熊本市内に入り、壁が一部取れてむき出しのビル群、崩れた石垣や倒れた塀の熊本城横を抜け、実家に向かった。

 

 我が家の塀や外観はかろうじて原型を維持して、ホッとしたのも束の間、玄関は50㎝ぐらいしか開かない。天井は一部崩落、壁も何か所も亀裂が出来、みずや・鏡台・書棚が崩れ散乱の状態。

 裏庭には古い瓦が多数落ち、サッシの鍵が数か所取れ、風呂場の壁は内外が剥げて、どこから手をつけて良いか、茫然自失!

 

 とりあえず、天井や壁で散乱している部屋を掃除しよう、と我に返った。ガラスや鏡の危険物を段ボールに入れ、箒で畳やカーペットの大きなごみを取り、書類を要不要に分けて整理した。台所は家内、座敷は私と分担して片づけた。その夜は片づけた洋間を寝室にしたが、震度3が夜2回・日中3回と、余震の度に身構えてしまう。熊本県民の苦悩はいかばかりか・・・思い知らされた。

 

 翌5日は終日かけて片づけ、近所のお世話で割れ物を処分、書物関係は後日処分をお願いした。近所の人の親切に本当に感謝する。問題は亡母の多くの遺物(短歌・書道・詩吟等)だが、また近いうちに帰ってからでも整理することに決め、5月5日18時、帰路についた。

 途中、熊本駅近くの花岡山墓地のお墓に寄った。墓石が倒れ散乱する中、小林家の墓石は倒れる寸前、ズレてはみ出た状態で留まっていた。2人で渾身の力を振り絞り、元の真ん中の位置に戻し、ホッとした。こんなに墓石が重いものとは・・・初めて知った。22時、やっと鹿児島に着いた。