Elvis John kobayashiのブログ

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 最近(注・6年前)、TVで妙に印象に残る「車のコマーシャル」があります。若い女の子2人が昔懐かしい「九州弁」を歌うシーンです。何となく聞いた微かな記憶(?)をたどると、小さい時に姉たちと一緒に遊んでた「一コマ」を思い出します。

 

 「でんでらりゅうば、でてくるばってん。でんでられんけん、でてこんけん。こんこられんけん、こられられんけん。こん こん。」「とっとっと?」「とっとっとよ!」・・九州以外の人が聞いたら「何のことやら?」さっぱり分からないかもしれませんね。

 

 私流に訳してみると「出れるのならば、出て行くけれど。出て行けないので、出て行かないよ。行かれないから、行くことが出来ないから、行かない!行かない!」「(写真を)撮ってるの?」「撮ってるよ!」・・・とでも言えるのかな。

 

 この歌を調べてみると、実は「長崎」の童歌だそうですが、あらためて「私の故郷・熊本」と方言が良く似てるのには驚かされます。まず「ばってん」と言う言葉は、筑後や博多では聞かれないし、「来る」と言う言葉は「相手(あなた)の立場」から言えば「来る」であって、私から「行く」と言う意味です。

 

 小学生の時、福岡から引っ越して来た友人に「あとで、じゅん(自分)がたに来るけんね」と言ったら、きょとんとされたことがある。そういえば相手のことを「じゅん」とか「自分」とか「わりゃ(我は)」と一人称を使ったり、「ぬしゃ(主は)」とか「貴様は」とか言うのも、相手を敬う気持ちが「相手の立場に立つ」方言になった、と言えるのかもしれない?

 

 また「でんでらりゅうば」の“でん”や「こんこられんけん」の“こん”は「接頭語」と呼ばれるもので、言葉の前に同音の接頭語“でん”や“こん”を付けたと思ったら良いのでは、と勝手に解釈しています。さて実態はどうなのでしょうか?

 

 ところで何故、熊本と長崎は何故「方言」が似ているのか?調べた訳ではないのですが、「長崎・佐賀を“肥前”と呼び、熊本を“肥後”と呼ぶ」から察すれば、昔の交通は京(都)から、「筑前から筑後を通って肥後」ではなく「筑前から筑後・肥前を通って(恐らく)船で肥後へ」だったのでは、と解釈すれば、理解しやすいとは思いませんか?

 

 私が小さい頃は、世の中が「高度成長」。「大きいことは良いことだ!」とばかりに、東京を中心に大都会に人口が集中し、地方都市もそれに続けとばかりに「ミニ東京」が各地に溢れ始めた時代でした。その中では標準語が幅を利かせ、それがカッコいい時代でした。逆に「方言」は恥ずかしいもので、かっこ悪い時代でした。

 

 大学まで熊本で過ごした私にとって、就職して初めて大阪で暮した時の悩みは「熊本弁」が抜けないことだった。特に言葉の前に「ほー」をつけてしゃべる癖が抜けず、当時ベトナム大統領のホーチミンの愛称から「ほー叔父さん」と茶化されていました。

 その他「武者(むしゃ)ん良か(かっこいい)」「しゃんもっでん(どうしても)」「何ば言いよっと」「うっ壊す」「どぎゃんすっと(どうするの)」「ほんなこて(本当に)」「したったい」「しなっせ」言い出したら切りがない。

 

 先日、孫娘の3歳(今は9歳)の誕生日、孫娘が「でんでらりゅうば、でてくるばってん・・・」と、なめらかな九州弁で唄うのです。みんな唖然として、それでも楽しく聞いていました。素直に嬉しく感じました。

 

 大阪から、沖縄、福岡を経て(熊本を飛び越え)33年前に鹿児島に転勤、さらに今の仕事に転職し鹿児島に腰を据え、あの熊本弁も全く出なくなりました。しかし熊本弁が聞こえてくると、懐かしくなり、ふっと笑みが出て、心が和みます。やはり故郷って良いもんだ。「21世紀は“地方が見直される時代”にしなくては!」とTVコマーシャルを見て、決意する私です!・・・(これは6年前のリメイクですので、悪しからず)